日記の部屋1963(2)/Diary1963(2)

(2000/4/16開設:since April 16,2000)

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(2000/4/18掲載)1963-02
年月日 曜日 日記本文
1963.2.13 Wednesday ◆昨日までに試験は五つ終わった。後四つ残すのみとなった。明日は大河内一男先生の<社会政策>がある。これは非常に興味ある問題を扱っているので勉強に張りがある。例によってプリント以外にtextを読んだり事典を引いたりしながらやっているのでなかなか前には進まないけれど勉強は何も試験ばかりが目的ではない。少々深く突っ込んで捉えておく方が将来のためにもなることだろう。昨夜は重馬叔父さんのところに2時間ばかし寄って夜食をご馳走になってきた。麻紀ちゃんが素敵なピアノを買って貰っている。音感の訓練のため今後少々利用させて貰おうと思う。
1963.2.14 Thursday ◆今日で試験は6つ終わった。
今日は大河内一男教授の<社会政策>であった。
問題はそれほど難しくないが<社外工>を少々間違えた。しかしこれが出来た奴はいそうにないように見えたので心配するには当たらない。
試験が終わってから池下君と碁を打った。惜しくも負けてしまった。
家に帰ってみるとK.Sさんから手紙がきていた。3月2日のDance PartyへのInvitationである。友達を二人連れてきて欲しいとのこと。僕には仁木由起子というDance ClubのCaptainを紹介してくれるのだそうだ。昨日も行ったけれど雰囲気は悪くない。試験もその頃は終わっている。楽しい一夜を持ちたいものだ。
1963.2.18 Monday ◆明日の国際政治のため勉強中。坂本助教授は将来を嘱望されている若手の俊英。僕も大いに買っている人の一人。雑誌論文などその鋭い分析と洞察は人をしてうならせるものがある。近い将来において優れた業績を上げられ、きっとスケールの大きな学者になられることと思う。

◆昨夜、K.SさんとKHに電話。
鈴木さんとは明日11:15AM正門で会うことにした。typewriter,Dance Party ,彼女のreportの件について。

◆KHの方は試験が終わってほっとしたのだそうだけど、試験中にお父さんが交通事故で入院され勉強が手に付かず結果が心配との話。スキー行きを28日に延ばしたそうだ。

◆そのKHに今日手紙を出した。
21〜28日の幾日かにdateはいかが?というもの。返事は20日夜�揩ナ聞くことにした。
◆16日の試験の終わった後で叔父さんのうちに行って碁を打ってきた。3連勝したのでこれでまた6子にした。
◆今日は風が強い。それは良く晴れている。2月という月はほんとうにドタバタと過ぎていってしまう月だ。試験が1つ終わった2つ終わったといっている間にいつの間にやらもう20日に近い。
 2月がこうした月と感じられるのはもう今年切りであろうか。
 来年の2月はどんな風になっていることだろう。
 試験に追い回されることは例年はないだろうから。
◆洋次郎から写真送付の礼状がきた。なかなか愉快な文面。

1963.2.21 Thursday ◆心満ちたりた思いがする。それでいて何となくものさびしい。KHと初めてのDate。一緒にDanceを踊った。
 昨夜KHにお手紙の返事を聞く�揩�かけた。O.Kだったのだ。最初彼女本当に面白いお手紙ね。お腹が痛くなっちゃったわ、と笑ってばかりいる。さていかがでしょうかと話をもちかけるといいわよ。もちろん話の仕方からO.Kがとれそうだということはわかっていた。それで21日がよいということになった。YMCAのDance Partyに一緒に行きましょうということになった。
 待ち合わせは今日の5時半、高田馬場Station。定刻に彼女はやってきた。薄くお化粧してる。新宿で降りてLa Bonneで二時ほど話が弾んだ。面白いからもっとお話聞かせて。色んなことをしゃべった。僕がきびしくってこわいなんて彼女が言い出す。彼女も悩みを持ちだして少々しんみりした話も続く。
 かわいいな。とそんな彼女を見て思う。
 Partyにはきっと8時20分頃着いたのだろう。最後まで一緒に踊った。楽しかった。本当に。彼女はなかなか上手なのだ。そしてすごく熱心だ。Walzが相当うまくなった。ジルバは二人のお手の物。ルンバもよい。彼女僕のことをうまいわねとほめてくれた。そして、楽しい、とも言ってくれた。
 ああ、彼女を胸に抱くうれしさ。強く抱きしめてやりたいと何度思ったか知れやしない。愛している。と思った。好きだ。って、彼女の耳にささやきかけたかった。ういういしい彼女。あああのかわいい小さな手を握りしめて、あのくちびるにほんのちょっとでもくちづけできたら。彼女に言い忘れたのだ。彼女が僕にとって今どんなに貴重な存在であるかを。この僕の生き甲斐であるかを。偉そうなことを言っていても彼女の前では、愚かな、愛する男の一人に過ぎないってことを。
1963.2.22 Friday ◆生きることってずいぶん厳しいことね。とあなたは言った。あなたの瞳は真剣さに輝いていたから僕は胸を打たれたのだ。そうだ、人生には本当に厳しいことが沢山ある。口先だけで本当に厳しいですね。と相槌を打つのでは少々軽薄に思われるほど人生は厳しいものなのだ。あなたは去年の12月自殺しようと思ったといった。あなたの小さな胸をいったいどんな悩みが苛んでいたのだろう。「自殺しようと思う人の気持ちがわかったような気がしたわ」。人間は本当にある時死の誘惑にかられる。すべてのことがそれで解決されてしまいそうな気がする。本当に耐えられないような重圧に押しひしがれてそれに耐えて生きていくことに意義を見出し得ない時が襲ってくる。こんなにまでして生きていくくらいなら、いっそ死んだ方がましだ。というデスパレートま気分に陥ってしまうことがある。「でも死んでしまえば、お終いだと思ったのよ」

 そんな時僕らをしてわずかに生かしめてくれるのはこの感情なのだ。死んでしまえば全てがお終いになる。全てをお終いにしたい感情に駆られて死を思いながら人間はその死の誘惑を、全てのことをお終いにすることに対する未練がましさから払い退けようとする。<生きる>ということに対する人間としての耐えがたい誘惑さえ、そうした大きな死の誘惑の下では、まるで春の草の芽のように青白く弱々しいけれど、それなりに生命の強靱さを秘めていて、わずかにでもそれが息づいている限りは死に神は容易に凱歌を奏し得ないのだ。どんなに深い悲しみであっても生きていく限りにおいて、時間という万能薬が癒してくれるものなのだ。その薬の効き目は本当に緩慢ではあるけれどそれくらい間違いのない効き目を持った薬もまたとないものなのだ。僕の心も何度かその薬で癒されてきた。だからあなたが今日まで生きていてくれたことは僕にとってどんなにか嬉しいことだろう。あなたが「死のうと思ったのよ」といったとき、「あなtが死んじゃいやだ」と叫びたかった。本当に泣いちゃうだろうと思う。
 あなたみたいな可愛らしい存在がこの世から突然消えていったと考えるだけでも僕は身震いがしてくる。こうして僕が元気にいられるのもあなたがやはりどこかで生きているという意識に支えられいるからだと思う。もちろんあなたの心の中は計りがたいし、僕のことをどう思っているか皆目見当がつかないし、あなたには他に好きな人がいるかもしれないのだし、僕があまりに深くあなたのことを思うのは、あなたにとってはかえって迷惑至極のことかもしれない。僕はいつだったか<雪の朝パリに死す>という映画を見てその晩泣けて泣けてしかたがなかったことがある。それは愛する人が突然この世から消え去ったことに対する悲しさを僕が誰よりも深く感じとれたからなのだ。その虚しさほどに人間にとって耐えがたいものがまたとあろうか。昨日までそこに存在していた、あの愛くるしい人が、そのつぶらな瞳が、その心そそるくちびるが、思わずだきしめてしまいたいような女らしいしなやかな身体が、忽然とこの世から消え去っていってしまったとき、僕はいったいその虚しさをその心の空漠をいったい何によって補ったらよいのだ。あなたにはいつまでも生きていって欲しい。そして願わくばあなたの力になれたらと思う。あなたは色んな悩みがあると言いながらも何も具体的には話してくれなかった。でも僕はあなたにとっていつでも力になってやれると思う。誰か頼みがいのある相談相手が欲しくなったら僕のところに来て欲しい。

1963.2.23 Saturday ◆起き出したのが2時過ぎ。昨夜寝たのが午前6時近かったのだから無理もない。叔父の宅で碁(3勝1敗)を打って帰ったのが午前2時近かった。それから戸崎と少々話をして、買ってきたばかりの本を読みだした。午前3時を少しまわった頃からだ。なかなか面白くてとうとう明け方近くまでなってしまった。本のtittleはThe Symbol of Government。著者はThurman W.Arnold。この本、試験が始まる前から是非読もうと思っていた本の一つで、法哲学の碧海先生が是非読むようにと皆に推奨なさった本である。Montesquieuの<ペルシャ人の手紙>にも比すべき非常に面白く皮肉な本だとおっしゃった。定価870円は少々痛いけれどこれほど大部の外国の本はこれまで買ったことがなかったのだから少々記念的な本ともなろう。この後出来ればこうした外国のいわゆる学術書を大いに読みあさりたいものと思っている。PopperのThe Open Society and
Its Enemies という本も食指を動かされる本の一つであるが何しろ上下2巻で相当値段もはるみたいなのでなかなか買えまい思う。同じPopperのThe Poorness of Historism 360円も読んでみたい。
 その他LaskiのものやRusselのものKelsenのもの、Millsのものetc.色々と世みたい本がある。
 まずはとにかくThe Symbol of Governmentを早く読み終えるのが今のところ最大の眼目ではある。
 270pageばかしにへこたれていたんでは、その後はまず無理だと思わねばなるまいから。

◆K.Sさんからお手紙あり。先日のお礼と、女友達の間での実りある交わりがもてたと言うこと、Dance Partyの券をもう一枚送るとのこと。エジプト五千年史展の前売り券を生協で売っていないか調べて報せて欲しいとのこと。

1963.2.24 Sunday ◆一好兄さんから葉書がきた。
「卒業前で何かと多忙なことと思います。この前からお便り写真など有り難う。ところで何日頃帰りますか。君が勤めに出始めたらなかなか会う機会もないだろうと思うのでその前に一晩ゆっくり一杯やっておきたいと思っています故に一晩でも二晩でもいいから長崎に泊まる予定をもって帰るように頼む。これは兄貴命令だよ。僕の方はいつでもいいから帰りに直行でもいいよ。話はその時にするよ。この便りが着くまで君が在京しているか心配しつつ書いている。では残された日々をあらゆる面に於いて有効に充実させられるよう祈ります。待っているからね。」

◆長男生まれの僕だけで兄貴が二人いる。二人ともいい人だ。一好兄さんは体躯も堂々として見るからに好漢である.悠揚迫らざるところがあって、他人のことを自分のことより先に考えるtypeの人だ。姉を安心してお頼みできるって感じがする。この文章にもいかにも一好兄さんらしいところが現れている。こんないい兄貴を持った僕は幸せと言わなければならないと思う。自慢するようだけど、僕は人の良さとか持ち味なりをかなり的確に判断できると思う。僕は自分のお眼鏡にかなった人でなければ少しも良くは言わない。きわめてそういう人に冷淡になる。反面、いい人だなと思った人には絶えざる尊敬の念を忘れない。
 性格的に言って要領よく付き合うことはうまくないけれど、そして自分自身が必ずしも相手の人からよい人だと思われているとは思わないけれど、いい人に対しては心を開いてしまう。交わすことがは二言、三言でも僕らは相互の信頼を交換できるような気がする。
 長崎にもこれからはそう帰れなくなる。帰省するのは15日以降になるとは思うけれど一晩二晩無理してでも長崎に泊まってくることにしようと思う。

◆2頁前の日記を書いてから東大へ行って食堂で<スキヤキ>を食べた。そこで駒野君に会いM会の委員会室に文集編集委員たちを尋ねてみた。園田、平出両君に、片村、村上の両嬢が熱心に原稿を切ったり、謄写の仕事をやっている。村上さんと少々女性と職場の関係などで話し合う。6時頃みんなと帰る。片村さんと本郷三丁目まで話しながら歩いた。

◆DancePartyの券のことで松本に電話した。近藤のところに遊びに行こうと言うことになってつい今し方まで三人で何やかやと話し込んできた。近藤は司法試験に通るまで東大に残るつもりでいる。<北海道を行くアジア>という130頁ばかりのブックレットができていたが、堂々と委員長として名を連ねている。アジア留学生の北海道旅行の委員長だ。とにかく150万円の金を動かして4、50名あまりの留学生を北海道旅行させた統帥力は見上げたものだと思う。松本は大学四年間のうち一年間を闘病生活のためベッドの上で送ったが少しもいじけたところもなく明るくみんなと一緒に卒業できることになった。就職先は東洋高圧。3月2日にDancePartyに一緒に行くことにした。
◆この2、3日少々暖かい日が続いている。

1963.2.24 Sunday ◆1月24日に戴いたお手紙に対するお返事を書こうと思ってペンをとったら、それが丁度一月後の2月24日だったのですから少々不思議な気がします。不思議がっているよりはこんなに遅くなってしまったお返事のお詫びの方を先にするのが物の順序というものなのでしょうね。これでは日本男性のエチケットが世界的なlevelから相当ズレていると言われても仕方ないなあとまたまた妙なところで感心してしまいました。
 このお手紙が届く頃はあなたの方も試験が終わってほっとしていらっしゃるか、後二つ三つ残すのみで最後の追い込みに励んでいらっしゃるところではないかと思います。
 いずれにしても
「お疲れの頭の気分転換に読んで下さいませ」というあなたの時宜を得たお便りに比べれば同じようなことを申し上げても大してお役に立てそうになくて申し訳なく思っております。
 僕の方はもう試験は終わりましたけれど
「最後の学生時代の試験を会心の出来で終わらせられますように」
とのあなたの思いやりにあふれたお言葉にはあまり添えなかったような気がします。
 勿論会心かどうかは主観的なものと客観的なものがあって、試験の結果が出なければ客観的なことは言えないのでしょうが。
 主観的には会心の出来のつもりでも、客観的には全然ダメなことはよくありがちなことですけど、主観的にもダメなものなら客観的には一層ダメなものになる公算はそれ以上に高いような気がします。
 なんだか妙な理屈をこねてしまったようですけど、試験答案にもこれほど理屈っぽいことを書いたことのない僕としてはせいぜいつとめて見てもこれくらい理屈っぽいことをいうのが精一杯のようで、これ以上理屈をこねたらHegelの文章みたいに全然意味の通じないものになってしまいそうです。
 あなたは、先便にこんなことを書いたのを覚えていますか。
「あのスキーの講習会はすごくすごく楽しかったけれど、あの思い出と一度自分もスキーをはいた事があるという経験の喜びを大切にしまっておいてもうそれほど行きたいと思いません」と。
 あなたのお気持ちが非常に良くわかるような気がします。一度だけでいいからそれをやってみたい、と僕らが思うことの多くは大抵一度それをやってしまえば、それだけで満足できてそれ以上やってみたいとはあまり思わないようなことなのではないでしょうか。たとえて言えば、僕がある有名な女優さんに一度だけでいいから会ってみたと思いその願いが叶えられたとしても、その大スターに二度も三度も会ってみたいとは思わないように。
 人生は短く力と時間には限りがあるとするならば、僕らは自分の性向が根源的に求めていること以外のものには、それほど時間と力とを割くことはできないのではないかと思います。
 僕はこれまでスキーを一度もやったことがなく、その楽しさを味わったことはありません。それで実際スキーをやった後であなたを同じような気持ちを味わいうるかどうかはわかりませんが、もし同じような気持ちになったとしたら、その気持ちをうまく論理的に説明することは出来ないでしょうけれど、その気持ちの背後には前にも言ったような自分自身にとって何かしらもっとぴったりなものの中により多くの生き甲斐を見出したいという思いが隠されているのではないかと思うのです。
 僕らはすごくすごく楽しいことを数多く知っています。それでも人生がそうしたすごくすごく楽しいことのみで埋め尽くし得ないものであることもまた知っているのです。
 すごくすごく楽しいものの多くは一度だけの経験で人生には充分間に合うものが多いような気がします。人により考え方の違いにより人生の中にすごくすごく楽しいことをどれほど取り入れるか、どんなものを取り上げるかは異なることでしょう。しかしどんな人でも全てのすごくすごく楽しいことを人生の中に持ち込み、幾度も繰り返し味わうようなことはできないことでしょう。
 絵を描くことがすごくすごく楽しい人が画家になったら一番幸せといえるのかも知れません。しかし彼にとっても、すごくすごく楽しいことは絵を描くことのみではないかも知れません。いや非常に沢山あることでしょう。しかし、その沢山のものの中から彼は幾つかを選択して味わねばならないはずです。その中で比較的繰り返して味わえるものが彼にとって趣味と呼ばれるものになるでしょう。そして大方のすごくすごく楽しいものは、一度切りの経験の喜びを大切にしまっておくということになるのではないでしょうか。
 先にも言ったように人生はすごくすごく楽しいことのみで埋め尽くしうるものでもなければ、生きていくためにはすごくすごく楽しいことばかりをやっていくわけにもいかないでしょう。しかしながら、僕らが職業を選ぶ場合にもこういう方面からの考慮が非常に多く働いているように思われます。生活を維持できる限度内で、できるだけ自分にとって楽しいと思われるような仕事を人々は自分の価値観に従って選択しているようです。
 僕ら男性はそうしたものとして職業に非常に大きく拘束されながら、一度切りの楽しみをもあれやこれやと味わいながら、人生の内容をできるだけ豊かにしようと努めるのではないかと思うのです。
 あなたのスキーのお話からついつい筆の勢いで妙なところに来てしまい、少々堅苦しく辻褄の合わないことを長く書きすぎてしまったようですが、僕の言わんとするところは少しはわかっていただけたかと思います。
 あなたが、20才になっての抱負をいつまでも忘れないで未来にあふれるばかりの望みをかけ、若々しく明るく生きていって欲しいと念じております。
 あなたの試験の成績については僕などが横合いから口を挟むまでもなく、結果をして語らしめよ。きっと優秀なあなたのこと、安心していらっしゃることでしょうから、何も申し上げないことに致しました。昨日今日と2月の冷たい空気の中にも何かしら春らしい暖かみが感じられる日が続いておりますが、これからは日一日と暖かくなっていくことだろうと思います。3月もついそこまで来ているようです。
 試験が終わってお暇な時がありましたら、ご一緒に初春の街に出てみませんか。
 いずれお電話でも差し上げたいと思います。いつものことながら、乱文乱筆お許し下さいませ。春休みもあれやこれやと楽しいスケジュールで一杯のことでしょう。
 お元気で楽しい毎日をお送りになりますように。
2月24日   阿部 毅一郎(便箋6枚)

 


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