◆私の日記は常に東京ー島原間を往復する運命を担ってきた。また島原と東京以外で記される運命を担わされなかった、と言ってもよい。しかし、こうして必ず一つの日記帳は島原東京間の記憶をもっているのであるが、この次から記される日記は果たしてそれと同じ経験を持ちうることになるだろうか。
3月26日の午前7時26分に東京に着いた。25日の朝9時15分に博多駅を発ってから22時間余りの旅行だった。24日朝8時20分発の大牟田行きの汽船で家族全員に見送ってもらって美しいわが故郷を後にした。ほんとうに船窓からの島原は素晴らしい眺めだった。終生と言っては言い過ぎかも知れないにしても、忘れがたい景色だった。あの青い波。九十九島の緑の松の木立。森岳城の櫓がいつまでも白く光って見えた。慈愛に満ちてやさしく島原を見下ろしている眉山、それが次第次第に背後にある普賢岳の大きさの前に目立たなくなると女性的な得も言われぬ滑らかなスロープで島原半島は画されて見える。
と、船は相当の沖合に出たとみえて折からの強風に波しぶきが船窓を洗い、室内にまで入り込んで来て、ゆっくり景色を楽しむどころではなくなってしまった。同行のK.Kさんもあまり気分がよくないらしい。船室の真ん中のの椅子に席を移す。うつらうつらして、目が覚めてみると大牟田に着いているのだった。
◆”いよいよ”という言葉をこれほどの感慨を込めて記したことはこれまでついぞなかったような気がする。明日が卒業式なのだ。いよいよ我が学生時代も明日かぎりで終わるのだ。今日卒業記念アルバムを買ってきて一枚一枚めくってみた。あふれるばかりの懐かしさが僕の胸の中を去来するのをどうしようもなかった。
思い出よ。僕にとってそれは消えていってはならないものだ。いつまでもいつまでも僕の心の中に生きておいておくれ。学窓を巣立ち波高い世の中を泳ぎわたるのに疲れたそのつかの間の憩いの時のためにも、僕は学生時代の思い出を大切にしたいと思う。
すべては時のしもべにして
この時の采配の下に統べられ
今日の悲運は明日は忘れられ
今日のわが身は明日は省みられず
明日のわが身は
思うも愚か
時は死をも従えるものならば
ああ、時というこの逆戻りすることの出来ない大きな流れに押し流されながら今日はここまで来てしまった。明日は卒業式だ。
またある日思うことだろう。おお就職してからもう2週間になるのかと。
そしてまたある日おやおやいつの間にやら就職以来30年もの長い月日が経ってしまっているようだ、と。
時よ、僕にはお前に挑戦する気力も冒険心もない。いや僕は挑戦するほど愚かではないのだ。我々が意識的に従おうと従うまいとお前にとってそれは無意味なのだ。この世で唯一人絶対的な権力を握っているお前に挑む方が間違っている。お前の権力の前でキリキリ舞いをさせられている僕らがそれをいかなる修飾語で飾ってみても無駄なことだ。従う。従わぬ。しもべになる。ならぬ、と、それを言ってみても仕方のないことだ。いつか我々は死の床にこの時の手によって運ばれていく運命にある。そのことだけを知って、この時という冷淡な支配者のやり口にできるだけ通暁するのが一番だ。
3月28日という日は、もう4年も前から僕にとって卒業式の日であると予測できたはずだ。そして30年たったある日は、僕は通産省を辞める日になるであろうことは今予測できることだ。そして60年もたたぬうちにこの僕はこの世から消えて行くであろうことも。
そうだ。かかるものとして人生をとらえることを学ぼう。一日一日を悔いなからしめんために人生の短さを理解しておこう。こうして学生時代ががむしゃらにこの僕からむしり取られていく時、今こそこの時の冷酷さを十分理解しておくべきだ。その時が来てしまってからは、まさしく遅すぎるのだ。我々が生命を与えられたこのわずかな時間を限りなく豊かなものにしたいと望めばこそ、この僕はある時期が失われていくことに大きな悲しみを覚えずにはいられない。それでもまた反面、この短い人生をうまく区分して有効に利用するためにはあまりに一時期が長すぎるのも考えものかもしれない。この二つの望みを同時に充たすためには、とにかく一瞬一瞬を出来るかぎり有効に、豊かに使うより方法はなさそうである。
学生時代は明日で終わる。それはかぎりなく寂しい。しかしまた新しい人生が開ける。それはかぎりなく嬉しい。さあ、この短い人生をより豊かに生きてゆこう。 |