日記の部屋1957(11)/Diary1957(11)

 

(1957/10/1〜1957/10/15)

(2001/11/3掲載)

(1957/10/16〜1957/10/31)

(2001/11/6掲載)



 

日記の部屋1956indexへ

1956(01)へ 1956(02)へ 1956(03)へ 1956(04)へ 1956(05)へ 1956(06)へ
1956(07)へ 1956(08)へ 1956(09)へ 1957(01)へ 1957(02)へ 1957(03)へ
1957(04)へ 1957(05)へ 1957(06)へ 1957(07)へ 1957(08)へ 1957(09)へ
1957(10)へ 1957(11)へ 1957(12)へ      

 
日付index
1957年10月 1957/10/1 1957/10/3

1957/10/4

1957/10/5 1957/10/6 1957/10/7
1957/10/8 1957/10/9 1957/10/10 1957/10/11 1957/10/12 1957/10/13 1957/10/14
1987/10/15 1957/10/16 1957/10/17 1957/10/18 1957/10/19 1957/10/20 1957/10/21
1957/10/23 1957/10/24 1957/10/25 1957/10/26 1957/10/27 1957/10/28 1957/10/29
1957/10/30 1957/10/31 1957/11/1 1957/11/2 1957/11/3 1957/11/4  
1957/4/12 1957/4/22 1957/4/23 1957/4/24 1957/4/25 1957/4/26 1957/4/27
1957/4/28 1957/4/29 1957/4/30 1957/5/1 1957/5/2 1957/5/4 1957/5/5
1957/5/6 1957/5/7 1957/5/8 1957/5/9 1957/5/10 1957/5/11 1957/5/12
1957/5/13 1957/5/14 1957/5/15 1957/5/16 1957/5/17 1957/5/19 1957/5/20
1957/5/21 1957/5/22 1957/5/25 1957/5/26 1957/5/27 1957/5/28 1957/5/29
1957/5/30 1957/5/31 1957/6/1 1957/6/2 1957/6/4 1957/6/5 1957/6/7
1957/6/8 1957/6/9 1957/6/10 1957/6/11 1957/6/12 1957/6/13 1957/6/14
1957/6/15 1957/6/16 1957/6/17 1957/6/18 1957/6/19 1957/6/20 1957/6/21
1957/6/22 1957/6/23 1957/6/24 1957/6/25 1957/6/26 1957/6/27 1957/6/28
1957/6/30 1957/7/1
1957年7月 1957/7/1 1957/7/2 1957/7/3 1957/7/4 1957/7/5 1957/7/6
1957/7/7 1957/7/8 1957/7/9 1957/7/10 1957/7/11 1957/7/12 1957/7/13
1957/7/14 1957/7/15 1957/7/16 1957/7/17 1957/7/18 1957/7/19 1957/7/20
1957/7/21 1957/7/22 1957/7/23 1957/7/24 1957/7/25 1957/7/26 1957/7/27
1957/7/28 1957/729/ 1957/7/30 1957/7/31 1957/8/2    
1957年8月 1957/8/2 1957/8/3 1957/8/4 1957/8/5 1957/8/6 1957/8/7
1957/8/8 1957/8/9 1957/8/10 1957/8/11 1957/8/12 1957/8/13 1957/8/14
1987/8/15 1957/8/16 1957/8/17 1957/8/18 1957/8/19 1957/8/20 1957/8/21
1957/8/22 1957/8/23 1957/8/24 1957/8/25 1957/8/26 1957/8/27 1957/8/28
1957/8/29 1957/8/30 1957/8/31 1957/9/1 1957/9/2 1957/9/3  
1957年9月 1957/9/1 1957/9/2 1957/9/3 1957/9/4 1957/9/5 1957/9/6
1957/9/8 1957/9/9 1957/9/10 1957/9/11 1957/9/12 1957/9/13 1957/9/14
1987/9/15 1957/9/16 1957/9/17 1957/9/18 1957/9/19 1957/9/20 1957/9/21
1957/9/22 1957/9/23 1957/9/24 1957/9/25 1957/9/26 1957/9/27 1957/9/28
1957/9/29 1957/9/30 1957/10/1 1957/10/3 1957/10/4 1957/10/5  
年月日 曜日 日記本文
1957.10.1 Tuesday 1957.10.1
(午前四時四十分)
数学の問題がやっとうまく解けた!!ということで人の喜びは十分である。そしてその喜びは最も崇高な喜びの一つなのだ。それは自分の存在を明確に主張することのできるものだから。
1957.10.3 Thursday 1957.10.3
私は麻薬患者である。
私はいつも正気でなく、眠たそうにフラフラしている。明らかに麻薬患者の病状を呈してきた。
私は最も、モルヒネより恐ろしい怠惰をあまりにも多く常用し、それなくしては生活できないまでになっている。怠惰を注射した後の私の恍惚感は、その外の生活を味気なくさせ、効力が切れるや私の神経は狂わしげに次の麻薬を要求する。そして他の麻薬患者の厚生に必要とする精神力に、今まで、非同情的であった私が、その立場に自分自身が落ち込んで、どうにもできない気持ちをすでに感じ始めている。
麻薬の魅惑、それは人間の本質的なものをとらえているに違いないのだ。
1957.10.4 Friday 1957.10.4
泣くことはない。
泣いてはいけない。
さあ、涙をふきたまえ。
そして、ご覧、遙かなかなたの空を。
君はそこに君の足下から通じた一本道が、
高く高く上っているのを見るだろう。
そこには未来における、
君の足跡までもついているではないか。
それを君は、今から出かけて間違いなく踏まねばならぬ。
その時、君は過去からもまっすぐな、
君の一本道を見ることができるのだ。
1957.10.5 Saturday 1957.10.5
嬉しいことがある。
ついに人工衛星が一時間三十五分で地球を一回廻り始めたのだ。
それはソ連の科学者によってなされた。人間として彼らに礼を言おう。
我々にこの成功物語が無限の夢を添加してくれた。まるで最先端の科学機械と同居するような気がする。せいぜい20キログラムと言われていた人工衛星の重さの限度も、85キログラムもある第一号がすでに空にあるのを見れば、今まで、そう考えていた人はどんな気持ちだろう。
最初から85キログラムを打ち上げる自信を持った科学者がいたことを思えば、いい気もするまい。
無限の夢、その夢には現実性がある。可能性がある。人の体臭がある。
月世界旅行!? 誰だって”わあっ”と言いたくなる。
1957.10.6 Sunday 1957.10.6
驚いたことだが、私には今まで---今でもそうだが---目標がないことである。もちろん考えれば目標らしきものは考え出される。つまり大学に入ることになろう。
ところが私には大学に入ることに対する強い願望が、根本にないのである。ただいい加減に他人を真似て目標らしきものを掲げただけで、それは私の身に付いていない。
目標あって努力があり、努力があって目標も達成できるのである。だから、私には今まで努力がなかった。目標達成のために苦しむことがなかった。いたずらに大切な時を流し去ってきたばかりだった。そして目標のない身とも知らず我が身を責めてきた。
しかし、私はこのことに気づいた。今こそ大目標を確立すべきである。
1957.10.7 Monday 1957.10.7
答案を書くこと。これは非常に芯の疲れることではあるが、また反面心が伸び伸びするような感じがする。少なくとも答案を書く間だけはあらゆる外界と無交渉で、それに没頭することができるからだ。私にとって、その心境に達することは、これ以外の時には、滅多にない。
できるだけ立派な答案をという意欲がすぐ私の心の側にあって、目標と、しっかり四つに組んだ、状態でいることが出来る。私が本を読むときは、意欲や目的が、私から多分離れ勝ちなのである。ともかく、そうした答案が---つまり懸賞付きだから---誌上に優等な成績が載るというと、うれしさは倍加し、苦労は報いられるような気がし、新たな意欲が湧くものである。
最大・最小などと、実社会と何の関係もないものを考えることが、私にとっても、なんだか意義がかって来つつあるようだ。
1957.10.8 Tuesday 1957.10.8
中島光恵さんから第六信
◆ネールの健康法は倒立と言うから面白い。
六十七の老人を引っ張ってきて健康によろしいから倒立をするようにいったところで、脳溢血でそれこそ卒倒の状態を保つことであろう。
長生きする人や、老いてますます盛んな人には、何か長寿の秘訣なり、精力源とといった他と独特なものを持っている人が多い。そういったものが実際に直接肉体的に長寿をもたらすと言うより、それを長寿の秘訣と信じて疑わないところにその鍵もありそうである。
精神的な健康は多分に肉体的な健康を支配している。長生きするには、まず、精神の健康からというところか。
1957.10.9 Wednesday 1957.10.9
思いやりの心情を露骨にでなく、うっすらと表すことの出来る女性は美しい。なんとなく心惹かれる。そして、その人のためなら身を投げ出したいとも思う。
日本女性にそうしたゆかしさを湛えている人が一人でも多くいれば、男は幸せである。そしてもちろんのことながら女も幸せになろう。
男にとって露骨な、押しつけがましい同情ほど、堪らないものはない。他人の前で、思わせぶりな、そういった態度をとりかねない女性も多いが、一方に、まるっきり反対の女性もいることをいることを思えば、思わず、微笑が湧く。
同情は男からしてもらうものと決めてかかる女性もいるが、それも存在価値があるのだろう。
1957.10.10 Thursday 1957.10.10
そのことを考えるときは世の万事を忘れて楽しくなる、といったものを人々は一つでも持っているだろうか。せめて一つでもそういったものを持つことは非常に大切である。
常に憂鬱なる目を伏せ勝ちにしている人には実際、人生はもったいない。
一日に一度でも会心の微笑の出来る人には人生はふさわしい。
私は確かにこの面において人生にふさわしい。私は、”ある事”を思い出して、一人ほほえむ。まったく、その時の心境は経験者以外には通じまい---ただし、私は、その事の経験者であるけれど、他人のその心境は通じないように思われる。私と同じような心持ちに他人がなれるということは不可能だ。
だから結局は誰もが独り独特の楽しさを味わって、一日を朗らかに暮らせばよい。
1957.10.11 Friday 1957.10.11
明日から長大の模試。ベストを尽くすのみ。
1957.10.12 Saturday 1957.10.12
良問見あたらず。まさしく”クズ”を集めた出題ぶり。口を開けてしばし---いや、ずっと---茫然。明日に良問を期待して、寝る。
1957.10.13 Sunday 1957.10.13
記憶というものは非常にあやふやなものだが、それに頼って生きなければならないのだから、社会はいっそうあやふやな事に溢れてくる。
今日が締め切りという懸賞を八円切手を貼ったまま出し忘れて、午後八時頃出しに行ったが到底今日の消印はつきそうにない。
ど忘れとか、記憶を見返してみるとき、突然頼りにならないはずの記憶の喪失によって、精神がまったく混乱してしまう。私などはアイウエオのアの字一つの記憶も不確かだから、それをいつまでもじっと見つめていると、果たしてこれがアの字だったかなと自信が持てなくなる。
「山の音」の中で、信吾が急にネクタイの結び方を忘れるところが出てくるが、こういうことはしょっちゅう起こる。今まで無意識のうちに可能だったことが、突き詰められた記憶の確かさの前で不可能になってしまう。
”箸”の握り方さえこうだったかなと思うことがある。
運動競技等をやっていて急に走り高跳びのバーが高く見えて、自分の跳び方に自信を失ったり、三段跳びの踏切の足に迷ってしまうことがある。
普通に見慣れている英語の構文に迷ったり、単語の訳出に困ったり、冠詞の用法に戸惑ったりすることがある。
記憶のこうしたあやふやをどうしたら防ぐことができるか、私には良策がほとんどない。一つ一つはっきりと確かめて記憶すればよいようだが、その確かめられた記憶そのものにこそ、起こりやすい”あやふや”が多いのである。
今の今私は”あやふや”におやと頭を傾げてしまった。
1957.10.14 Monday 1957.10.14
女の人には色々な顔つきをした人がいる。
一人の人で三つにも四つにも見せる人もあるくらいだから、その数たるやである。
だが、これはと難つくまじき顔はめったにないものである。
北陸は美人の多い土地と聞くが、この言葉はその逆の九州には美人が少ないということを意味しているのかも知れない。それが意味していようといまいと事実は事実、私には非常に少ないように思われる。難つくまじきと言っても完全というのではなく大体見られる顔以上という意味に解釈して色々女の人の顔を思い出してみるが、めぼしいのがない。
私のそばに昨年東大でサマースクールの時とった写真があるが、基準以上の女の人が29人中9人ほどいる。約三分の一だから、私の基準が別にひいき目なわけではないから、島原と比べて一段率が高いようだ。
ともかく顔が美しいということは女にとって大得であることは間違いないが、男にとってはそれ以上である。ただ美人であることが大方の男心を捉えてしまうものなのだ。
しかし、馬鹿ではしかたがない。ただ目の保養向きとしては大いに楽しめるけれど。
私はあまりに多くの顔に惹かれすぎる。
知性に溢れた顔、美人のための美顔、健康な顔、憂いの見える、涼しい、愛くるしい等々まさしく色々である。しかし、世に美人で通っている女の人の顔にも大嫌いな顔がある。たとえば松竹の高千穂ひずる、田代百合子の顔などそうだ。
男の好みにもまた色々あるものだ。
1957.10.15 Tuesday 1957.10.15
私は人間的な成長をしつつある人なら尊敬する。だから単に先生ということが尊敬の目的冠詞にはならない。
先生は非常に恵まれた人ということができる。なぜなら一番初めから、目下の者に接するだけでその職務は大方果たせるのであるから。だから、先生以外のどの職業も先生には適して見えない。本当に先生らしい先生にすぐになってしまう。なにも教授法が板に付くというのではない。ただ先生の雰囲気、先生のタイプにはまってしまうのである。
目下の者ばかりに接している先生は、大方いい加減の妥協的な精神か持ち合わせない。自分の感情を教室で露骨にする先生は多いものだ。そして教室の気分を自分の感情で覆ってしまわないことには気が済まぬらしい。
マントヒヒに似た女の先生がいらっしゃるが、顔を真っ赤にして教室に入ってきて、私は今怒っていて、授業はできませんとおっしゃる。同僚の女の先生と戦を交えた結果が授業のないのを喜ぶ純真なる生徒の上に恩恵として下る。
先生のタイプにはまりこみそれを脱しきれない人に人間的成長が見られるわけがない。人間的はおろか、授業法においてもますます退化していっているような先生がいる。
声ばかり大きくて怒るのがうまく---これは大方の先生に共通したことで、一時間くらいどんな先生でも怒り続ける理論を持ち合わせている---わずか一題の物理の問題を一時間半かかって解きあぐみ、「こうやれば簡単にいくはずです、終わり」では、教科書が進んで試験範囲が長くならないことをのみ望む生徒にとっては最も受けが良くなるのも当然というもの。だから、赤面も見せず、常に豚のような美しい白い顔をしていらっしゃる。
----というわけですよ」---ですよ」と連発してあごを突き出す、まったく凝り固まった先生の塊にも閉口する。
いやに上品ぶって歩くのも先生族にはあることだ。わが教頭の歩き方たるや、まさしく何と真面目な歩き方をなさるのでしょうと女生徒に賛嘆されるくらい格がある。
私にとって大方のこういった美点を持っていらっしゃる先生方はまるで、蛇みたいなもので、見ないですますことができるに越したことはない。
私は良く蛇に巻かれる。しかも、この蛇には一切の手向かいができない魔力の目がある。したいだけのことを執念深くされるだけで、縮こまっていなければならないことくらい癪にさわることはない。
年月日 曜日 日記本文
1957.10.16 Wednesday 1957.10.16
自分のこととなると人は何かと通らぬ理屈をつけてかばいたがる。他人に対しても自分自身に対してさえも。
自分の落ち度を、自分自身の甘い言い訳でけしつぶし、卑しい行いをあらゆる記憶の中から、自分に都合の良いことばかりを判断の材料にして、ついにやってしまう。しかし、必ずと言っていいくらい卑しい行いに対しては後悔の念で胸を重くする。
が、しばらくたつとすでに言い訳するのに夢中になる。そして、後悔は卑しい行いをする時のブレーキの役目にまでは発展していかない。
一日一日をあいまいな妥協で終わる人間に成長なぞあろうはずがない。きびしく自分を見つめることが必要だが、その段階は成長の高度のものだ。どうにかそこまで成長することに心がけねばならぬ。
1957.10.17 Thursday 1957.10.17
日本には飯を食わずに生きているものが多すぎる。
大方の少年向きの漫画、小説、絵物語の中にはこうした輩が必ず登場して人気を得ている。毎日毎日人を数十人切り倒しているだけの浪人が一人も餓死しない。犯人を追うのに憂き身をやつしている探偵はますます頭は冴え、腕はなり、金銭には潔癖である。
ちんぴら探偵が、ピストルをぶっ放すが、舞台は日本、応援隊は日本警察、あごを撫でながら警察署長に事件を説明する。こ奴も飯を食わない。
諸君、真の人間になって大いに飯を食い給えと言いたくなる。またまた米価が上がるかはしらないが。
1957.10.18 Friday 1957.10.18
夜の空に私は一つの星と一つの月を見る。星は、昨日私が見たのと同じ位置で放射光を数十となく、きらきら回転させている。南南東に杏の枝の間から見える。
私が驚いてしまったのは月だ。真東の向かいの家の屋根のわずか一尺ほど上ぐらいに見える。ちょうどサタンの笑った口のような、不気味な三日月が、独り夜中に笑っている。
その色、まさしく橙めいた不気味な口腔の色だ。私は月にこういう色があるとは知らなかった。こういう表情があるとは知らなかった。静かに独りで、夜の世界を覗き込んで笑っているのだ。
1957.10.19 Saturday 1957.10.19
決定的瞬間が来てしまっては遅すぎることをなかなか気づかない。アメリカにしても私にしてもそうだ。ソ連が人工衛星を打ち上げてから、アメリカでもやればやれていたんだでは、力不足である。落ちて、やれば入れてたんだでは、仮定法の用い方に難があるというものだ。
1957.10.20 Sunday 1957.10.20
”やもめ組”と言われている私達の組には別の世界だが、三年生にもなるとなかなか女性対男性の関係が面白くなるものらしい。
聞けば、授業中、居眠りする男性に女性軍からチョークの一斉射撃が加えられ、どうぞ寝かせておいてくれ、秀才には眠りが必要にて候ゆえ、という哀願をしたためた候文も、我ら女傑には眠りなぞ不必要にて候へば、眠らせる能わず、授業中くらいは”謹慎”たれと、謹慎にもチョークの雨をなおも降らせるとか。
授業中「ラスク」をかじる男二人ありて、その音、我が心をいらだたせ、傾学心を鈍らせたりつるは、由々しきことなり。よりて我ら二人の女性はかの二人の男性を撃たんとするものなり、とは、かの二人の猛きをのこのかたわれより聞いた話。
その女性たるや、道に勝りたる、優しの乙女とは誰が思おうぞ。
こんな話を聞いて少しく驚いた位の私だから、まったくもって”近くて遠き”世界という感じを受ける。とは言っても、猛き乙女の咆哮が時折(以上かな)響いてきては、アフリカの原野を思わせる。
ともあれ、後四ヶ月たてば、悲しいかな、皆ちりぢりになり、運命の定めのみが偶然の再会を彼と彼女、彼女と彼、の上にもたらすのみとなってしまう。
なんともやるせなさが胸に迫る。一言も口を利かないものばかりでも、以心伝心とは行かないまでも、お互いの存在を認め合いながら楽しく暮らしてきた。やはり先立つものは懐かしさで、苦々しい思い出だけを思い出すことはない。人生そのものがこの世に対する会離であって、悲しくあって見ればそれを超越できない私には、別れはいつも悲しいのだ。
1957.10.21 Monday 1957.10.21
明日から中間考査がある。
◆この一時。何と多くの死と生を含んでいることか。
この時の流れ、すでに無限の歓喜と悲哀を含んで、なおも流れる。
死に直面してもがき苦しむあわれな人々の顔が見える。母の苦痛の中に健やかに立ちたる喜びの笑顔が見える。この小さな生体が、何と残酷にも老いたる肉体を地獄の底に陽気にけ落とすことか。何ともろくもけ落とされるこの世の醜たる者よ。美は常に醜に勝るとでもいうのか。
不幸にして死んでいく人々の苦しみの顔がなおも私に見える。”夜の霧”のガス室の中の、”三光”の生き埋めの場面の、暗殺されたシーザーの、ガンジーの、リンカーンの、坂本龍馬の中にまいたる顔が、私には見える。
時、その一瞬がすべてを含む。
1957.10.23 Wednesday 1957.10.23
学校で「源氏物語」の抄を副読本に使っている。
ところが、いかにも退屈な源氏物語ではある。「源氏物語」がこんな退屈なものと生徒が思いこんで、後の大部な興味深いところに対する、読書欲を失ってしまうとすれば、教科書編纂者の編集方針が、省かざるを得なかった深慮からくる好影響がよくそれに対抗することができるだろうか。我々はただ源氏物語が名作である故をもってのみ読んでおかねばならないと言って、物語の本筋から離れた風景描写、人物描写だけに終始する”抄”を好まないのである。
「若紫」のところにしてみてが、わらはやみにわずらった源氏が、北山の聖を訪れ、長々と明石の入道の人物紹介を聞いた後、小柴垣のあいだから紫の上なる十ばかりの少女を見つけた、では興味も湧かないものである。
もののまぎれまで載せよとは言わないまでも、源氏が紫の上の邸に訪れるぐらいまでは読みたいものだと思う。
明日源氏物語の試験がある。
1957.10.24 Thursday 1957.10.24
◆決心を簡単にする者ほど、決心を破りやすい。しかし、決心は早くすればするほどよい。
◆人間には真に悲しまなければならないものはない。真に悲しまなければならないものを知らぬほかには。
◆友人とは、自分は真の友人を持ち得ないということを最も良く示してくれる人である。
◆未婚の男性にとて妻とは、この世にありえない女性である。
◆人は、他人に対して、逆説的に自分を誉めたがるものである。人はまた、逆説をそのままにとってうれしがるものである。
1957.10.25 Friday 1957.10.25
「悪い種子(たね)」「七人の無頼漢(ならずもの)」
◆悪い種子---
映画の終わった後で、人物紹介をやって気分転換をはかってやらねばならぬような映画。どうも映画終了後の事件が面白そうである。
アメリカの戸籍がどんなものかは知らぬが、拾った子どもとも、妻の血統も分からぬようなものでは心許ない。
人が一人焼け死んでも、外から錠がかけられていることなどに誰も注意しないとはおかしい。
ローダはなかなか好演だし、ローダの母も良かった。もう少し美人だったら、あんな行為をするのにふさわしくないのだろうか。祖母の美しさは知らないが。
とにかく、味はあまり良くない。隔世遺伝の恐ろしさを説く一幕か。
最後に天のピンクの電気椅子で死ぬのも、あの映画では、そうまで突拍子に感じられなかったが、八才の子どもが三人まで人を巧妙に殺し、表面、素知らぬ振りして歩いて、しゃべりまくって、素敵なママ、と母をあやす内容ではむべなるかなであろう。

◆七人の無頼漢---七人が主人公ではない。なんとも、あっけなく殺されるために現れるようなものである。ランドルフ・スコット演ずるところの前シェリフが主人公なのであるが、西部の英雄の一典型で、ゲーリー・クーパーもよくこんな役をする。
口が重く重厚で、ピストルが滅法うまくて、女に淡々として、ひどくもてる。ずいぶん二人ともしわの多いじいさんじみて見えるが、それでも女の青き瞳は彼にじっと注がれるのである(内容的には悪の花園に似ている。)。
早撃ち自慢の、滅法早い仕草を十分に先に見せておいて、それにも勝つほどの腕前ですよと、スコットが、神業を披露して、この西部劇は終わるのである。
感覚の麻痺でもあろうか、人一人殺されても、ただな感情でおれない私であり、観客であるのだが(悪い種子の時の私を見よ)、合わせて十数人の人間がピストルの、銃の弾に倒れたというのに、何とも感じず、The Endを快く見ることが出来るのである。
そこが西部劇の持つ良き雰囲気でもあり、悪い雰囲気でもあろうか。とにかく、文句なしに楽しめるということ、それも人間には非常に大切なことなのだ。
年月日 曜日 日記本文
1957.10.26 Saturday 1957.10.26
林健太郎氏の『流れをとらえる』を少々読みかけた。
林さんは私の最も尊敬する人の一人である。私は人を尊敬することを客観的にやろうというおおそれた考えを持つものでないから、他人と比較して優れている方をとるようなことはしない。
私は林さんに接するとき---もちろん書物の上での話だが---快哉と叫ばずにおれないものを感ずる。
「人に自慢できるような仕事をするつもりである」と謙遜に豪語する林さんはまさしく日本に希に見る人となるであろうと思う---もっとも現在においてもそうであるかも知れぬが、あいにく「実証性」に欠ける恨みがある。私が尊敬することは、多分感覚上の問題にしておかなければ困る。---多分感覚上でものをとらえることを林さんは一番嫌われるであろうが。生半可に実証的であろうとすると嫌う程度がなくなってしまうのである。
先にも言ったように私は比較して好きになったのではないから私には林さんがどのように見えるといっても、それは私の勝手に尽きると思う。----実証的でないのはもちろんである。
私には、今日本に林さんぐらい物事を正しく判断できる人はいないように思われる。私は「ねずまさし」氏については無知だが、どうも林さんに論争をしかけることのできるような人ではないような気がする。
林さんのあれほど歴史的な物事の処理判断の前にはあれほど皮肉り返されたって手足も出まい---実は・・・出しているようだが(どんな手足かは知らない)。
願わくば、林さんの論文に堂々と反論を---林さんから、真に歴史的と言われるような---書けるようになりたいものである。今のところ林氏に魅せられているせいか反駁する点はないが。
文藝春秋で、疾眼全治について書かれていたのを思い出すが、親しみやすい小父さんのような気がする。---もっとも、その文藝春秋には、黒メガネをかけて怖そうな男とかなんとか書いてあったが。
もし、林さんから直接の教え----あまり、教えることは好きだとは書いておられないが----を受けることができたとしたらと切々と思うのである。
林氏以外の人々があまりにおめでたく見えすぎて、どうも気の毒なのであるが、林さんに対するこの感情は、移ろいやすい女の情熱的感情ではないように思われる。
1957.10.27 Sunday 1957.10.27
中島光恵さんに第七信。
◆人間、何と貧に安んじることのできる生き物だろう。そのちょっとした、そのわずかな喜びが、人間に十分な生活力を与えるとは。
しかし、何と無知な、何と、硬い瞼を持っていることだろう。そのわずかな幸せさえ見いだし得ずに泣いているとは。
1957.10.28 Monday 1957.10.28
◆評価基準は一定、もしくは絶対的なものがあるわけでなく相対的なものであるから、面白い結果が現れてくる。諺にも真反対の意味で教えているものがあり、ある人にとって立派でもある人にとっては見るのも嫌なものでさえある。口の利きようにも、沈黙を金貨で買おうという人がいれば、トニー谷に千円札を払ったりする。
こういったことは例にもならぬ例だが、やはりこの世には”正しい評価”があってしかるべきであろう。だから、トニー谷と沈黙は全く異質のものであって、なんら比較して評価されるべきものではない。
我々が正しい評価を行おうとする場合、確かに何らかの基準が必要である。それもできるだけ安定している方が好都合である。今日の相場が明日は通用しない株とは違うのだから。
ところが我々が物に評価を加える場合、多く行き当たりばったりで、今日と昨日とでは、まるっきり反対の評価さえやっている。確かにそれも許される事態がないでもない。
しかし、いい加減に評価し、人がこう言うから、今日はこっちをとろうでは、信用がなくなろう。
だから、できるだけ早く、基準になるものを各々の場合に定めることが必要である。
融通が利かなくても困るが利きすぎる融通は一層困りものである。
1957.10.29 Tuesday 1957.10.29
私にとって習慣というものは、いつも悪い意味で恐ろしいものが多い。良き習慣をもっている人にとってはそれが自分の身にもたらす福の大きさが恐ろしかろうに。
どうも毎晩、午前二時三時に寝る癖がついてしまった。そのため、朝が、気持ちよく起きられず、学校で居眠りすることが多く、昼寝、あるいは夕方寝(?)を絶対に欠かすわけにいかなくなってしまっている。
睡眠を一本槍にすることが目下の急務だが、それには、昼寝をしないで、早く寝て、昼寝と本寝の間が空かないようにする方法が考えられるが、どうも、習慣といった以上、なかなか簡単な問題ではない。
必ずおそってくる睡魔との対決が必要だが、それはまったく眠たくなったことがなければ分からぬ、単に紙面の上で割り切れるような簡単なものではない。
1957.10.30 Wednesday 1957.10.30
◆もう三十日か。早いもんだね。今年も後二ヶ月でけりってのか。何をかいわんだね。いよいよ入試まで後四ヶ月だァ。まあ、来年は諦めたつもりでやるんだね。うん。
◆一瞬が全歴史を含む。
◆人間という言葉を真に理解できる人こそ真の人間である。だが、人間とは私のようなものであるという理解は一歩も真の人間に近づきうる道ではない。だから我々は一平面上において真の人間には到底、いや絶対に到達できない。しかしながら、我々は真の人間にほかならないという。最も真の人間に近いというだけのことである。
人間という言葉は決して、動物に対して、神に対して反対の性質を持つ意味が規定的に付随されたものでも、道徳的、良心的と言った、性質を帯びているものでもないのであるから。
1957.10.31 Thursday 1957.10.31
もう十一月も三時間過ぎた。
私の背中を、金属の触覚を感じさせながら、撫で回す冷たさはもう本物である。
独り静かな、しんしんと静まりかえった夜を独占していると、独占の勝利感とはおよそ逆のひしひしと押しひしがされるような感じが私をますます縮こまらせる。
時の刻みと蛍光灯の夜の音と聞き違えるようなかすかな奥深い音と、時折、ポンポン蒸気の暗闇の中に緊緩の波を作る音がするばかり。音なき音が今私の周りで最も強く聞こえてくる。
今私が立ち上がって、窓を開けることも、この調和に対する反逆となろう。
私は小さく肩を丸め、背中を丸めて、ぼそぼそと、この文を書いているのである。左手はポケットの中にある。
私は静かに着換えて、寝床に暖をとろう。

トップへ

前へ

次へ

ホームへ