東京大学第一応援歌『闘魂は』 と
最相葉月著『東京大学応援部物語』

掲載日

2003/

9/16


 
 私が大学二年生のときに作詞した東京大学応援歌「闘魂は」は、現在東大の第一応援歌として、神宮球場の六大学野球のときなどに歌われている。

 ノンフィクション作家として著名な最相葉月さんが、東大応援部を取 材して2003年9月「東京大学応援部物語」を集英社から出版され、私が「闘魂は」の作詞者であることを偶然このホームページからお知りになり、同書を私 に贈っていただいた。最相葉月さんからの最初のメール(2003年9月8日)には、こうしたためられていた。

 「阿部様が作詞をされた「闘魂は」がどのように歌われ、彼らにとってどのよう な意味 をもつ応援歌であるかを少しでも知っていただけるのではないかと思っております。大変重要な攻撃場面で歌われる「闘魂は」は大変激しく祈りにも似た歌でし た。」

 このメールから発展したその後の交流の模様をここでは紹介しております。


 
 
[東大第一応援歌『闘魂 は』の世界]
2006.4.26

 新しく [東大第一応援歌『闘魂 は』の世界]をアップしました。Googleで<応援歌 闘魂は>というキーワードで検索したところ、思いがけない世界が広がっていることを発見 しました。

  是非こ こも見てください。

  NEW!!  
 NEW!!

 日本経済新聞2013年1月21日文化欄に『東大の「闘魂は」不滅』と題して、拙稿が掲載されました。

 


掲載日2005/2/23

もくじ(index)

03/9/8, 5:58pm最相葉月さんからの最初のメール 9/11作曲者:山中一由さんへ観戦の誘いのお電話  
9/9,8:08am私からの最初の 返事メール 9/11最相さんへの神宮観戦の返事のメール  
9/10「東京大学応援部物語」宅配 便への最相さんの添え書き 9/11山中さんへの、神宮球場への待ち合わせのメール  
「東京大学応援部物 語」(画像:表表紙) 9/12山中さんからの返事の電話  
「東京大学応援部物語」(画 像:裏表紙) 9/13最相葉月さんから、待ち合わせ時刻、場所の電話  
「東京大学応援部物語」(画像:表 表紙と背表紙) 9/13最相葉月さんにお会いし、東大ー早大戦、観戦  
「東京大学応援部物語」(画 像:表表紙裏「闘魂は」) 9/13画像:応援寸景「闘魂 は」大合唱  
「東京大学応援部物語」(画像:裏表紙裏「応援 部小唄」) 9/13画 像:応援寸景 リーダーたち  
9/11ご恵贈お礼と神宮球場観戦のアポイント、メール 9/13 13:50pm 最相葉月さん、山中一由さん と食事  
9/11上のメールへの最相さんの返メール神宮観戦のこ と 9/13 23:30pm お二人 にお礼と写真送付  

9/15 山中さんか らの返事のメール  「闘魂は」歌 詞  
9/14 読売新聞の読書欄:本よみうり堂「著者来店」に最相葉月さん登場  私のプロフィール「一妻一 詞」  
9/15 最 相葉月さんに上のお祝いのメール  神宮に応援に行った日の日記 (慶大を1−0で破った)  
9/28朝日新聞(2003/9/28)読書欄:

最相葉月著『東京大学応援部物語』についての書評掲載

   評者:苅谷剛彦(東大教授)
  島原新聞2002.5.29(水曜日)「こぼれ話」欄  
9/17東京大学応 援部HP掲示板への書き込み   作詞した日の日記(1960.8.29)へ  
(2003/11/5掲載)雑誌「東京人」2003年12月号に掲載された最相葉月さんの随筆「四十年ぶりの応援歌」の紹介

 東京大学応援歌のチラシへ(1991.10.6 入手)  
(2003/11/5掲載)上 の随筆「四十年ぶりの応援歌」を送っていただいたことに対する私から最相葉月さんへのお礼のメール(2003/11/2) ◆エッセイ「応援 歌」  
  ◆ エッセイ「四十一年目の初対面」  
  ◆ エッセイ「四十年ぶりのことども」(2002.8.5)

 
   日本経済新聞(2001.11.24付 け)消息欄  
    応援歌「闘魂は」をweb上で発見(1999.7.9)  
   東京大学 応援部HPへ  
  「闘 魂は」を聞こう。MP3データ(442KB) はこちら。  
  「闘 魂は」を聞こう。Real Audioはこちら  

「闘魂は」を聞こう!(mp3),(RealAudio)

掲載日

2003/

9/16

「闘 魂は」

を 聞こう!

(mp3),

(RealAudio)


 

 2003年9月9日(火曜日)

  朝、出勤前にインターネットを開いた。出勤前に開くことなど、滅多にないのだが、前夜メールの受信ボックスの確認もしない まま寝てしまったので、なにか重要なメールでも来ていないか、一応確認してから出勤しようと思ったのだ。

 メールboxを開くと「最相葉月と申します」という件名が飛び込んできた。

「??」

 最相葉月さんと言えば、「絶対音感」というベストセラーを書いたノンフィクションライターではないか。私も読んだことがある。その最 相 葉月さんから、なんで私宛にメールが??

 頭を傾げながら、メールを開くと、思いもかけないない内容のメールだった。

 

 
(2003.9.8 5:58 p.m.)

最相葉月さんからいただいた最初のメール
 

件名:最相葉月と申します。

 

阿部毅一郎様

突然メールを差し上げる失礼をお許し下さいませ。

私はノンフィクションライターの最相葉月と申します。

偶然、阿部様のHP*を発見 し、メールをお送りいたしました。

私は、主に科学やスポーツを中心に取材執筆活動を行っておりますが、昨春の六大学

野球で東大応援部の学生たちに出会い、以来約一年あまり取材をしてまいりました。

先日、集英社より『東京大学応援部物語』を上梓し、できましたらこれを阿部様へお

送り申し上げたくご連絡をいたしました。お読みいただければ、阿部様が作詞をされ

た「闘魂は」がどのように歌われ、彼らにとってどのような意味 をもつ応援歌である

かを少しでも知っていただけるのではないかと思っております。大変重要な攻撃場面

で歌われる「闘魂は」は大変激しく祈りにも似た歌でした。

もし差し支えなければご住所をお教えいただけませんでしょうか。

よろしくお願い申し上げます。

ぶしつけなメール、失礼いたしました。

> =================================

ノンフィクションライター

          最相葉月

 

生命科学技術の情報案内サイト

ライフサイエンス・インフォメーション・ネット

受精卵は人か否か(LNET)

http://homepage2.nifty.com/jyuseiran

アンケートが新しくなりました。ぜひご協力ください

==================================

 

 

*後日、イン ターネット上を「闘魂は」を入力して検索した結果、私のHPを発見したということを教えて貰った。

 (2003.9.9 8:08am)

 思いもかけず、こんな嬉しいメールをいただいたのだ。傍らにいた妻に、このメールを読んでやり、 「大変重要な攻撃場面 で歌われる「闘魂は」は大変激しく祈りにも似た歌で」あることことなどを書いた「東京大学応援部物語」という本を、名の売れたノンフィクションライターの 最相葉月さんから、贈って貰えるというメールが届いたというと、妻も大喜びした。

 朝で時間はなかったが、せっかくのメール、一刻も早くご返事をしようと、早速、次のようなメールを送り返した。

 

 
(2003.9.9 8:08 a.m.)

阿部からの最初の返事のメール
 

件名:RE: 最相葉月と申します

 

 

最相葉月 様

”突然”の、大変嬉しいメールをいただき、本当にありがとうございました。

「闘魂は」は、私のとってもとても思い入れのある歌です。その歌が、東大応援 部の部員にとっても、大変大きな意味を持っているとのこと。そのことについ て、最首さんのご本で読ませていただける!とのメール。作詞者冥利に尽きると いうものです。家内も、わたし同様、すごいじゃないと大喜びしております。

 付曲していただいた山中一由さんとの、「41年目の初対面」の様子について は、わたしのHPに掲載しておりますので、ご笑覧いただけると幸甚です。

 貴著、お贈りいただいたら、早速読ませていただきます。 書評などで、お名前は存じ上げておりましたが、ますますのご活躍をお祈りいた します。

 住所は下記の通りです。                   

   阿部毅一郎   

    記

住所: ×××

HP:http://www.linkclub.or.jp/~akybe

 

 

2003年9月10日 11:00pm
 
退社後、神宮外苑テニスコートで汗を流し、午後10時過ぎに帰宅すると、なんと、もう「東京大学応援部物語」が届いていた。
 

↓宅配便に添付されていた最相葉月さんの添え書き

 


阿部 様

 このたびは突然ご連絡を差し上げ申し訳ございませんでした。ご高覧頂ければ幸いです。
 
 今週末から秋の六大学野球が始まります。もしお越しの際はぜひともご連絡頂ければ嬉しく存じます。

  平成十五年九月九日

          最相葉月

 

↓最相葉月さんから贈っていただいた『東京大学応援部物語』
(集英社刊2003年9月10日発行198頁1500円 ISBN4-08-781153-0 C0095 )

 
 
↑表表紙
 
 
↑裏表紙
 
   
 

↑表表紙と背表紙

 
闘魂は
 
↑『闘魂は』



↑表表紙裏に赤色で印刷された『闘魂は』、ちなみに裏表紙裏には『応援部小唄』↓が青色で印刷されており、両者が応援部員にとって表の歌と裏の歌をなすこ とを示している。(注1)

 
↓『応援部小唄』


応援部小唄
 

 (注1) ( 『東京大学応援部物語』 p.32~33)


 ゴール前でバンド部員たちの合唱が始まった。「闘魂は」だった。選手たちの士気 を鼓舞するため、試合中の最も重要な場面で歌われる勢いのあるテンポの速い応援歌だ。・・・リーダーたちの「応援部小唄」に、迎えるバンドやチアの部員た ちの「闘魂は」が重なっていく。体育館の玄関口の蛍光灯が、ゴールで待つ部員たちの姿を浮かび上がらせた。「闘魂は」が応援席を華やかに盛り上げて選手た ちを励ます表舞台の歌であるとすれば、リーダーたちの心情を吐露した「応援部小唄」は、スタンドでは決して歌われることのない、いわば楽屋の歌である。人 を励まし力になろうと応援する人の声が、つらいけれど負けてなるものかと踏ん張ろうとする心意気を支える。表の歌と裏の歌が交錯していくその場面に、私 は、人が人を応援することの芯のようなものに触れた気がした。
 
            

 

 

 
(2003.9.11 13:19pm)

 ご恵贈いただいた「東京大学応援部物語」、一気に読み終えた。面白かった。「闘魂は」が、応援部のみなさんに愛されている ことがよく分かった。そのおそらく永久に日の目を見ることもなかった有様を、最相さんが掘り起こし、美しい文章にしていただいたのだ。どれほど感謝しても 感謝しすぎることはない。

 しかも、お手紙に「今週末から秋の六大学野球が始まります。もしお越しの際はぜひともご連絡頂ければ嬉しく存じます。」と書いてある ではないか。是非、東京六大学秋のシーズンの入場式から見に行き、この目で確かめるとともに、最相さんにお目にかかって、お礼を申し上げようと心に決め、 最相葉月さんに以下のようなメールを送った。

 
 
件名:     「東京大学応援部物語」ご恵贈御礼と、神宮球場でのアポについて(2003.9.11  13:19pm)

 

 

最相葉月 様

 昨夜は神宮外苑テニスコートで午後10時近くまでテニスで大汗を流しました。たまたま、神宮球場に一番近いコート

で試合をしたので、優勝目前の阪神 vs.ヤクルト戦の応援の大歓声が頭上で渦を巻き、突然、色とりどりの応援用のゴム風船が降って来、コート上に散乱する有様でした。

 11時近くに帰宅したところ、貴著がもう届いておりました。早速、送っていただき誠にありがとうございます。

 表紙をめくると、その裏には「闘魂は」が作詞者、作曲者名入りで赤色で印刷して ありました。

 早速、読み始めました(読み始めずにはおられませんでした)。

 応援部の夏季合宿では、79人の部員が、79回、お互いにエールを送りあう歌として使われたこと(p.64=大マス)。立大に久し振りに勝った試合の9回表、決勝のホームランを引き出す際に熱唱され ていたこと(p.140)、ずぶ濡れの学ランでテクを振られた(p.130)などなど、あなたのおっしゃるように、「大変重要な攻撃場面で歌われる「闘魂 は」は大変激しく祈りにも似た歌」として、応援団の皆さんに深く愛され、非常に大切にしてもらっているようで、作詞者として、信じられないという思いに包 まれながらも、深く感激し、大変うれしく思いました。

 私が20歳のとき、この本に登場する応援団の部員の方々とほとんど変わらない年齢のとき、作詞した歌が、40年以上たった現在も生き残り、こうして応援 団の部員に愛され、部員のエネルギー源となり、しかも、あなたのように優れたノンフィクション・ライターの才筆で、その状況を実況さながらに伝えていただ ける幸運に恵まれたことを目の当りにし、とても不思議な気持ちにとらわれております。

  あとがきに「壮大な人と人とのつながり」という言葉がありましたが、これもその一環なのかも知れませんね。

 あなたと東大応援部とのつながりも偶然なら、たまたま私がHPを開いていて、あなたが偶然それに気付いて、本を贈って下さり、ベストセラー作家と私との よもやの新しいつながりが始まったのも偶然ですね。奥付の発行日に当たる日に貴著を贈っていただき、しかも、昨日、わたしのHPに連載中の日記に、 1962年5月6日、神宮球場に出かけ、9回裏「闘魂は」で応援し、1−0で東大が慶応にサヨナラ勝ちをしたという内容の日記(下記)をアップしたのも偶然ですね。ここにも、壮大なつ ながりがあるような気がします。

 昨夜、半分、今朝残りの半分を読み、読了しました。
 滅多に表舞台に登場することのない「東大」応援部の舞台裏を大変面白く読ませて頂きました。応援にかける「はみだしエリート」のひとりひとりが、ビビッ ドにとらえられており、無償のものにかける彼らの熱い思い、熱い生き方が

、読むものに熱く伝わって来ました。応援部に対して、これまで、私が漠然と想像していたものと異なっており、色々

と共感できる面があることにも気付かされもしました。また、ベストセラーになるといいですね。

 「絶対音感」的分野とは、まったく異なるスポーツものも得意としておられるとのこと、今後とも幅広く活躍される

ことを期待しております。



 さて、「今週末から秋の六大学野球が始まります。もしお越しの際はぜひともご連絡頂ければ嬉しく存じます」との

お言葉に甘えて、今週末、久し振りに、神宮球場に出かけたいと思っております。

 できれば、作曲者の山中一由さんにも、声をかけてでかけたいと思いますが、あなたのご都合を教えていただけませんか。わたしは、土日(13日、14日) とも、あなたのご都合にあわせることが出来ます。

 長文のメールで失礼しました。


                              阿部毅一郎
                              (携帯電話:×××  )
 
       記


日 記  1962.5.6 
 
 
 久し振りに東京六大学野球を見に行ったら、東大が慶応にみごとに勝ってしまった。

 0−0で迎えた9回裏、我が作詞になる『闘魂は』の大合唱が効いたか効か なかったか。その回まで無ヒット無残塁の東大が二本の安打を集中して勝ってしま ったのだ。

 嬉しくなって飛び上がった。
 
  本塁寸前アワヤ、アウトかと思われたのが、相手キャッチャーの落球で生還、アンパイヤーの両手がパッと水平に振られる。その瞬間、東大応援席の全観衆が歓 声を上げ、両手を振り上げ、立ち上がって足を踏み鳴らし、歓喜(よろこび)のあらん限りを尽くした。

 まさに、<歓喜(よろこび )は今ぞ極まる>であった。



 

(2003.9.11 16:36pm)

このメールに対して最相葉月さんから次のようなメールが返ってきた。




件名:     神宮観戦のこと(2003.9.11  16:36pm)





阿部毅一郎様

早速にも大変嬉しいご感想をおよせいただき、ありがとうございました。

私は取材を通じていつのまにか東大応援歌をすべて覚えてしまい、歌っているうちに
東大生でもないくせになぜか愛校心がわいてきて、われながら今回はのめりこみすぎ
たかと反省しているほどです。先日は、「応援部小唄」を作詞した学年の主将だった
植村さんという方からも偶然人を介して感想をいただきました。最近、取材をしてく
ださった新聞記者の方も応援部の出身の方でした。いつのまにか、私自身がそのつな
がりの海を泳いでいることに気づきました。

13日か14日に神宮にお越しになられるとのこと。ぜひご挨拶させていただきたく
存じます。私は両日とも家人や友人たちと学生席横の一般席に座っておりますので、
携帯電話×××にご連絡ください。初日は入場式から行っております。
もし、試合中にお会いできなければ、終了後に東大学生席の入り口のあたり
でお待ちしています。身長は158センチ、髪は肩ぐらいのストレートでオレンジ色
の眼鏡をかけております。塩沢主将には伝えておきました。彼もぜひご挨拶したいと
言っています。

それでは、お目にかかれるのを楽しみにいたしております。

      最相葉月

 
 
 




(2003.9.11) 作曲者:山中さんへ観戦の誘いのお電話

 



最相葉月さんにメールを送るとともに、せっかくの機会だから、「闘魂は」の作曲者である山中一由さんをお誘いしようとご自宅に電話を差し上げた。

「四十一年目の初対面」 にも書 いたように、山中さんとは、「闘魂は」ができて41年目に初対面を果たし、二人して神宮球場に出かけ、一緒に応援しようという約束ができていたにもかかわ らず、延び延びになっていたので、これが、何よりのチャンスだった。

電話口に出られたのは、奥様で、主人は大学に出勤にしているので、連絡をとるように申し伝えます、との事だった。

夕刻、山中さんから電話があり、是非とも同行しようと言うことになった。今、自分の机の上にも、最相葉月さんから贈られてきた「東京大 学応援部物語」がある(注2)、ということだったので、早速、「表紙を開いて見てくださ い」というと「闘魂はが印刷されていますね」と驚いた様子。とにかく、「闘魂は」について、感激するようなことがいっぱい詰まっている本ですよというと、 早速、読みますとのこと。

 待ち合わせの場所、時刻については、最相葉月さんのご都合をメールで詰めたうえで、連絡を取ることを約して電話を切った。



(注2)後日確かめたのだが、最相葉月さんは、私の差し上 げたメールで、「四十一年目の初対面」を読み、作曲者が大学教授であるということで、検索・確認して、本を贈ったということだった。


後日確かめたのだが、最相葉月さんは、私の差し上げたメールに大学教授であるということで、確認して、本を 贈ったということだった。
(2003.9.11  16:57 )

最相葉月さんへの返事のメール

 

件名:     Re: 神宮観戦のこと



   


最相葉月 様

早速、返メールありがとうございました。

天気さえ良ければ、初日(13日)の入場式から観戦したいと思っております。
幸い、作曲者の山中一由さんとも連絡がとれ、同行の予定です。

塩沢主将ともお会いできるとのこと、ささやかながら、応援部に差し入れをしたいと話し合ったところでしたので幸便でした。

それでは、当日、学生席(東大側?)横の一般席でお目にかかれるのを楽しみにしております。

      阿部毅一郎
 

2003.9.11 10:47pm

山中さんへの、神宮球場への待ち合わせのメール

 

件名:神宮球場、待ち 合わせの件



 

山中一由  様

電話でご連絡した待ち合わせの日時の件、9月13日(土)午前9時45分、都 営大江戸線、「国立競技場駅」の青山一丁目寄りの改札口、で如何ですか。 当日、入場式が10時15分から開始され、第一試合開始は、11時(東大ー早 大)だそうです。  

   阿部毅一郎  

   携帯電話:×××

 

 

2003.9.12 山中さんからの返事の電話




 山中さんから、返事の電話がかかってきた。
 
 13日、別の用件があるので、入場式に間に合うようには行けないが、第一試合には間に合うように行きたい、ということだった。翌日の再会を約 した。

 


2003.9.13 8:00最相葉月さんから、お電話

 

 

 最相さんから、朝の8時に、私の携帯電話に待ち合わせの場所についての連絡が入った。初めてお声を聞いたが、落ち着いた感じのよさがあって、安心した。

 山中さんは、入場式には、来られないと言うことを告げると、最相葉月さんは、午前10時、三塁側の東大の学生席入り口でお会いしましょう。応援部主将も 顔を見せますので、学生席で見てください、私は学生席のすぐ近くの一般席で応援します。と言うことであった。

 

2003.9.13(土曜日)9時20分、
自宅を出て神宮球場へ向かった。




 午前10時、私が神宮球場の三塁側学生席の前に立っていたら、オレンジの眼鏡に、濃いオレンジのTシャツの女性が近づいてきて、「阿 部さんですか」。最相葉月さんだった。とても親しみの持てる感じのいい人だったので、すっかり安心した。

 小柄な応援部の主将、塩沢さん(彼女の本では、「目から鼻へ抜けるような、打てば響くような、頭の回転の速い聡明な天才タイプ」と紹 介されているp.98カーラー写真もある)とリーダー長の中井さん(同じく「沈思黙考・深謀遠慮の穏やかな秀才タイプ」と。写真あり)も、紹介して貰っ た。

 彼女とはそこで別れて学生席に案内して貰った。その日は、今年一番と言っても良いほど、暑い日で、その暑いこと。目が回りそうだっ た。東京六大学野球を見るのはおよそ15年ぶり。入場式から見るのは初めてだった。

 選手入場の際に、前シーズンの成績順に各校選手が応援歌の演奏に合わせて入場してくるが、最後に東大の選手が、「闘魂は」の曲に合わ せて入場してきた。ここでも、使われているのだ。

 試合開始前にも。二度「闘魂は」は合唱されたし、早大が2回裏押し出しで2点入れた直後の3回表東大がヒットを連ねて1点入れたとき には、学生席の全員が総立ちで肩を組み、速いテンポで「闘魂 は」を大合唱した。最終回にも「闘魂は」が歌われた。

「ただ一つ」が校歌、「闘魂は」が第一応援歌の位置を確保しているのは間違いなかった。

 最相葉月さんの本に書いてある通り、応援部のリーダー連は、この暑さの中でも、学ランを着、休む間もなく、腕を振り上げ、声を張り上 げ、走り回り、次々とブロックを叫んで、学生席の応援のリードをする。時たま、頭からバケツいっぱいの冷水を浴びる。

 チアガールの数も多い。若さの弾ける ような肢体。彼女たちも威勢良く踊りまくり、声を張り上げ、たまには水を浴びる。

 ブラスバンド部員も、楽器を左右に振ったりしながら、応援歌を次々に演奏 する。男子学生は学生服をきちんと着用している。

 主将、副将、旗手長らは、リーダー板にたち、良く通る声と堂に入った振りで、応援部全体を統制し、相手の 早大応援 団と意志の疎通を図る。組織だった応援振りだった。

 3インニングのときに、山中さんがお見えなって、例の肩を組んで応援したときには、私の右側が山中さんだった。山中さんが自ら作曲し た歌を朗々と歌う声がよく聞こえた。

 試合は、今シーズン四連覇をめざす早大に東大は5−1で負けた。しかし、試合としては、それほど、だれたものにならず、このぶんな ら、今シーズンは期待を持てそうに思えた。

 試合後、応援部の主将、副将に「闘魂は」作詞・作曲のコンビから、ささやかながら、差し入れをした。

 

 

 

↓「闘魂は」の大合唱

 
 

↓リーダー板に立つ主将(学ラン服前)、リーダー長(学ラン服後)、笠谷さん(袴姿)、チアリーダー

 
 
   
   
 2003.9.13  13:50pm最相葉月さん、山 中一由さんと食事  


 試合後、学生席入り口で最相葉月さんに落ち合い昼食に誘った。


 応援部リーダーたちが、試合後練といわれる激しい練習を、3時間近く実戦の応援を終えた直後にもかかわらず、近くの公園でやっている有様を、しばらく見 物したあと、最相さんの行きつけのイタリアンレストランへ行った。

 なにしろノドが乾いていたので、まず生ビールで乾杯した。たまらなく、美味しかった。この日は私も三杯飲んだ。お酒に強い山中さんは 5杯は飲まれたことだろう。結局、ビールのおつまみに取った、野菜スティック、フレンチポテト・ガーリック味、ミックスピザだけで、正式の食事はとらな かった。食べることより話すことが優先した。

 こんな三人組がまたとあるだろうか。43年も前に応募・入選した大学応援歌の作詞・作曲コンビに、その歌の現応援部での扱われようを ビビッドに描き出した、その当時は生まれてもいなかった気鋭のノンフィクションライターの三人組。それぞれが、昂揚し、生来の話好きに弾みをつけ、歌詞を 作ったときの思い、作曲に込めた思い、取材を始めることになった切っ掛けなどを次々に披露し、話題は多方面に及び、話の種は尽きなかった。

 それから延々三時間近く、話が弾んだ。途中、我々に懇請されて、作曲者自らが、「闘魂は」を歌って聴かせてくださった。堂々と速過ぎ ないようにというオリジナルの曲想で歌われる「闘魂は」は、聴き応えがあった。

 実に楽しい一日だった。

(2003/11/12:この日の出来事を主題に、最相葉月さんが雑誌「東京人」に「四十年ぶりの応援歌」という随筆を書かれた。)

 
2003.9.13   23:30pm

私が、当日撮った写真を、当日夜遅く、お二人にメールで送った。


 

件名:お礼と写真送付  2003.9.14 0:14am



 

最相 葉月 様

今日は、充実した楽しい一日、ありがとうございました。

とても、気安い感じの方でしたので、初対面であることも忘れてすっかりうち解 け、ついついおしゃべりになってしまいました。 話が大いに弾みましたことですし、またの機会を作りたいものですね。ただ、今 日は、ご帰宅の時間を延ばしすぎたかも知れませんね。済みません。

また、「あのころの未来」まで、ご恵贈いただき、重ね重ねお礼申しあげます。 愉しみに読ませていただきます。

今日の写真、送 ります。画素を落として送りますので、大きめのプリント・アウ トをされるものが、ありましたら、言ってください。オリジナルの画素のものを 送ります。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

 阿部毅一郎

 

 
 
 ↓ これは山中さんあてのメール
  
 

件名:お礼と写真送付  
2003.9.14 0:11am 

 


 山中一由 様

今日は一日、充実した楽しい一日をありがとうございました。 

「闘魂は」を神宮球場でご一緒に歌う夢がついに実現しました。

あれだけ大切にされているのを目の当たりにして、本当に嬉しく思いました。

最相さんも、気安い感じの方なので、話に花が咲きましたね。 > また機会を作りたいものですね。

組曲「しゃぼん玉」とCD「六旗の下に」ありがとうございました。

「六旗の下に」早速聴いております。なかなか良いですね。

今日の写真、送 ります。画素を落として送りますので、大きめのプリント・アウ > トをされるものが、ありましたら、言ってください。オリジナルの画素のものを > 送ります。

  これからも、どうぞよろしくお願いします。

 

   阿部毅一郎

 

 

 

 2003.9.15 山中さんからの返事のメール

 

 

件 名:RE:お礼と写真送付 2003.9.15 1:36pm




阿部毅一郎様

 13日は底抜けに楽しい一日でした.

 そして,早速の写真,チビクロともども有難う ございます.

プリンタのマニュアルを読み読み,インッカートリッジのご機嫌をとり ながら,150×110のサイズにプリントさせていただきました.画素が少ないことなど 関係なくきれいに仕上がっています.

 「闘魂は」が,自分の知らないところで知らない人々を「勝手に」勇気づけたり, 替え歌が作られたりして,独り歩きしていることが,不思議でかつ嬉しくもありま す.

 初対面から1年9ヶ月で,最相さんの著書という思いがけないきっかけで再びお目に かかれましたが,次はもっと短い間隔で,またお会いしましょう.

 これからもどうぞよろしくお願い申し上げます.

     山中一由


 

↓早速、読売新聞の読書欄:本よみうり堂「著者来店」(2003.9.14)に取り上げられた最相葉月さん
(2003.9.15)
 

 

 

 

 読売新聞書評欄:本よみうり堂「著者来店」に最相葉月さんが登場した(2003.9.14)ので、お祝いのメールを次のように差し上げた。

 


件名:
読売新聞書評欄に早速ご登場ですね。2003.9.15 11:46pm

 


最相葉月 様

 その後もお元気でお過ごしのことと存じます。 対早稲田、二回戦は、残念ながら、点差がかなり開いてしまいましたね。 応援部員は、元気にしていることでしょうが。

  9月14日付の読売新聞の書評欄、本よみうり堂の「著者来店」に「東京大学応援部物語」の著者として早速ご登場ですね。前日には一言もお触れにならなかっ たのに・・・さすがですね。おめでとうございます。

 この欄を担当した記者が、東大応援部の出身で、自分で書くつもりだったのに、先を越されてしまった。と、言っていますね。それだけ魅 力 のある対象なのでしょうね。

 新刊が発売されるや、反響が続々と寄せられており、「どうも、皆さんの若き日の気持ちを呼び起こしちゃうみたいですね」。ということ で すので、間違いなく ヒットすることでしょうね。そう、祈っておりますし、近日中に、わたしのHPでも紹介して、少しはお役にたちたいとと思っております。

 「記者も、何年かぶりに神宮球場の青空が見たくなった。」

 この記者のみならず、われわれも、早速、神宮球場の青い空が見たくなった部類ですね。(ただ、掲載の写真が少し最相葉月さんらしくな いように思えまし た。ご本人がずっと素敵という意味で)。

 10月26日の最終戦、妻も見に行きたいと申しておりますので、その時にでも、また、お目にかかれたらと思っております。

 貴HPも覗かせて貰っ ておりますし、「あのころの未来」(新潮社刊2003/4)も楽しま せていただいております。本当に幅が広いですね。

 

                    阿部毅一郎

 

 
朝日新聞 (2003/9/28)読書欄に、

最相葉月著『東京大学応援部物語』の書評が掲載されました。

   評者は、苅谷剛彦、東大教授です。以下、その概要を掲載しまし た。

 東京六大学リーグで勝率0.148の東大野球部。その 「応援に、どんな意味があるのか。」「東大応援部の若者たちを密着取材した本書は、「何のためか」と安易に意味を問いかける時代の風潮の中で、あえて意味 の見いだしにくい行為に自らを追い込む若者群像を描く。」
 
 「人を応援するにふさわしい人になりたい」から、「猛烈なトレーニングにも耐える」。通常の若者像と「一見対極に見えながらも、時代を超えた 若さの特権が浮かび上がる。」
 
 「シーズンに1回あるかないかの勝利という「奇跡」を前に、グラウンドと応援席がシンクロする場面(注)は、まるで映像を見ている ようだ。超弩級の青春 ドラマである。」「…素直に感動できる。」と評者はしめくくっている。
 

(注)この場面で、熱唱さ れるのが「闘魂は」である。イニングは9回表、東大選手の一球一打 に合わせて「闘魂は」の歌詞が一行ごとに分かち書きされ、ついに「奇 跡」を呼び込むホームランが飛び出し、2−1とリード。そのまま逃げ切って「奇跡」は成就されるのである。



 

(2003.9.17 22:17pm) 東京大学応援部HP掲示板への書き込み

 

 

 

東大応援部各位

 初めて投稿します。「闘魂は」を作詞した阿部毅一郎です。

 9月13日の東大ー早大戦、神宮球場へ出かけ、学生席で応援部のみなさんのリード のもと、作曲の山中一由さんと一緒に肩を組み、声を張り上げて、応援しました。

大変愉快でした。

 実は、「東京大学応援部物語」の著者、最相葉月さんから、同書を贈っていただ き、「闘魂は」が、みなさんにとても大切にされていることを知り、最相さんのお誘いもあったので、山中さんにも声をかけ、久し振りにでかけたのでした。

 最相さんのお引き合わせで、塩沢主将、中井リーダー長にもお目にかかれました。

 応援部のますますの発展とみなさんのご健勝を祈っております。

 わたしのHPに<「闘魂は」と「東京大学応援部物語」>のページを設け、「闘魂 は」に関するわたしの気持ちなどすべてを載せましたので、是非アクセスして見てください。

 貴HPからも「闘魂は」に関係する部分を引用させていただきました。

 みなさんと同じような年齢のときに作ったものが、今もみなさんに愛されており 、また、その様子を最相さんのような優れたノンフィクションライターに紹介していただき、大変嬉しく思っております。その気持ちをHPには、書き込んでお ります。

 今シーズンがみなさんにとっていいシーズンになることを祈っております。

   私のHP:http://www.linkclub.or.jp/~akybe/ouen/toukonha.html

 

 

↓雑誌「東 京人」2003年12月号に掲載された最相葉月さんの随筆「四十年ぶりの応援歌」の紹介
(2003/11/12掲載)




 雑誌「東京人」2003 年12月号に最相葉月さんが「四十年ぶりの応援歌」 と題して、九月十三日、六大学野球秋のリーグ戦開幕、初戦の対早大戦をご一緒に観戦したときのことを主題にした随筆を寄稿された。最相さんから早速「東京 人」を送っていただいたので、その随筆のなかで応援歌「闘魂は」と作詞作曲者に言及されところを摘記し紹介することにしよう。

「毎シーズン、大学野球を観戦しているうちに、応援部の学 生たちが歌う応援歌に興味を持つようになった。」
「…とくに、昨年取材をした東京大学応援部の学生たちが歌 う『闘魂は』という歌に引かれた。実戦では、最終回の攻 撃場面でなお士気を鼓舞するためエンドレスで歌われる祈 りにも似た歌。昭和三十五年に学内で公募、作詞作曲とも人選したのは当時の東大生だった。

 九月十三日、六大学野球秋のリーグ戦開幕。初戦の対早大 戦、私は作詞作曲の二人を神宮球場にお招きした。どんな ふうに今の学生たちに歌われているのか知ってもらいた かったからである。

 作詞は昭和十五年生まれの阿部毅一郎さんで現在は会社役 員、作曲は昭和十二年生まれの山中一由さんで大学教授に なられていた。二人は一昨年暮れに連絡をとりあい、交流 はあったという。ただ、一緒に神宮に足を運んだことはない。山中さんは、学生時代以来、実に四十年ぶりの観戦となった。

 秋の陽光が燦々と降り注ぐスタンドで、二人の元東大生はメガホンを高 く掲げ、歌った。」

とここで、「闘魂は」の第一節の歌詞が引用提示されている。

「六〇年安保闘争で、仲間と共にデモに参加した学生時代。闘 魂の言葉には、若き日の決意が込められていたのだろう か。」

 この歌詞が入選した年、昭和三十五年はまさしく、六十年安保の年だった。この年の日記をこのHPに掲載しているので、ご参照願いたい。

 応援の甲斐なく、この第一戦は1−5で、東大は早大に負けてしまう。ただ、この秋のリーグ戦で全勝優勝を果たし、四連覇を達成することになる早大(ど ちらも早大としては史上初)を相手にしては、善戦といえる戦い振りで、シーズンのその後に期待を抱かせるものがあった。事実、慶大を相手に九回裏3点差を 逆転し、さよなら勝ちを収めるのだ(もっとも、これがシーズン唯一の勝利であったが、これが最後になる応援部四年生にとっては、なによりのプレゼントに なっ.た。東京大学 応援部の掲示板に「…すっごい試合でした。終わっ てもしばらくシビレてました!応援にいくといつもそうだが、盛り上って声がでません。あんな に『闘魂は』を連呼できた試合も過去記憶にありません!追いつかれ、逆転されてからの再逆転、本当に感動!。」という書き込みがあった。)

 さて、本題に話を戻すと、最相さんの随筆はこう続く。

 「この日の試合は負けてしまったが、終了後の酒席で、二人は、四十年を 経てなお後輩に歌われ続けているという賞金以上の幸福に 酔っていた。
『こんな日がくるなんて。生きていれば思いがけないことがあ るんですねえ』
と阿部さんが細い目をさらに細めた。周囲の客などおかまいな しに、合唱団出身の山中さんは『闘魂は』を三番まで朗々と 歌った。」


「四 十一年目の初対面」に書いたように、山中さんに所望して、初対面を果たした小料理店でも歌ってもらったので、あの日も、私からお願いして 歌っても らったのだ。まあ、それほど客がびっしり混んでいたわけではないので、「おかまいなしに」というのは、修辞法的な言い回しである。

 私は随筆「四 十年ぶりのことども」に「還暦を過ぎたせいか、四十年ぶりなどと形容できることがこのところ次々と起こる。」 「長生きするということ は、 若いときから蒔いてきた種が、知らぬ うちにたわわに実を付けているのに遭遇し、それを賞味する愉しみが増えることのようだ。」
と書いたのだが、「東京大学応援部物語」やこの「四十年ぶりの応援歌」は、まさにその通りのことが、起こっていることを実感させてくれるものであった。




 

↓雑誌「東 京人」(都市出版株式会社発行)2003年12月号

 

 
 

 

↓雑誌「東 京人」2003年12月号p.17に掲載された最相葉月さんの随筆「四十年ぶりの応援歌」

 

 
 

上の随筆「四十年ぶりの応援歌」送っていただいたことに対する私から最相葉月さんへのお礼のメール (2003/11/2)↓



 

最相 葉 月 様


随筆「四十年ぶりの応援歌」掲載の「東京人」12月号早々とご恵贈いただきあ
りがとうございました。

応援歌「闘魂は」ともども、作詞作曲者を温かい、細やかな筆致でご紹介してい
ただき、大変有り難く、また大変嬉しく、読ませていただきました。

字数の制約された雑誌一ページの随筆で、ネアンデルタール人の笛の話から、人
を励ます歌へと導き、応援する歌→「闘魂は」と結びつけ、大学野球実戦の観
戦・応援、作詞作曲者の紹介へと筆をすすめ、観戦後の酒宴の雰囲気をも伝えつ
つ、彼らの40の歳月を振り返り、最後はネアンデルタール人の三万年に言及しな
がら、余韻を残して締めくくる。

起承転結、さすがに、鮮やかですね。プロの芸と感心しました。
掲載誌「東京人」は、内容の充実したいい雑誌ですね。こんな立派な雑誌で、紹
介していただいたことも、感激です。


私も、「四 十年ぶりのことども」という随筆を昨年書き、山中先生との「四十一
年目の初対面」にも言及したのですが、貴女の随筆の題名が、同じような発想に
基づくものだったことにとても親しみを覚えました。

その随筆の冒頭に
「還暦を過ぎたせいか、四十年ぶりなどと形容できることがこのところ次々と起
こる。」
と書き、締めくくりに、
 「長生きするということは、若いときから蒔いてきた種が、知らぬ うちにた
わわに実を付けているのに遭遇し、それを賞味する愉しみが増えることのようだ。」
と書いたのですが、「東京大学応援部物語」や「四十年ぶりの応援歌」 は、まさ
にその通りのことが、起こったのでした。

これも、「闘魂は」の取り持つ縁なのでしょうが、このご縁を大切にする意味も
込めて、山中先生のご都合のよくなる12月以降に、また「酒宴」を持ちたいも
のですね。

ますますのご活躍をお祈りします。
御礼まで、お元気で

                         阿部毅一郎

雑誌「東京人」は、川本三郎、森まゆみらが編集する内容の濃い雑誌だ。

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私のHPで「闘魂は」に 関係する部分
 
応 援歌 「闘魂は」
(昭和 35年東京大学入選応援歌)    

 曲をお聞きになれます。
 MP3データ (442KB) はこちら。
 Real Audioはこちら


    作詞:阿部毅一郎  作曲: 山中一由

闘魂はいまぞ極まる

逞しく力競いて

掲げなん勝利の旗を

淡青のこの空の下

おお わが東大

栄えある学府

   *

団結はいまぞ極まる

惜しみなく技を振るいて

開かなん勝利の道を

淡青のこの空の下

おお わが東大

栄えある学府

   *

歓喜(よろこび)はいまぞ極まる

ひたぶるに努め果たして

歌わなん勝利の歌を

淡青のこの空の下

おお わが東大

栄えある学府


     応援歌「闘魂は」

     昭和35年入選応援歌。作詞・阿部毅一郎(昭34.文一入)作曲・山中一由(昭34.工進)。

     当時、選手の士気を昂揚するに相応しい応援歌を望んでいた応援部は選考会議において強力に働きかけを 行い、翌36年より早速神宮で使用されました。応援歌中の応援歌、最も士気を鼓舞する応援歌として、東大の応援には欠かせません。

                                                    (東京大学応援部HPより引用しました)


 

◆ 私のプロフィール「一妻一詞」

◆エッ セイ「応援歌」

◆ エッセイ「四十一年目の初対面」

◆ エッセイ「四十年ぶりのことども」

◆6. 島原新聞2002.5.29(水曜日)「こぼれ話」

◆ 応援歌「闘魂は」をweb上で発見(1999.7.9)

◆ 作詞した日の日記(1960.8.29)へ

◆神宮に応援に行った日の日記 (慶大を1−0で破った)1962.5.6 

◆東京大学応援歌のチラシへ(ここを クリックしてください。)(1991年10月6日、神宮球場にて入手したもの)


日本経済新聞(2001.11.24付 け)消息欄で「闘魂は」が紹介されました


日本経済新聞(2001.11.24付け)の「消息--あの人この人」欄に「自作の応援歌に感動」と題して、私と応援歌の ことが、次のように紹介されました。



 『西部石油常勤監査役(当時)阿部毅一郎さん(61)は自分が作詞した母校の応援歌を久しぶりに耳にした。十月の週末、神宮外苑でテニスをし ていると、となりの 神宮球場から東大の応援歌「闘魂は」が流れてきた。「若い人の合唱がじーんと胸に響いた」

 二十歳の時、学内の募集に応募して当選。第一応援歌に昇 格しているの を七、八年前に知った。応援部に連絡すると「作詞したのはずーっと昔の人だと思ってま した」と驚かれてしまった。阿部さんの楽しみはスタンドで若者たちと一緒に歌うこと。』

   

  NEW!!

日本経済新聞2013年1月21日文化欄に『東大の「闘魂は」不滅』と題して、拙稿が掲載されました。


 

 

 

 




東京大学応援部HPより、「闘魂は」に関係のある部分を抜粋しました。
 


第50回「六旗の下に」(2003年6月日開催 於:日 比谷公会堂)(東京大学応援部HPより引用しました)

東京大学運動会応援部は以下の演目を行います。

応援歌「闘魂は」


 東大の応援には欠かせない名応援歌です。その勇壮な曲調は選手の士気を強く鼓舞し、応援 席全体に大きな力を生み出します。東京六大学野球の九回には途切れる事無く歌われ、東大 の応援席に最高の盛り上がりを作ります。「六旗の下に」ではこの迫力を完全に再現したステージ仕 様の「闘魂は」をお見せいたします。





第49回「六旗の下に」
(2003年6月 日開催 於:日比谷公会堂)(東京大学応援部HPより引用しました)

応援歌 「闘魂は」

 〜今や東大の応援歌の中で最も有名な曲です。一度神 宮にてこの曲がなり始めれば、東大の打線が爆発し、攻撃はいつまでも終わりません。今回の六旗の下にでは、その神宮の興奮を再現します。東大の誇る、大応 援歌です。

 




 第1回総長賞受賞 (2002年10月8日)(東京大学応援部HPよ り引用しました)

 我が東京大学運動会応援部が、課外支援活動が表彰に値すると評価され、第1 回東京大学総長賞を受賞いたしました。

 10分間のプレゼンテーションでは、応援部の歴史について簡単に説明 させていただき、応援部の活動そのものでありますデモンストレーション「闘魂は」 「ビクトリーマーチ」を行いました。そして、会の最後をエールただひとつで締めさ せていただきました。



 

  「闘魂は」をここで聞くことが出来ます。(東 大応援部HP内)

MP3データ (442KB)はこちら

Real Audioはこちら




 

  大マス(東京大学 応援部HPより 引用しました)
 
 この「大マス」は東大応援部にとってもっとも魅力あるイベントのひとつ です。最後の闘魂エンドレスでは「One for all、 All for one」の精神で皆が一曲の応援歌「闘魂は」を一人の部員を囲んで拍 手、演奏し、踊ります。そしてリーダー下級生はその人のために絶え間なく拍手を打ち続 けます。リーダー長は終始テクを振り続け、リーダー三年生は力の限り太鼓を打ち続けます。そうこうしていると自分の名前が書かれたボードが挙げられます。 皆が集まってきてくれました。この一週間の合宿の疲れなど吹き飛ばしてさえくれるねぎらいの「言葉」でした。またこの大マスの闘魂エンドレスに特徴的なの は、休部部員の分も皆で東京のほうを向いて行っているということです。




 

第26回淡青祭(東大応援部 の部祭り、2001年11月18日開催)(東京大学応援部HPより引用しました)

曲目紹介:応援歌「闘魂は」

 次に行われたのは応援歌「闘魂は」です。力強いメロディーと勇壮な歌詞はひとたび鳴り渡れば東京大 学の選手の士気 を鼓舞してやみません。神宮球場でも一回攻撃、得点時をはじめとして、数多く歌われています。普段は一番のみが使用されますが、淡青祭では二番の突きを挟 み三番まで歌われます。 特にリーダーの揃った突きは圧巻です。今回リーダーを務めたのは、本年度主将宮本賢也でした。

 



第 27回淡青祭(東大応援部の部祭り、2002年11月10日開催)(東京大学応援部HPより引用しました)

曲目紹介:応援歌「闘魂は」



東京大学応援部2003年夏季強化合宿(東京大学 応援部HPより引用しました)

 私たち東京大学運動会応援部は秋神宮や淡青祭、定期演奏会に向けて部内の団結の強化し、 技術の向上させるため8月11〜18の日程で新潟県塩沢町にて三パート合同で夏季強化合宿を行って 参りました。以下に三パートそれぞれの練習内容を紹介いたします。


  リーダー


 初日から早速スキー場のゲレンデを駆け上がり、おんぶに手押し車などをしました。 そしてリフトの終点から一週間過ごす塩沢の町を見下ろしました。

 二日目からは朝、午前、午後といろいろなところへ走っていき、拍手の練習、おんぶ、 手押し車など様々なことをしました。天候に恵まれず室内で拍手やテクの練習をする ことも何度かありました。三日目には峠の上の観音様の所まで行きました。

 五日目の午後には今合宿最初で最後となる野球応援の模擬練習をしました。最後には 全員で闘魂はをエンドレスで歌いながらプールに飛び込みました。

 六日目は大出走で、四十五キロにも及ぶ道のりを東大ファイトと叫びながら拍手、お んぶなどをまじえながら走り抜けました。最後のダッシュを決めた後には肩を組んで 応援部小唄を歌いながら他パートの待つ宿舎へと帰還しました。

 七日目には野球応援の練習をまるまる一試合分行う大マスがありました。合宿の集大 成であるこの大マスには全員が最高の気合いをぶつけ、最終回の闘魂エンドレスで 完 全燃焼しました。






ヨット関東学生選手権 (東京大学応援部HPより引用しました)

 残念ながら、この日は昼過ぎより、神宮球場において東京六 大学野球の応援があるため、試合まで応援することができず、 浜辺での壮行式のような形式になった。だだっ広い浜辺に多くの 大学が隣り合わせて出艇の準備をしているわけだが、応援部が 来ているのは東大だけだ。何でもヨット部の三年生の話では、近 くに陣取る大学も、東大の応援部がやってきて何やらやるのを、 結構楽しみにしてくれているらしい。ありがたい話である。

 いよいよ始まった。まずは応援歌「闘魂は」により激励する。 少しでも励ましになっただろうか。

 

 

その他のHP

 

東京大学キャンパスガイド

... 東京大学の歌は幾つかありますが、現在は歌われなくなった歌が多く、今 も比較的多く歌われている歌としては、応援歌「ただ一つ」と応援歌「闘 魂は」、学生歌「足音を高めよ」が あります。
 
   

三浦訖さんのHP:「野に咲く花」

野山に咲く花 制作・管理 三浦訖

東 京六大学 校歌・応援歌集

闘魂は

 



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