◆月曜日は、日記を書いてから叔父の家に遊びに行った。
その日はオールスター第一戦だったので試合終了までテレビで観戦し、その後で碁を打った。七回戦って3勝4敗。対戦成績は良くないが、○××○××○というぐあいにうまく勝ったので三連敗を免れ、4子のハンディを維持した。一晩泊めて貰って昨日は、11時頃叔父の家を出て、映画”南太平洋”を見てきた。ミュージカルものはそれぞれに楽しいが南太平洋よりはオクラホマの方がミュージカルとしては優れているように思われた。
◆六時半頃N.Sさんがやってきた。三鷹駅の北口まで迎えに出た。白のオーバーブラウスと、紺のフレヤースカートの軽装だ。彼女の顔は見るたびに違ったように見える。北口のベンチで座っていた彼女を見て、言葉をかけるのに少々戸惑ったぐらいだった。この下宿に変わってから初めての女性の客である。奥さんがカルピスとお菓子を持ってきて下さったので紹介した。いつものことだから本当に頭が下がる。友達がやってくると色々世話を焼いて下さる。こんなに親切な方は滅多にあるまいと思う。忘れてはならない。
N.Sさんは部屋に入るなり見晴らしが良くていい部屋ねと言う。三方が開いていて風通しも良く、家がくっついていないから遠くまで見渡せる。6時半頃は日は暮れかかっていても景色はまだ色を失っていない。
部屋の中に向き返ると本が沢山あるわねと言って本棚をあさりだした。結局6冊借りていった。その一覧表が僕の机の前の壁に鋲で止めてある。彼女が慣れない手つきでタイプを打って作ったものだ。慣れない手つきとはいったものの、彼女の秘書業はそれで事足りているらしい。色々と楽しく語らい、飲み食いしている間にたちまち2時間たってしまった。彼女を新宿まで送っていった。
◆僕は自分自身の成長を希っている23歳の若者だ。
今日よりは明日、僕は何かの点でより多くのより優れたものを身につけていたいと願う。そのためにこそ僕は今日努力しなければならないと思う。確かに人生はたやすく生きようと思えばたやすく生きることができるもののように思われる。特に僕の境遇はそんな生き方を可能にしている。就職した以上、職場での仕事に打ち込んでいさえすれば月々の給料は貰える。それで何とか生活して行ける。その日その日の仕事に盲従し、それを大過なくやって行きさえすれば、僕の人生は極めて安定した軌道の上に乗せられた車みたいに、これまでの惰性の力でコットンコットンと規則正しい音を響かせながら、ターミナルまで行き着くことだろう。
だけどそれだけでは僕にはつまらなく思われる。人生に何も波瀾万丈を求めるわけではない。しかし、単なる惰性的な生き方をし、車窓に移り変わる景色の変化をただパッシブに楽しむだけの人生を僕はあまり好まない。日々新たに自分自身の努力によって勝ち得たものを身につけながら一歩一歩歩んでいきたいと思う。僕の人生のコースは現在のところある程度見通しが利く。その意味から言えば。ジャングルの中を道を切り開きながら進まねばならぬほどの困難さはない。ある程度の道はある。しかし、その道を他の人々がやっているように安易に歩んでいくだけのことはしたくないと思うのだ。同じ道を歩むにしても、俳人芭蕉が歩むのと無知な百姓が歩むのでは大いに異なるのである。自分自身を一日一日、一歩一歩進歩せしめるという意欲を持ちながら僕は人生の道を歩んでいきたいとものと思う。
19:00:00
◆お昼過ぎ頃になると僕の下宿には西日が射し込んできて、今日みたいな夏らしく晴れわたった日には居づらくなる。そこで井の頭公園に涼みに行ってみた。木陰と湖とプールとそれに涼風。すっかり暑さを忘れてしまった。プールの側を抜けて中の小島に渡りベンチに腰を下ろしてそこから一番広く見渡せる湖を眺めていた。そのベンチには一人の男がスケッチに余念がなかった。とその男の方から話しかけてきた。
聞けば長崎から夏休みを利用して絵の修行に上京してきた、中学校の先生らしい。何でもお嫁さんは島原高校の出身らしく、その関係で島原のことになかなか詳しい。僕が島原出身だということで二時間ばかりいろいろと語らった。
名前は林田静夫、長崎の式見中学校の教諭、長崎大学美術科卒。卒業してから7年目ぐらいらしい。先生は辞めてもいいから絵一本で生活するのが彼の夢のようだ。だけどこんなことを絵の専門家でもない僕が言っていいかは疑問だけれど、彼には大した才能を認めることはできなかった。ほとんど才能がないと言った方がよさそうに見えた。なぜだか彼の語る言葉の節々に僕は哀れさを感じたのだった。ありもしない才能を自分ではあると思い、一生懸命努めながらもついには大をなさず、そのまま田舎の絵の先生として一生を終わる。そんな行く末が僕の眼裡にまざまざと映るのだった。色に対する感覚がまるでないのだ。自らの中からわき上がってくるような美しい色がないからスケッチブックの中には死んだ色の組み合わせがあるに過ぎない。大胆に描こうとする意欲も、才能に裏付けられていないから単なる奇を衒う手合いのものに終わりかねない。僕は人間が努力することは尊いと思う。しかし、その弱々しいデッサンとあの色彩感覚を持ってしては、イソップの蛙同様お腹をパンクさせてしまうことになりかねないという気がするのだ。 |