日記の部屋1956(09)/Diary1956(09)

(1956/12/24〜1956/12/30)

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年月日 曜日 日記本文
1956.12.24 Monday 12月24日
 今日少し駆け足の練習をしたがどうもうまくない。わずか15段くらいの石段を13回上下しただけでへとへとになってしまう。鼻だけで呼吸をすることが長くできない。
 来春、校内でマラソン大会があるのでせめて全コース走り通すことができるように、この冬休みを利用して練習しょうという気持ちなんだが、今日のようではおぼつかない感じがする。2学期の体操の時に2,000メートル走ったときは全然稽古なしの急なレースだったせいもあったが、立って歩くのがやっとというような疲労に陥った。それまでに何度か長距離を走ったことはあったがその時ほど疲労の激しかったことはなかった。体は全然立ってしまって口も開けっぱなし、足をやっと前に出すので精いっぱいで、顔は蒼白になっていた。レースが終わってからも回復に長くかかって頭がじんじんとして咳が出た。
 中学校のころはこれでも早いほうのグループであったこと思えば、やはり練習不足に帰着できる疲労だった。で、練習を始めたわけだが、科学的にやっていきたい。
1956.12.25 Tuesday 12月25日
夕暮れ
鳥1羽
灰色の雲
風寒し

風心を吹き抜け
戯れて枯れ葉と
水面に落つ

寒土
白き木肌
息たえて
夜独りきたる。

夜心に満ち
戯れりわが想いと

1956.12.26 Wednesday 12月26日
のんきなやつもあったもんで今日を27日と思い込んで、何やカニやに27日と書いてしまった。昨日の日付に一加えて20の6か、あれ、あっそうだ。なるほど新聞も日付は26だったし、26と29のつく日には餅をつかないのにつくなんてと笑ったのも今日だ。27日と思い込んでしまえばおかしなもので時間を損したのとは思わないのだが、26日と分かってみれば、おい、27日と思っていた人は一体1日という大変な時間をどうしたつもりだったんだと聞きたくなる。
 とんだ拾いものなり年の暮れ

贈られもの
弘子姉より
革手袋、
リーダー数ダイジェスト一カ年分

啓子姉より
電気ストーブ

1956.12.27 Thursday 12月27日
 もしこの日記に進歩があるとすれば、それは私がこの日記の中に性について10分書けるようになることによってもたらせるものであろう。今の段階では書くことに躊躇するのだ。人々は性をあまりに卑なこととしている風習には賛成できないが、いざ性を論ずるとなるとどうした気持ちからかやめとこうやめとこう、書くのは、ということになる。
 つくづく考えるのだが、人とはなんと多面性を有するのだろう、と。ひとりの人間を見る場合、あの人がこんなことを?! と嘆くのはまだその人の底を徹してみていない証拠である。冷徹をもってなる学者にしろ房事に熱中する一面 もあってみれば、その冷徹さと熱情との二つの相反する性行は、冷徹一点張りで彼を解釈する人には理解できないものとなろう。人の性格とはそのすべての多方面 に現れる性行をひっくるめたものであり、すべての行動が性格を尺度として測って測れないことはないのである。で、私の性格を判断するのに、この日記のみに頼ればそこに考えられる人間像は、私のある面 の細胞を無理に押し広げて人間の形にしたものに他ならないのだ。もちろん私はこの日記にできるだけ自分を映したいとは考えるけれども、死人をあっさり解剖してしまうように実験台の上に自分を乗せ短期間に細大漏らさぬ 自分の性格レポートをこの日記に書きとめるつもりはない。
 私が性について考えながらそれを書かないのは不自然かもしれない。しかしそれは今すぐはという意味で言っているのであって、性が私にとって重大問題になってくるときに一言も触れずにいるわけはない。私は年齢に比して性に詳しいし、女性観や結婚についての考えを現在持たないわけではない。しかし時期なお早しとみてか、何と見てか、心中でまだ書くな書くなと袖を引く奴も大勢いることだから、日記の進歩、性格判断に対する貢献を見合わせることにする。
私はもうすぐ17歳の春を迎える。
 
1956.12.28 Friday 12月28日
 どちらが主でどちらが従かということに迷わされる。日ごろ疎遠なっている人には人は1年に1回正月にか、2回、正月と暑中見舞いの手紙を出して、それで結構間に合わせている。1年365日、この一定周期の中で人は少しも不自然さを感じないくらいうまく調和したものか1年1回の年賀郵便はすこぶる有効である。この調和はどこからもたらされたのか。

 人間は365日の中で進化してきた。このことが多くの年月の中に、自然と人間感情の面 までを支配するようになって正月のはがき一通で1年の心を通わすことができるように習慣化させてしまったものであろうか。
 ところが一週1回の週刊誌の発行に調和してしまった現代人は、自然の運行による支配よりも、より多く人工的な時の支配の中に住まっている。1週は月の運行中から生まれた区切りといえないことはないにしても、現代人と月ではかけ離れ過ぎているし、大昔からの影響が潜在的にわれわれの時に対する感覚を支配しているというのでは肯けない。1週一回のクイズに浮き身をやつし、火曜日の午後3時から金曜日までを不安と興奮で過ごしていながら、1年1回の年賀状を忘れない現代人。何か面 白いものがある。
 

1956.12.29 Saturday 12月29日
 このごろぐらい時間を無駄に過ごすことはない。まず起きるのが太陽南中後であって、太陽の出発点からの角度が鋭角であったのを見たことがない。それから夜の8時、9時まで文字通 りぶらぶらして勉強らしい勉強もせずに、夜の9時からやっと机の前に座り翌日の午前3、4時まで、全く1番寒気の強い中で勉強するのである。早くきちんとした計画をたてて規律ある生活をしなくては。

■柱の傷をおととしの、5月5日の背比べ、
ちまき食べ食べ兄さんが、測ってくれた背の丈、
昨日比べりゃ何のこと、やっと羽織の

 今日の懐かしのメロディーに歌われた歌だが、この歌を聴いて胸に迫るものを感じた。2つの意味で。
 その1つはこの歌にうたわれている家庭的な雰囲気のそれに対してであり、もうひとつは時の流れの一方的なそれに対してである。この2つは日ごろ最も私の胸を打つ問題である。
 ちまき食べ食べ兄さんが、測ってくれた背の丈・・・
 私をして思わず涙させるような文ではないか。そこに1人の兄と弟と妹を感じる。優しい父と母の新鮮な家庭を見る。
 私の今までの人生には家庭的な雰囲気を少しも感じることができない。私個人が現在において家庭に強くひかれながらもその雰囲気を持っていない。
 私がここの産声をたてて以来の家庭生活の中に、私はしっくりと落ち着きのある、全く安心感で満たされた家庭の雰囲気を味わうことのできない宿命の子として成長してきた。その原因にまず私は父として母としての父母の努力がなかったことをあげる。父が母が、いかほど家庭的な雰囲気というものに注意を払い、家庭的な雰囲気をつくるために努力したであろうか。父母の努力の欠如が主たる原因であることは否定することができないことだが、それにも増してわたしの家のー私の理想として、胸の中にあるような雰囲気が生まれなかった原因に、あの忌むべき戦争と、それによって私たち親子の生活をぶち壊した17人の共同生活の影響が考えられる。

 私の祖父も祖母もまた家庭的雰囲気どころの人ではなかった。ひとつの屋根の下で17人の大勢の人々に交じって、戦後のあの悲惨な時局を文字通 り悲惨に私たち親子は暮らした。人間のあらゆる醜さを私たち兄弟は幼なにして肉親の祖父、祖母、伯母、叔父、従兄弟から見せつけられた。それが私たちの性格生ー各人のすべての経験の結晶ーに影響しないわけはなかった。私たち兄弟は祖父母の間違った処置のために家庭的な雰囲気をつくる力を失ってしまった。幼い私が家庭ってなんて変てこなものだろうとつぶやいたほど私の家庭はへんてこだった。
 I先生は愛とは自分にないものを他に求めることと簡単に定義された。私の家庭的な雰囲気に対する”愛”はあの背の丈を柱に刻みつける兄弟によってさえ触発されるものとなっている。現在における私のこの愛は私が家庭人となった時の夢想の中にわずかに結晶を実らせている。

 昨日比べりゃ何のことやっと羽織の
 柱の古い傷はおととしの自分の背丈である。何と悲しい傷であろう。もう2度と永久に柱の傷の背丈は私の背丈ではあり得なくなった。歴史は繰り返すという。しかしあらゆるものが繰り返したことはこの宇宙では今までに1度もなかった。今後もあり得ないことである。万物が時という流れに乗って繰り返すことのない一瞬に存在する。次なる一瞬は新しい一瞬なのである。今年もようやく暮れようとしている。そしてまた新しい年がくる。私の人生も16歳を消費してしまった。
 家庭的な雰囲気を味わえなかった人生だったからといって二度とやり直すわけにはいかない16歳が消えて行ってしまっている。人はおのおの異なった道を進む。私の道はこの道より他になかった。私は私の道を一歩も踏み外すことなく進んできた。私は当然満足すべきはずなのだが、未来と過去の天秤の支点にあって、未来と過去を憂い悲しんでいるのである。人が九十まで生きたとき人は一体何を考えるだろうか。親鸞でない人は。

1956.12.30 Sunday 12月30日
 私は自分の顔を見ることができないことに気づいて愕然としました。自分に1番近いところにある顔を見ることができないとは何と皮肉なことを神が考えついたことでしょう。人が自分の顔を一度も直接見ることができずに人生を終えてしまわねばならないのです。鏡に映った自分の顔も写 真に撮った自分の顔をも疑えば疑うことができますし、また決して他人の顔を見るようには見ることができません。自分の首の上に乗っかっている自分の顔を私はただ鏡に映したり、写 真に撮ってもらったりして、こんな顔してんだなと推測するだけのことです。自分が肉眼でどんなに見たくとも見ることのできない顔。1番深い関係にありながらただひとつ平面 的な、静的な顔。あんなに種種さまざまに変化する他人の顔に対して自分の顔ー鏡や写 真のーはなんと限られて動的な気分を失っていることだろう。何とか一目でも自分の顔を見ることができないものか。
 ところでまた、1番深い関係を失わずに自分の顔が見えたらどうであろう。自分の顔はラジオがNHKというごとく視界の1部に必ずあってまざまざと見えるとしたら。人は当惑する多くの場面 を持つことだろう。彼は常に自分の表情を制限しなければならなくなる。照れている自分。社長の前でかしこまっている自分。キスしようとしている自分ーキスするときは目をつぶるもんだというからそこまでは見えまい。二面 相を使っている自分。あらゆる自分がいかにごまかしているかをまざまざと見せつけられる。いかに変な顔をするかを見せつけられる。まったく今の人間が急に自分の顔を見ることができるようになったら、それこそ一目でうんざりてしまうだろう。そして神が自分の顔を見ずに過ごせるようにしてくれたことに対して、深い感謝の念を捧げることであろう。しかし、私はまだ人目も自分の顔を見ていない、だから感謝するわけにはいかないのである。
 

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