日記の部屋1963(7)/Diary1963(7)

(2000/4/16開設:since April 16,2000)
 (1963/4/16記)今朝、起きがけに急に昔の日記が読みたくなった。寝室の隣の書庫へ行き、薄暗い中で本棚の一角にたむろする日記帳の中から無作為に一冊抜き取ってきた。それが、1963年の正月17日からの日記だった。大学4年生、もうすぐ大学を卒業して社会人として新しい一歩を踏み出そうとする頃のものである。37年も前の日記であるが、読んでみるとなかなか面白い。思わず引き込まれてしまった。40年近く経つと大抵のものは時効であろう。これを公開しても差し支えることはもうそれほどあるまい。そこで、自分の半生の回顧と整理を兼ね、この部屋に掲載していくことにした。もし、読んで、登場する人物や言及されたエピソードなどに思い当たる人は下記に是非メールを下さい。
日記の部屋1963目次へ
1963(01)へ、1963(02)へ、1963(03)へ、1963(04)へ、1963(05)へ、1963(06)へ1963(07)へ1963(08)へ


メールアドレス

akybe@air.linkclub.or.jp


目次
1963/1/17 1963/1/20 1963/1/23 1963/1/24 1963/1/25 1963/1/26 1963/1/29 1963/2/1 1963/2/2 1963/2/3
1963/2/4 1963/2/7 1963/2/10 1963/2/13 1963/2/14 1963/2/18 1963/2/21 1963/2/22 1963/2/23 1963/2/24
1963/2/24-2 1963/2/25 1963/3/2 1963/3/4 1963/3/5 1963/3/10 1963/3/20 1963/3/27 1963/5/18 1963/5/28
1963/6/8 1963/6/9 1963/6/11 1963/6/13 1963/6/16 1963/6/30 1963/7/1 1963/7/6 1963/7/7 1963/7/19-1
1963/7/19-2 1963/7/19-3 1963/7/19-4 1963/7/20 1963/7/22 1963/7/23-1 1963/7.23-2 1963/7/25 1963/7/26 続く

(2000/5/2掲載)
年月日 曜日 日記本文
1963.7.19 Friday ◆6日以来日記には2週間の空白がある。その空白を埋めるのは、どうして2週間も日記が書かれなかったかの理由を述べれば大方片が付く。まず日を追って簡潔にその間に起こったことを記せば、
  
  7月10日 盲腸のために虎ノ門病院に入院
  7月18日 同病院を退院

ということになる。あまり簡潔すぎるであろうか。とにかくもこれだけ書けば日記をお留守にしなければならなかった訳が分かって貰えることだろう。とは言いながら僕は日記を完全にお留守にしたとは思わない。病院でノートを一冊買っていろんなことを記してきた。暇があればこの日記帳に転記しておきたいが、なにせ転記する作業ぐらいつまらない仕事はない。僕はすぐ飽いてしまいかねぬ。できるだけの努力はやってみるつもりだけれど。その方の日記によれば毎日見舞いにやって来てくれた人の名簿ができる。手始めにそれを以下に記しておこう。

7月10日  小島
  11日  小島、叔父、秋山、庄野、西川、川口、高島、岡部、横堀、長田、佐伯、N.S嬢
  12日  小島、阿久津、後藤、吉沢、横堀、庄野
 Yokobori brings me some books(Butsutri no Sanpomichi,etc.)
Shono brings me Pajama,Yutaka and etc.
13日(土)小野、岡部、高島、伊沢、山下、藤本、牧野、高沢、関野、西川、長田、麻生、佐伯、秋山、庄野、川嶋、横堀、小島
tel to Izawa

38年入省者一同 :果物籠
37年入省者一同 :カルピス詰め合わせ
伊沢      :バナナ

14日(日)なし tel to KH,MW
15日 清水、小島、叔父、叔母、麻紀ちゃん、N.S嬢

叔父:カステラ、リーフパイ、
N.S嬢:香港フラワー

16日(火)池松、吉沢、庄野、小島、横堀

17日(水) 小島、横堀
tel to Tomita,K.S and Adekawa

18日(木)退院
     小島
伊藤さん:500円

◆入院中に戸崎君に一通、父宛に2通、母へ一通手紙を書いた。
パルムの僧院も庄野君に本を持ってきて貰って読み上げた。17日の日記を見ればその感想が記されている。同じ日にこんな詩が記録されている。

秘密の花園
 あなたの秘密の花園に
 こっそり一人忍び込み
 見つけて二つの大きなぼたん
 かわたれどきの夕闇に
 豊かに白く輝いて
 さやかにそよぐ夕風に
 静かにゆるく揺れていた

 あなたの秘密の花園に
 こっそり一人忍び入り
 茂みの陰に密やかに 
 香りも彩に咲きにおう
 恥じらい深き紅バラの
 血に染む赤きくちびるを
 闇にまぎれて盗まなん

同じく14日にはこんな詩が

白いバラ
 青磁の花瓶に
 白いバラの花
 蛍光灯の光に映えて
 慎み深い
 その清純さ
 ビロードの
 やわらかいかげりの
 ひとひら
 こぼれ落ちて
 便箋の上
 Dear Noriko...(I l ve ou)
おお...
 にじんだ
 青いインク
 花びらのかげに
 隠れていた
 ひとしずくの
 涙に

◆入院中は実に多くの人のお世話になった。
見舞いに来てくれた人の中に小島さんの名が毎日見られるように小島さんにはなにかとお世話になった。本当に根から親切な真面目な人だ。心から感謝しなければならない。入院するときも一切の世話を焼いて下さったし、身の回りの細々した必需品を気を利かして持ってきて下さるし毎日忙しい中を見舞って下さるし至れり尽くせりの申し上げては失礼かもしれないが、そんな親切振りだった。「これで君ともうまくやっていけそうだ。お互いの人柄も良くわかって」と。これが今度の入院の持った一つの大きな意義であり、このことは他の同輩の友人たちについても言えることなのだ。
 庄野君は鈴木さん宅(すなわち僕の下宿)に2度まで行って、パジャマとかゆかたとか書物とか色んなものの運搬係を喜んで引き受けてくれた。昨夜奥さんとお話ししたら、「私の好きなタイプの方です。なんだか繊細な感じのする東大法学部出の方ではないような...」と大変誉めていらっしゃった。第一印象がとっても良かったのだそうだ。さもありなん。彼は全くの好人物、人のためには何でもやるといった人間なのだ。彼にも本当にお世話になった。
 横堀も良く訪ねてきてくれた。しかし、それがいかにも彼らしい。「いや、何でもないんだ。ちょっとブラっと立ち寄ってみただけなんだ」という言葉とともに現れるのである。本を3冊持ってきてくれたけれど、彼らしい選択で「物理の散歩道」」日本語の起源」「台湾の表情」。一番最初のだけは病院で読み終えた。
 高島も話しにやってきてくれた。彼の人柄には人を引きつけるものがある。話もなかなか面白いし、なんだか独特の味のある人物である。昨夜もバナナを手みやげに僕の下宿まで来てくれた。良く気の利く男でもあるのだ。彼には京都大学の大学院で学びつつある許嫁がある。彼より年上だという。我らが同輩のうちで最も早く結婚し、最も幸福な家庭を築くことだろう。
 清水が持ってきてくれた写真の中に旅行中旅館で酒を飲んで踊っている彼の大写しの一枚がある。いかにも彼らしい感じの溢れたいい写真だ。その話を昨夜したら、また彼らしく「イヤー」と頭をかいて大きく笑った。イイ奴ダナ、と思った。
 伊沢も土曜日にバナナをもってやってきてくれた。彼とは駒場寮時代のつき合いでもう何も言うこともないが。少々まだ子供っぽいところが残っている。酒の味がまだわからないという。勝負事は一切だめ。もう少しズブトクなってもらいたいものだと僕の方では思っている。昨夜も来たが人前では少々大人しくなってしまう。高島とは昨夜で3度会っていることになるが、何となく照れているようなところがある。少々この僕が指導してやらねばと思う。
 高島も伊沢も碁を習いたいと言っている。日曜日ごとに碁会でも開くことにしようかと思っている。
 秋山も好きな奴の一人だ。彼には育ちの良さがある。彼の親父さんは羽田空港ビルのPresidentだ。昨夜電話したとき、The
Japan TimesのJuly 15 の6、7pageには、Tokyo Int'l Airport Building Reported, Expandedという記事があって君のお父さんの写真が出ていると話したら、そうか今度見せてくれと言っていた。子供っぽいようなところがあって、反面酒は無類に強く、いろんな話をよく知っている。他人のために労を惜しまない。体格が良くて豪快に笑う。独特の風格がある。
 

 

1963.7.19 Friday ◆恋の感動ーこの魂から咲き出でる花を養うためには、「孤独」の冷たくひそやかな水を措いてない。
(クサンティス、世界短編文学全集フランス19世紀(p.385)

◆集英社版世界短編文学全集の第六巻フランス文学19世紀を今日やっと読み上げた。大変なボリュームの一巻ではあった。23編の短編が収められているが一つ一つそれぞれに異なっていて読みごたえがあった。作者の中には、これまでフランス文学には造詣の極めて浅かった僕にとって初耳の人も何人かいた。しかし、フランス文学の19世紀といえば、そのもっとも絢爛たる世紀である。その一人の全作品を完全に読み通すことも不可能のような巨匠が綺羅星のごとく並び輝いているのだ。収録されている作家の名を連記すれば
バルザック(Balzac),Stendhal,Musset,Merimee,Gautier,P.Bool,G.D.Nerval,C.Baudelaire,J,A de Gobineau,G.Flaubert,H-R-A Guy de Maupassant,A.Daudet,J.B.D'Aurevilly,A.de Villiers de l'Isle-Adam,J.Laforque,A.Samain,PLouys etSchwob.
Nervalのシルヴィについては入院中にちょっとした感想文を書いている。一編一編についてそれぞれ感想を記すことは大変意義のあることと思うけれど暇と努力が足りぬ。それぞれに心を打つものがあったことだけを記しておこう。今日読んだもののうちでは「黄金仮面の王」が思想的な意味で大変印象深いものであることを記しておく。
 

1963.7.19 Thursday ◆N.S嬢には驚いた。これまで会ったどんな女の子とも違っている。オチャメッケが旺盛で、いたずらっぽいほほえみが魅力的な女だ。突然こんなことを言い出しかねない人柄なのだ。
ーあなたと私の間に何があるかしら、と。
 大概の男なら女の人からこんなことを面と向かって尋ねられたら少々ギョッとするものだ。
 そしてあらぬ方向に思考を走らせて思わずニヤニヤとしてしまう。そのことについては既に実証済みである。英会話の研修中に我らが教授陣にこれと同種の質問を浴びせかけてみた。
"What is there between you and your wife?'"
Mr.Pyeは当年26歳、教授陣中最も若くドイツ人の女性とつい先頃結婚したばかりの人だ。ケンブリッジ出身の色の白いなかなかハンサムな好青年だが、この質問にたちまち顔を赤らめ、口にくわえたマドロスパイプを大急ぎで手にとって"Nothing!nothing!"と叫んだものだ。
 Mr.Stanleyは60年配の見るからにイギリス紳士だ。ゆっくりとした話しぶり、ユーモア、その明るい笑顔、そこには何となく人を引きつけるものがある。ところがなかなかに人の悪い質問を浴びせかけて、我々生徒を煙に巻くのがお気に入りらしくて、我々としても負けてばかりはいられず、かねて復讐をたくらんでいた矢先である。N.S嬢の質問が我々に有利な材料を提供してくれることになった。さすがの”いじわるジイサン”もこの質問には困ったらしい。
"Three kilometers."
と答えてきた。そこで我々は勝ち誇って
"Think in English!"
と言ったものだ。まさにMr.Stanleyのお株を奪った観があった。
 N.S嬢の話から大幅に脱線してしまったけれど、彼女はそんな質問を浴びせかけた後で例によっていたずらっぽく笑って、戸惑っている僕の方を上目遣いにチラッと見て、
”と”よ。
と種明かしをする。”えっ”と聞き返しかけて、僕の方も合点が行く。Mr.PyeもMr.Stanleyも"and"である、と答えれば正解だったわけである。
 こんなお茶目な彼女を好きにならずにはいられないのはごく当たり前の男性心理である。
 色々と話題豊富で話していても飽きが来ない。自分だけでペラペラと話さなければならないような相手では、おつきあいしかねるけれどN.S嬢ならこの点まず心配ない。 
 初めて会ったのはPrivateなDance Partyの会場でである。入り口で渡されたパートナー捜しのおみくじでは僕はO嬢とcoupleになることになっていた。O嬢もいい人ではあったけれど、なにせ踊りの実力が僕とはあまりに開きすぎている。彼女の方から「悪いから他の人と踊りになって下さい」と言ってくれたから、彼女のもとを離れて、テーブルの上に置かれたサンドイッチやチーズクラッカーなどをつまみながら、しばらくブラブラしていたら、部屋の片側の方のテーブルから僕の側にやってきた二人連れがいる。一方は大柄な背の高い人、もう一方は少々小柄でちょっときれいな感じの人。この二人、僕のすぐそばでサンドイッチをつまみだした。その時よっぽど申し込もうかと思ったのだけれど、ついとそのテーブルを離れて会場の入り口のところのテーブルに行き、その上に署名された入場者50名ばかりの名前を興味ありげに眺めやっていた。さてそろそろ踊ろうかと回れ右をしたら彼女たちはさっきのところにいる。どうやらパートナーはいないらしい。そこでつかつかと小柄な方の女性に歩み寄り《踊っていただけませんか》と言ったのである。
 彼女たちが僕の方に近づいて来たときから彼女たちの意図はある程度わかっていた。だから僕のプロポーズにいささか彼女が下向きかげんの生真面目な顔をしたのも意識していたことを証明するようなものであった。
 僕らは踊った。彼女はかなりうまく僕のステップに上手に乗ってくれるのだ。そのDancePartyはprivateなものであったから最初から友好的な雰囲気があふれていた。そんなわけで僕らが打ち解け合うにはそれほど時間がかからなかった。2、3曲目には気のあった同士のように話し合っていた。5、6曲踊ったら彼女の方から”休んで何か飲みましょうよ”と言い出した。二人でカクテルを作って飲んだ。彼女のそんな態度も何となく魅力に富んでいた。はしゃぐようにして僕らはテーブルの間を歩き回り、氷を割り、ジンの蓋を開け、オレンジジュースをコップに注いだ。それからまた一時二人で踊りまくった。その夜一番の踊り手の栄誉が僕らの上に輝いていることをみんなの視線の中に感じながら、足取りも軽やかに踊りまくった。踊りの種目の決定権を僕らが握っているみたいなもので、僕らがルンバで踊り出すとみんなもルンバで踊りだすぐあいだった。
 少々くたびれてテラスに出た。彼女とはもう本当に良い友達になった感じだった。彼女のあの巧妙ななぞなぞもこうした折々に飛び出してきては話に興を添えるのだった。
 ロシアではね、と彼女は真面目に切り出すのである。お茶のことをチャイと言うんですって。そしてコーヒーのことコフと言うんですって。とまるで本気なのである。ところでお茶もコーヒーもスキですってロシア語で何というか知ってる?
 僕が真面目な顔をして考えていると、
”チャイコフスキー”と言ってゆるやかに大らかに笑うのである。アハハハと彼女はまったくゆっくりと笑う。こんな彼女にコイツと追っかけていって殴ってやりたいような愛しさに駆られてしまう。
 その夜は彼女の降りる駅まで一緒に行った。下北沢の駅で電車を待つ間に彼女の住所と電話番号を教えてもらった。名前の方はすでに会場入り口の著名の前まで彼女を連れて行って、この中のどれ、というふうにして聞き出しておいた。彼女は僕と踊り始める前まではローマ字のみでsignしておいたのに僕と踊り始めてからはちょっとしたすきにそこまで行って自分の名前を漢字で記していたのだ。
「さっきは書いてなかったじゃない」
と僕が言うとなぜだか恥ずかしそうに微笑んだ彼女なのだ。
 Partyから3日目ぐらいに初めてデートした。彼女はその日はごくありふれた白っぽいブラウスを着、ローヒールを履いていて普通のBGと少しも変わらなかった。Partyの時の方がずっときれいに見えたと思った。新橋の白馬車という純喫茶で2時間余り話し合った。途中から英会話になった。その2時間で僕らは相当に打ち解け合えたように思う。お互いに軽い冗談で相手をけなし合えるほどになった。
ナントオツムガヨワインダロウ。キミハボクヨリヨワイノダカラYou must obey me!

ところが彼女とのデートはこれっきりとなった。研修旅行で約一週間潰れた。7月1日はデートの約束をしたのに彼女の秘書という職業柄約束の時間に来ることができなくなってしまったのだ。40分も待ってやったのだから僕としては精一杯のことはしたわけだ。その5分ぐらい後で彼女はやってきたらしい。明くる日ぐらいから彼女はそれの因果か風邪をひいてしまった。会社の都合、彼女の都合、僕の都合とかで、デートもできぬままに僕の方が今度は入院してしまった。ところが入院2日目の8時近く、彼女がひょっこり僕の病院に現れたのである。見舞い時間は8時までときている。5分しかない。7時に地下鉄の虎ノ門で降りながら、さんざん探し回ってやっと今着いたのだそうだ。
 僕の方もその日は昨日切ったばかりのお腹はまだ相当痛いしロビーまで行く元気もなく、見舞い時間などの規則などチンプンカンプンだったので、彼女が8時少々過ぎに早々と名残惜しくも帰って行くのを手をこまねいて見送ったのだ。
 昨夜あなたのところに電話したら入院したっておっしゃるでしょう。驚いちゃったわ。ああ暑いわ。とカーディガンを一枚脱いで、さんざん苦労したのよ。ここに来るのに。彼女は袖無しの白いブラウスを着て僕のベッドのすぐそばに立った。僕はベッドに寝転がって彼女を見上げた。僕のまっすぐな視線が少々眩しそうな彼女だった。その夜の彼女はダンスパーティの時ぐらい美しかった。袖無しのブラウスから出ている彼女の白い大きな腕には心をそそるものがあった。
 また、来るわ、と行ってその夜はあわてて帰って行った彼女は、約束通り月曜日に再びやって来てくれた。
 病室の入り口に現れた彼女は、他人かと思うほど美しく見えた。クリーム色のツーピースが良く似合っていた。笑いがまるでこぼれるようで新鮮だった。僕は抱き締めたいほどの思いを込めて彼女を見つめた。そのきつい視線にややたじろいで、彼女のまぶたはややおずおずと僕の視線を遮ってしまうのだ。でも僕らの親しみはつのる一方のように思われた。
 彼女はお見舞いにHongKong Flowerとカップ状のガラス製の花器を持ってきてくれた。彼女の優しい心遣いは何よりだった。
 僕と彼女との間には何か共通する要素が多くあるような気がする。そして我々のつき合いは大人同士のそれとしての要素を多分に含んでいるようだ。彼女の茶目っ気。おしゃべり好き。話術の巧みさ。気取らない素直さ。そうしたものを僕もかなり持っているように思う。つき合いの期間は短いけれど、その親しみの度合いは、幾何級数的に深まりつつあるように思う。もちろん、この判断の中には僕の願望も込められているのだろうけれど、それほど間違ってもいまいと思う。彼女となら毎日でも会いたい気がする。それでも飽きないだろう。毎日何かしら新しい魅力を僕は彼女の中に見つけだすだろう。
 N.S嬢が一体どんな人であるか、君はこの僕の文章の中からいくらかでもイメージを描き出し得たであろうか。7月7日が彼女の誕生日で今年で23歳になったはずである。七夕の日に生まれた彼女に祝福あれ。そして我らが前途にも。
(8月8日:7月7日が彼女の誕生日であるというのは訂正しなければならない。9月14日がそうである。彼女はまだ23歳になっていない。22歳と11ヶ月になりかかっているに過ぎない。)

1963.7.19 Friday 明日は土曜日だ。
午後6時からスケジュールは埋まっている。
鈴木妙子夫人からのご招待で出かけることになっている。前に下宿していた熊本県出身で一橋大出の第一銀行に勤めている人がやって来るというので御同伴を仰せつかったわけだ。少々そっけない話しぶりながらも、何かと気を遣って下さるような妙子夫人である。ありがたくお受けした次第である。
1963.7.20 Saturday ◆虎ノ門病院に駆けつけた後の話である。
耐えがたいような腹痛が襲ってきた。居ても立ってもいられない痛みとはあのことを言うのだろう。陣痛とはかかるものだろうか、とか弱き女性に対する同情が湧いてくる。
 さて、このように激しい痛みの中で哲学的瞑想に耽られるものだろうか、と自然科学的実証精神が私の心を支配し始める。まさに今がその実験のチャンスである。全身を突き抜けるような痛みの中でその痛みとは全く関係のないことを頭では考えようとしてみたのである。結果は出来ることは出来ると一応言えないことはない。しかしである。きっと精神的錯乱を来すような精神的にも激しい苦痛を伴ってやっと出来るというような有様であった。私は大急ぎでそうした哲学的瞑想をうち切り、我が肉体的苦痛に多大の関心を注ぐべく精神のチャンネルを切り替え、少なくとも精神的苦痛の方だけは免れたのであった。

 思うに、肉体的にしろ、精神的にしろ、その苦痛がある程度以上の激しいものになると、肉体的苦痛は精神がそれに集中されるのを要求し、精神的苦痛も肉体の存在感覚を奪い去ってしまうもののように思われる。激しい失恋の悲しみにかられると、自分が何をやっているかもわからずに机をどかんどかんとたたきつけたり、茨の中を無数の傷をもものともせず、ずんずん進んでいくような現象を呈する。人間の身体はこうして精神と肉体がバランスを取るような仕組みになっていて精神は精神、肉体は肉体と簡単には切り離しがたいものなのだ。小指の先をちょっぴり怪我をしていても面白い映画に夢中になれる。しかし両足を切断した痛みの中では、たとえ恋人の甘い接吻ですら全てを忘れさせてはくれまい。
 僕はかかる哲学的瞑想を盲腸の痛みの中でやってみようとしていたわけである。健気なるかな!

1963.7.22 Monday  ◆盲腸のあかげで今日も休日である。
木曜日に退院してから今日まで何をやったか、かいつまんで記しておこう。もう休みは今日で13日目、退院以来5日目である。
 木曜日は高島、伊沢両君が夜訪ねてきてくれた。
 金曜日は大変涼しい日であったように思う。日記などを書いて一日暮らしたように思う。
 土曜日は吉祥寺の鈴木さんに夕食のご招待を受けた。ボリューム豊かなビフテキは美味かった。ナイフを入れると血が滴るような、そんなビフテキだった。第一銀行に勤めている高橋という人が二人と鈴木夫妻それに僕の五人のパーティであった。楽しかったし、久し振りに家庭料理にありついて大いに食べた。おつけものは大好物だったから「外食では滅多に食べられないでしょう」という妙子夫人の言葉に甘えてバリバリと遠慮なしにいただいた。36年卒の高橋さんは碁をお打ちになるというので、僕が白番で一局打った。僕の中押し勝ちに終わったが、最後の見損じが相手になければ僕の勝ちは動かないにしても、10目以内の小差だったはずである。鈴木氏も初段格の腕前だそうである。そのうちにお教えを乞いたいものである。
 昨日日曜日は近所の碁会所に出かけて一日中碁を打っていた。碁会所のおじさんに四子置いて打って貰ったが一局も勝てなかった。2目差、8目差、13目差ぐらいまではいくのだがどうにもならない。その後で同じぐらいの力量の人と打ったが、黒、白、黒で1目差、中押し、13目差と3局とも勝った。
 今日は今から少々やることがある。それはまた後で話そう。
日記の部屋1963目次へ
1963(01)へ、1963(02)へ、1963(03)へ、1963(04)へ、1963(05)へ、1963(06)へ1963(07)へ1963(08)へ
トップへ