目次
1.ポーランドへ=1 2 3 4
2.アンナ=5 6
3.キジ猫=7
4.いたずらな子供たち 8
5.ボイテック一家 9
6.日本大使館10 11
7.タクシー 12
8.肉屋13
9.新しい家14/15(工事中)
電車通りをしばらく行くと、ある店の前に長い人の行列ができていました。
「まあ、ずいぶん長い行列ね。一体何を売っているのかしら」
奥さんがつかつかと歩いて行って、店の中を覗きこみました。
「まあ、お肉屋さんよ。日本のお肉屋さんと全く違うわねえ。重たいドアを開けてお店の中に入って買うみたい。外からじゃショウウィンドウも 見えないわ。でもお肉買うのにこんなに並ばなければならないのかしら。お店の中も人が一杯で、入り切れないので外までこんなに並んでいるのよ」
「ポ―ランドは肉不足で、肉を買うには並ばなければならないとは聞いていたけど、こんなに長い行列とはねえ」
ご主人も感心しています。
「もう飛行機で持ってきたカップラ―メンもほとんど食べちゃったし、お料理の材料が何もないから、何か買ってかえらなくっちゃならないんだ けど、あなたどうする?」
「そうだねえ。今から並らんだんじゃ、二時間以上かかりそうだね。まだカップラ―メンが少し残っているので、今夜もあれで我慢するか」
「でも、チビクロにあげるものが何もないわ。まさか、ラ―メンじゃ可愛そうだし。せっかくチビクロにめぐりあえたのだから何か美味しい物で も買ってあげて、お祝しなければ」
「それじゃ仕方がないから並ぶことにするか」
ご主人一家と僕は一番後ろに並びました。
行列に並んでいるポ―ランド人が振りかえって物珍しそうにじろじろ見ます。
「まあ、日本人かしら。あの二人の子供ときたら、本当に可愛いわねえ」
「髪の毛が真黒くて全然ちぢれてないのねえ。素敵だわ」
「目の色も黒くて、まん丸くて」
とめいめいいろんなことを言っています。
僕らの後にもたちまち行列が出来ました。中にはミコちゃんとひろしくんのところへやってきて、頭を撫ぜるおばさんもいます。ミコちゃんと ひろしくんはちょっぴり嫌そうな顔をして首をちぢめました。
ある男の人は大きなロ―ディポップ(アイスクリ―ム)を持って来てミコちゃんとひろしくんにくれました。ミコちゃんが覚えたてのポ―ラン ド語で 、
「ジェンク―エン」(ありがとう)
と言うと回りの人が一斉にどっと歓声をあげました。
「なかなか 発音が綺麗だ」
とか
「まあ感心ね。あの子ポ―ランド語がはなせるんだね」
とかいっているのです。
僕のところにも、僕の背丈の三倍もありそうな黒い筋肉質の犬が挨拶にやって来ました。
「君は、日本からやってきたのかい」
「そうです」
「僕はミルボというんだ。この近くに住んでいる。これから宜しく頼むよ」
「僕は チビクロと言います。こちらこそ宜しく」
「僕は、いつもご主人のお供をして肉を買いにくるんだ。ほら、二人前に並んでいるあのメガネをかけた白い髪のお婆さんが僕のご主人さ。肉を 買うのがご主人の役目なんだ。一緒に住んでいるご主人の息子さん夫婦は共稼ぎで、二人とも仕事にいかなきゃならないんで、いつも、僕のご主人が肉を買いに くるってわけさ。たいてい二時間は待たなきゃならないんだ。でもご主人は僕の為にいつも美味しい骨を一本よけいに買ってくれるし、こうやって他の犬と世間 話をしていればいいんだし、二時間ぐらいわけはない。それにもう三月、春も近いしね。真冬の霊下十度以上もある、風の強い日はさすがに大変だけどさ」
「そんな寒い日にも並んで待つんですか」
「お肉を食べずにすませられれば別だろうけれどさ。朝の七時半の開店を待って、真冬に徹夜して待つ人もいるんだよ。毛皮のコ―トを着て毛布 にくるまって……」
ミルボの話によると肉不足はもうずうっと長いこと続いていて、ますますひどくなってきているというのです。その分だけ肉屋の前に並ぶ時間 が増えて、この分でいけばそのうち一日中肉屋の前に並びっぱなしになるかも知れないなんて冗談をいうのです。
こうやってミルボと話込んでいるうちに行列は少しずつ前に進み、ミルボのご主人の番になりました。ミルボはとんでいってお婆さんのそばに 並びました。
お婆さんは、丸々太った女店員に
「牛肉二キログラム、豚肉一キログラム、ベ―コン二キログラム、それに大きな骨一本」 と注文しています。
見るとカウンタ―の後ろに大きな牛や豚の肉の塊が幾つもぶら下がっているのです。注文があると女店員はその塊をフックからはずしてきてマ ナイタの上に置き大きなナタで、エィヤッとばかり骨ごと切取るのです。日本の肉屋とは確かに全く様子が違います。ご主人一家も目を皿のようにしてその有様 を見ています。
いよいよご主人一家の番になりました。奥さんは少々もじもじしながら 、
「牛肉三百グラムに豚肉五百グラム」
と英語で注文しました。
「エッ、何だって、わかんないね」
丸々太った女店員は首を傾げています。
そこでご主人が、牛肉の塊を指差して、指を三本立てました。
女店員は分かったというかのようにニッコリ笑うと手頃な牛肉の塊をフックからはずして来て、大きなナタでドスンと音を立てて肉を切取り、 その塊を計りの上に載せました。計りの針は三キログラム百を差しています。
その肉をすばやく紙で包むと、女店員は、
「他に注文は?」 と振返りました。
ご主人は肉の塊の大きさにびっくりして、盛んに指を三本立て、
「三百グラム、三百グラム」
と叫んでいます。すると女店員は、豚肉の方を指差して
「これが欲しいのか」
と聞いています。ご主人は豚肉も欲しいのでそうそうと言い、今度は指を五本全部立てました。
ドスン、ドスン 女店員は、さっきよりもっと大きく肉を切取り、計りの上に載せました。目盛りは五・二キログラムを差しています。
その肉もたちまち紙に包みこまれ、ご主人の目の前にドスンと置かれました。ご主人は顔を真赤にし、違う、違うと手を盛んに振りました。女 店員は、そんなご主人には全く無頓着に、小さな紙の上に五百五十ズォティと書いてご主人に手渡し、会計の係りの所へいって代金を払って来るように言ってい ます。どうも、ポ―ランドでは、キログラム単位でしか肉を買わないらしく、指を五本立てると、店員には五キログラムの注文としか思えないらしいのです。僕 はあまりの行き違いに驚いて
「違います。女店員さん。ご主人は五キログラムじゃなくて五百グラム注文したんですよ」
と思わず叫んでしまいました。
僕が後ろから、いきなり大声を出したのでご主人は跳びあがり、目を丸くして僕の方を振返りました。僕は必死になって、女店員がご主人の五 本の指を五キログラムと取違えていると訴えました。そんな僕を見てご主人は大きくうなずき、
「そうか。チビクロはお肉をたっぷり食べたいんだな。分かったよ。それに五百五十ズォティってことは日本円に直せば四千円足らずってことだ し、東京でお肉を買うのに比べれば目茶目茶に安い。せっかく二時間以上も並んだことだし、このまま全部買って帰ることにするか」
と奥さんに同意を求めました。
そんな訳で、その日は八キログラムの肉を買って帰ることになりました。ご主人が五キログラム、奥さんが三キログラムの包みを手分けして持 ちましたが、
「手がくたびれるほど、お肉を買ったことなんてこれまで一度もなかったわ」
奥さんはなんとなく戸惑ったような、なんとなく幸せそうな、これから始まる新しい生活に対して不安と期待をないまぜたような調子で呟きま
した。