◆全ての偉大なるものをして我が生涯を支配せしめよ。これを陶酔といわんや!これを恍惚といわんや!Beethovenの「第九」の白熱する歓喜に我が全存在は激しく揺さぶられ魂はたちまちにしてたぎれる血潮と化して体内に充満した。おお、偉大なるものよ!どうして心から敬わずにいられよう。御身の足下にひれ伏し、感涙をその御足に注ぎ、熱きくちびるもて汝の全身を覆わんや。
NHK音楽祭第一夜「洋楽の夕べ」岩城宏之指揮の「第九」は正に圧巻であった。産経ホールをうずめた二千の聴衆の誰一人としてこれに勝る感激を味わったことがあったとは思えなかった。演奏が終わってからも拍手は長く鳴り止まずまるで海辺にうち寄せる波のごとく高まっては引き、引いては高まり、その波頭に指揮者の喜びの顔とソリストたちの輝くばかりの顔を何度となく持ちきたり持ち去ったのであった。
ああ、人間が作り出しだものでこれ以上に荘厳なるものがまたとあろうか。疑いもなくこの夜の感激は人間の感覚の極限を示すもののように思われた。歓喜の嵐のなかで我々の魂は一羽の巨大な鷲となって、吹きまくる激風の中にも自由に羽ばたき、獅子のごとく咆哮し、雨と降り注ぐ歓喜を全身に浴びて銀色に輝き、鷹揚に身震いしては、歓喜の滴を四方八方にはね飛ばすのだった。もはや演奏者と観客の区別はなかった。まさしく会場全体が歓喜のルツボと化したのであった。
巨大な一つの魂の贈り物に我々は熱い熱い抱擁をもって応えようとしているのだった。岩城の全身は激しく動きそのエネルギーのほとばしりは奏者の一人一人の胸に伝わり、灼熱の熱気がむらむらとたちこめるがごとき演奏が70分にわたり繰り広げられた。
この曲の初演の日、聾のBeethovenが拍手喝采する聴衆を知らず肩をすぼめていつまでも聴衆に背を向けていなければならなかった情景を胸に浮かべて、なおひとしおの感激が湧いてくるのだった。
おお偉大なるものと矮小なるもののこの奇妙な結合よ。一人一人の人間としてはいかにも矮小きわまりなく、日常些事がその心の大半を占める奏者が、かくして一堂に会し、conductorのタクトの下に一糸乱れぬ演奏を行うとき、そこに何と偉大なるものが生み出されることか。
「第九」はエネルギーの昇華である。この嵐にも見まごう激しい巨大なエネルギーは一瞬にして矮小な人間を包み込み、彼をしてかつて感じたことのない崇高な歓喜の極みへと運び去るのである。
大きい願いが充たされて、一人の友の友となったものは
やさしい女の愛をかちえたものは
いやーこの世に生まれて
たった一人の心をでも
自分のものと呼び得たものは
列に入って歓喜の声を上げろ
そうでないものは隅に下がって
指をくわえているがいるがいい。
喜びよ、きみは美しい火花
天のむすめ
火のように酔ってわれわれは
きみの神殿にふみのぼる
ああ、今も耳朶にあの歓喜の頌の喜びにうちふるえた調べが聞こえてくる。調べといっては弱々しさを感じさせて不適切のようなあの堂々たる大合唱が聞こえてくる。私の心のときめきもまだ消えやらずにいる。偉大なるものよ、僕はお前の僕だ。僕を支配するがよい。今日巨人のいかずちのごとき歓喜の叫びは完全にこの僕の魂を串刺しにした。そして僕をして叫ばしめたのだ。
全て偉大なるものをして我が生涯を支配せしめよ!
と。
僕の目の前に偉大なる人々の群がうつる。彼らの山の音にも似た高らかな哄笑が鮮やかに耳に響き渡る。
僕の生涯の支配権を彼らにだけは認めてよい。
Beethovenよ。Balzacよ。
私の魂もまた彼らの偉大なる魂に包まれその滋養を十分にすい、この私自身もまた偉大なるものにたとえ一歩といえども近づかねばならぬ。
◆岸田国士訳「カサノヴァ回想録」(一)岩波文庫読了。
|