12月29日
このごろぐらい時間を無駄に過ごすことはない。まず起きるのが太陽南中後であって、太陽の出発点からの角度が鋭角であったのを見たことがない。それから夜の8時、9時まで文字通
りぶらぶらして勉強らしい勉強もせずに、夜の9時からやっと机の前に座り翌日の午前3、4時まで、全く1番寒気の強い中で勉強するのである。早くきちんとした計画をたてて規律ある生活をしなくては。
■柱の傷をおととしの、5月5日の背比べ、
ちまき食べ食べ兄さんが、測ってくれた背の丈、
昨日比べりゃ何のこと、やっと羽織の
今日の懐かしのメロディーに歌われた歌だが、この歌を聴いて胸に迫るものを感じた。2つの意味で。
その1つはこの歌にうたわれている家庭的な雰囲気のそれに対してであり、もうひとつは時の流れの一方的なそれに対してである。この2つは日ごろ最も私の胸を打つ問題である。
ちまき食べ食べ兄さんが、測ってくれた背の丈・・・
私をして思わず涙させるような文ではないか。そこに1人の兄と弟と妹を感じる。優しい父と母の新鮮な家庭を見る。
私の今までの人生には家庭的な雰囲気を少しも感じることができない。私個人が現在において家庭に強くひかれながらもその雰囲気を持っていない。
私がここの産声をたてて以来の家庭生活の中に、私はしっくりと落ち着きのある、全く安心感で満たされた家庭の雰囲気を味わうことのできない宿命の子として成長してきた。その原因にまず私は父として母としての父母の努力がなかったことをあげる。父が母が、いかほど家庭的な雰囲気というものに注意を払い、家庭的な雰囲気をつくるために努力したであろうか。父母の努力の欠如が主たる原因であることは否定することができないことだが、それにも増してわたしの家のー私の理想として、胸の中にあるような雰囲気が生まれなかった原因に、あの忌むべき戦争と、それによって私たち親子の生活をぶち壊した17人の共同生活の影響が考えられる。
私の祖父も祖母もまた家庭的雰囲気どころの人ではなかった。ひとつの屋根の下で17人の大勢の人々に交じって、戦後のあの悲惨な時局を文字通
り悲惨に私たち親子は暮らした。人間のあらゆる醜さを私たち兄弟は幼なにして肉親の祖父、祖母、伯母、叔父、従兄弟から見せつけられた。それが私たちの性格生ー各人のすべての経験の結晶ーに影響しないわけはなかった。私たち兄弟は祖父母の間違った処置のために家庭的な雰囲気をつくる力を失ってしまった。幼い私が家庭ってなんて変てこなものだろうとつぶやいたほど私の家庭はへんてこだった。
I先生は愛とは自分にないものを他に求めることと簡単に定義された。私の家庭的な雰囲気に対する”愛”はあの背の丈を柱に刻みつける兄弟によってさえ触発されるものとなっている。現在における私のこの愛は私が家庭人となった時の夢想の中にわずかに結晶を実らせている。
昨日比べりゃ何のことやっと羽織の
柱の古い傷はおととしの自分の背丈である。何と悲しい傷であろう。もう2度と永久に柱の傷の背丈は私の背丈ではあり得なくなった。歴史は繰り返すという。しかしあらゆるものが繰り返したことはこの宇宙では今までに1度もなかった。今後もあり得ないことである。万物が時という流れに乗って繰り返すことのない一瞬に存在する。次なる一瞬は新しい一瞬なのである。今年もようやく暮れようとしている。そしてまた新しい年がくる。私の人生も16歳を消費してしまった。
家庭的な雰囲気を味わえなかった人生だったからといって二度とやり直すわけにはいかない16歳が消えて行ってしまっている。人はおのおの異なった道を進む。私の道はこの道より他になかった。私は私の道を一歩も踏み外すことなく進んできた。私は当然満足すべきはずなのだが、未来と過去の天秤の支点にあって、未来と過去を憂い悲しんでいるのである。人が九十まで生きたとき人は一体何を考えるだろうか。親鸞でない人は。 |