日記の部屋1957(13)/Diary1957(13)

 

(1957/12/1〜1957/12/31)

(2001/11/13〜22掲載)




 

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年月日 曜日 日記本文
1957.12.1 Sunday 1957.12.1 午前二時十分

一日というものを大抵の人は寝床の中で迎える。今日、寝て、翌日起きている。
もし0時が昼間、人の起きているうちにやってきたとしたら、妙なものだろう。つい三分前まで、書類に十二月一日と書き込んでおきながら、今では十二月二日と書かなければ印鑑が貰えなかったり、「君は明日結婚するそうだね。おめでとう」と時計が十一時五十七分をさしているのをながめながら言うと、「いや、今日だぜ、君の時計、四五分遅れていやしないか」
夜にあってもやはり、私にとっては不都合である。日付の下の午前何時という日記を記した時刻の午前は一日新しい日付の日のものである。
どうせいつに0時を持っていっても変なことが起きるだろうが。今の朝の五時ぐらいに持っていったらどうだろう。私に関する限りでは便利である。
1957.12.2 Monday 1957.12.2 午前一時半
しばらくぶりということは人の行動をおずおずさせるものである。どんな親友でも、いや親友であればあるほど、長く旅行などしていた後で会った時、すぐに以前のように”おい””オス”とは言えない。
今日私は久しぶりに学校へ行った。学校で以前していたように振る舞うのになにかおずおずした気持ちが胸の中に湧いてくる。毎日学校に来ていた者が偉そうで、振る舞い方まで一々支持を受けなければ慣習に合わぬことをやっていると叱られそうだ。どうも照れくさい顔ばかりにぶつかる。自分は注目されているんじゃないかと気にかかる。
その実は自分がそのずうっと学校に来ていたもので今まであったのだからそんなものじゃないと言えるが、とにかく毎日同じ事を繰り返していると言うことには大きな力が潜んでいる。わずかにそれを休むと言うことがすぐにその自信を喪失させてしまう。
三四日寝たっきりで、起きあがって歩いてみてフラフラした。あながち病気のせいばかりでないのは、妙に万年筆を動かしにくいな、と感じたことで分かる。人、あまりにも弱々しくできている。
1957.12.3 Tuesday 1957.12.3
「泣いても笑っても・・・」という表現の仕方がある。「泣いても笑っても後一ヶ月で今年もお終いか」という風に使われている。
人間の代表的感情の相対するものを並べて、面白い表現だが、この頃のように世の中が複雑化してくると人間の感情の方も単に”泣く””笑う”では、済まされなくなってきている。
ノイローゼは泣くことと笑うことのない人間を作ってしまう。昔のように開けっ放しに大声で泣き、笑うことが人には出来なくなった。精神が次第次第に文明の悪に浸食されて来つつあるのだ。
トランキライザーとかいった薬をますます必要とする世の中になりつつあるようだ。
大学入試が多くの学生にとって、悲しむべき精神状態化への促進剤になっているのはすでに知る人ぞ知る以上の事実だ。本当にこの世の中は泣いても笑っても仕方がなくなりつつある。
1957.12.4 Wednesday 1957.12.4 午前三時。
調和!!驚くべき調和!!人が求め、求めずしてある調和!!この社会のこのどっしりと落ち着いた調和。あらゆる調和。自然の、宇宙の、我の・・・
あらゆる人々とあらゆる組織とあらゆる機関がめいめい勝手気ままに動きながら醸し出す底力ある調和。 歌い、笑い、踊り泣く、そしてそれをまた元の静けさに戻す調和。頭の髪の毛の一本一本の間にさえ、メリヤスの一目、一目の間にさえ、その大きな調和がしみ通っている。
我々がいかに大暴れに暴れてもどうすることもできぬこの闇の黒さと厚さを持つ調和は、我々がわずかな小楽節を突拍子に吹くのを、ただ面白そうに見下ろすだけで、その調子を崩さない。
我々を押しひしげるような調和!!
1957.12.5 Thursday 1957.12.5 午前三時四十分
能「羽衣」鑑賞

速き速き
この時の流れは
深く息を
吸う間もなし
1957.12.6 Friday 1957.12.6 午前二時三十五分
後、試験の一科目につき十日しかない。これで入試にパスできたとしたら私はキセキをやることになる。
キセキとは滅多に起こらない、起こりがたいものをいうのである。
1957.12.7 Saturday 1957.12.7 午前二時 今年最後の十五夜(雨)今朝、アメリカ第一号人工衛星打ち上げに失敗

『戦争と平和』鑑賞
「あなたの生涯に二度と見られぬ」という宣伝ほど私にとって絶大なる宣伝効果を与えるものはない。ついフラフラと映画館に入りにけり。
浅学なる私は『戦争と平和』さえ読んでいない。だから「六十万語の大作を完璧に移し替えた」映画であるかどうかについては一言も言える立場にない。よしんば移し替えに不完全であるとしても映画は映画なりに意義を持っていよう。おそらく不完全ではあろうが。
私にはこの映画についやされた私の貴重な時間を今のところ悔やんでいない。見て良かったと思っている。見るべきで見たと思っている。
トルストイの原著では登場人物が500人に及ぶと言うが、映画ではもちろん、原作で”軍隊””群衆”で済むところを一人一人もってくるのだから単なる登場人物の数でははるかに原作をしのぐが、実質的にはかなり切り捨てたように思われる。
それにしてもずいぶん多くの人が出てくる。特別な主人公をトルストイは設定していないと言われるが、原著は知らず、映画では”ナターシャ””アンドレ””ピエール”といったところが、主人公と言えるだろう。
1805--1820年のロシア社会をナポレオンの侵入および敗走と貴族の社交界とを背景としてこの大作は、中休みを入れて三時間あまり、美しく展開して完全に我を忘れさせる。
ロシアという国民と国土の偉大さの前には、一介の立腹者、檻の中の熊とも見えるナポレオン哀れ、敗走の橇の上に涙する彼の心境やいかに、身に染みてロシアの怖さを思い知ったであろう。
現今の全西欧側人の心境も社会構造こそ変われ、やはり黙然としてこのロシア人の前に頭を立てながらも涙した、百五十年も前のナポレオンと変わるまい。
歴史を作る者は皇帝や英雄でなく人民であるというトルストイの思想は十分表されているとは思えないが、クツゾフが、ロシア兵の前で最後の勝利に到達し得たのをロシアの国の力とし、民族の誇りを叫ぶ場面は、その意味合いから意義を持たせようとしたのであろう。
敗走のフランス軍に随行させられ、落後し、銃の前に笑って死ぬ一農夫。その宗教心。その健康さ。これもトルストイの称えるところであろう。
熟した社交場風景。その中に咲ける清潔な高貴な花の種種。ロストフ家の主がたとえアンドレの父の言う、とるに足らぬ人間であったとしても、負傷兵へ示せる同情の念と、我が子をあれほど清らかに育て上げる力とはとるにたるものである。
ああ、ナターシャ、ヘップバーン。美しかれ。清らかであれ。気高くあれ。
(ただ今、火事のサイレン、午前二時四十五分)
私にとって、他のすべての女優に捧げられてきた”ファンの念”は、今こそ彼女、ヘップバーンの前に捧げられるべきである。あらゆる女性に対して、私は若くあれと言いたい。そしてそれが不可能であるとき、私は悲しみの情に涙を誘われ、失われる女性の若き美のために、この世のはかなさを思っては苦しむのである。
あの美しく匂えるヘップバーンにとっても等しく時の流れがあり、死があるとき、今まで繰り返されてきた人間の営みの無常が改めて身に詰まる。すでに実のナターシャの美貌も、清さも、その心も、この世に失せ果てて久しいのであろう。過去の持つあらゆる死に哀悼の情を奉る。
過去、そこには悩める人間がある。アンドレ、・・・
真実の悩み、それがいかに馬鹿げたことに対するものであっても、ただ単に真実であるがゆえにすでに尊いのだ。戦場にさまよい、獄舎につながれ、捕虜の身で行進する・・・・死は生と、死の床に上に見いだされた悩みの悟りは、死後につながる笑いを生んだ。

映画、特に洋画のいいところは色々ある。
まず、豪華絢爛たること。あくせくしているこの我が実の世をその雰囲気の中に完全に忘れさせてくれる。ヘップバーンとメル・フェラーのあの踊り。踊るならあれほど優美に、軽快に、踊りたい、と思わずため息が出る。実にいいヘップバーンは。
そして次から次と着換えられるあのすばらしいデザインの衣装。日本映画はもうお断りだ。
それに女優が美しい。出てくる出てくるすべての女性が美しい。
ヘップバーンの美しさは、若さと清さ高貴から来る美しさで、知的な暖かみのある美しさであり、そこに思想は感じられないがそれで十分なのだ。とにかく、女優にとって大切なのは演技より、その美にあり、その容姿にあり、その容貌にあるのである。彼女にはその清さのゆえにひかれる美しさを感じる。アニタ・エグバークにはその肉感的艶めかしさゆえに反発する美しさを見る。
ヘンリ・フォンダはなかなか好演だと思うし、メル・フェラーも、知的な繊細さ以上のものを感じさせて悪くはない。ナポレオンには少し風格が足りないように思うが、実物を知らぬ身には文句は言えぬ。とにかく、男優もいい。
確かにこの映画がロシア的ではない。多分にアメリカ的---西欧的であり、ロシアの陰鬱な冬でさえも多分に明るく、俳優にはロシア的重厚さはない。欠点と言えば言えるがそれでロシアを知らぬ私には結構だし、いたずらにロシア的にしようとして失敗するより、安心して見られる映画の方がましだ。
昔の戦争ののんきさを見せつけられて、三十秒戦争しか出来なくなった現在の戦争愛好者のために残念に思わぬ事もない。その戦争でさえ、いやその戦争こそが、あの映画を成立させ、題名の半分を支えているのである。そこに戦う人々はその悲惨さを知り、不当に国境を侵した敵に対して心からの憎しみを抱く。やはり平和の我が家を歩くナターシャが一番美しく、平和の中にある家庭が人間にとっては一番の憩いの場所である。

「それが困難であっても常に生を愛する」こと「生」はあらゆるものの母胎なのだ。と映画はトルストイの言葉とともに終わる。
ああ、常に愛したい生、ナターシャではあった。(午前三時五十分)
年月日 曜日 日記本文
1957.12.8 Sunday 1957.12.8
漢字ぐらいやっかいなものはない。英語の単語なら知らぬものが出てくれば、すぐにもa、b、c・・・とたどって引き出せるが、漢字はそうはいかない。読み方がわからなければまったく切羽詰まった気持ちになってくる。いちいち漢和辞典を引く手数には非常に嫌気を覚える。よしんば意味なり、読み方なり、わかったとしても、その語の応用例を載せている辞典を今まで見たことがない。
それに固有名詞と来た日には、ご本人の戸籍でも取り寄せて調べる以外に真の読み方の分からぬ人もいれば、欧米語に変な字を当て込んだ地名・国名がある。
ずいぶん前の新聞に樋口一葉の普及著しく”桐一葉”を”きりいちよう”としか読めぬ人が多くなったとあったが、昨今も日本史の先生が”きりいちよう”とやられて”きりひとは”と私が訂正した。
固有名詞に関する限り慣用を全部飲み込む以外に手がないのだからうんざりする。私は固有名詞を読むのが非常に下手なものだから、いつも音読して済ますので実際の読み方をされて「はて、だれだったかな。」
実際の入試問題には随分ひどい漢字の試験がある。慶大のはそうであるが、ユカタを”浴衣”と直させる早大のも無理な話と思う。その点東大はおとなしい良問である。
とにかく漢字はどうにかして欲しい。せねばならぬものだと思う。私の文章を読めば、いかに漢字力がないかがわかるが、一面便利なこの漢字に”せねばならぬ問題あり”と常に考えているようでは力がつくはずがない。今のところ諦めて、漢字の力をつけるに越したことはなかろう。
1957.12.10 Tuesday 1957.12.10 午前二時
中島光恵さんに第八信。あまり変なことまで書きすぎたかな、読み返して見る間もないほどあわてて出したから多分彼女は誤字当て字にあわてることだろう。
おそらく、まだ島原にあることだろうが、手紙を手放すときは何とも言えずくすぐったい。彼女はどうだろう。
まさか今年中に返事は来るまいが、もし、彼女に会えるチャンスでもあれば、今年は記念すべき年として思い出されよう。
1957.12.11 Wednesday 1957.12.11 午前三時四十六分
◆日記を書くより寝る必要あり。
◆ああ、この世は楽し、なぜって?秘密秘密。いや、書く暇がないのが本音だ。とにかく、楽しいのだ。
1957.12.12 Thursday 1957.12.12 午前三時十七分
例によりまた遅くなった。寝なければならぬと書くのも具合が悪いが本当だからしかたがない。
外は大いに風が吹きまくっている。雲の切れ切れから星を初めて見たような気がする。美しく、自然の楽しさが良く分かる。黒雲の中の月も美しい。
もう豪風は止んで風だけだ。朝頃は元の平穏さで私の起きるのを待ってくれている自然を期待してペンをおく。
1957.12.13 Friday 1957.12.13 午前三時
この日記に向かうときはいつもこの頃は午前二時三時である。
日記に向かって、せわしなく送った一日を思い出すでもないが、なんだかたどり着いたという感じでほっとする。
悪循環が繰り返されて昼寝のためにこうまで遅くなるのだが、私の体質はいわゆる夜型らしいので、少なくとも午前の時間は大分一日のうちで有効な時間なのである。
とにかく、また眠たき朝を迎えるであろうが、今日はここで寝ることにする。
1957.12.14 Saturday 1957.12.14 午前四時三十分
◆起きて見つ寝て見つ時の速さかな。
◆十二月もすでに後半分。1957年もついに後17日残すのみ。
一年それがどんなに長いものであっても、ある人には短いものなのだ。ああもう一年もたってしまったかと嘆息する人々が必ず存在する。そして失われ行く人生と迫り来る運命の時のために胸ふたがれる思いで残り少ないカレンダーをめくる人々が。この抗しがたい時にいつもただ押し流されるに過ぎない私と多くの人々。
抗しがたい時と抗し得るものにする日、その時の流れに乗って泳げる日、流れの一歩前を歩む日、こういう日を果たしてこの時の同じ流れの上に見いだしうるであろうか。心許ない。
また今日もなにとはなしに日は過ぎ去った。私は溺れかけている。
1957.12.15 Sunday 1957.12.15 午前0時四十分
人生の生理現象というものは本来自分の欲する意思によって招来されたものではない。だから、わざわざ隠す必要ものないものである。にもかかわらず、我々は自分の生理を他人に曝し出さない。
そのために人間の社会が非常に進歩したと言える。
私は裸体主義者を否定する。我々が生まれつき持っていたものをさえ自分の責任のごとく一所懸命隠すおかしさは感じられないこともない。ほほえましい素朴ささえ感じられる。
人間はいったいどのくらい前から服をつけるようになったものだろう。
1957.12.16 Monday 1957.12.16 午前三時三十七分
◆今日は大分冷え込みが強い。手がペンを握っていてかじかむなどということはなかった。
◆本当のことを言って皮肉と言われることがあまりに多い。
人は妥協が一番早手回しの良策と思っている。ある人にとっては、そこにあるもの、それはそのあるがままで重要であるよりも、他人の判断のお裾分けを通してみて意義を持つのだ。
物事を自分自身の経験と考え方だけを通して判断する難しさ、しかもそこにある清々しさ、は憧れるところだ。
年月日 曜日 日記本文
1957.12.17 Tuesday 1957.12.17
串田孫一氏が我が校に講演に見えられた。
「自然・愛・芸術」と、自分で言われる大風呂敷を広げたような題で、わずか一時間だから大して実のあることをおっしゃったわけではないが、それでも聞くに足りた。
自然は裏切らぬ、もの本来のありのままの姿を見てその価値を認めることは愛に通じると思われる、もっとも的確な言葉による表現を、等がその骨子だったが、具体例を農村の青年男女などにとり、面白く話された。
終わって、座談会が開かれ、塩田先生の質問を頼まれて二度ほど質問に立ったが、何を聞かれても即座に答えられる。女性の教養は特別に必要かには「私が女性だったら良かったんですが」とちょっと答えにくそうではあったが。
とにかく考えることの少ない昨今の私には有意義だったが、時間がなくて考え方の端緒になるべきものや哲学について質問するチャンスを逸したのは残念に思う。
無試験入学の氏は、他からコースを決められたように言われるが、まさしく適したコースを選ばれたのと変わりないようだ。
1957.12.18 Wednesday 1957.12.18 午前二時
人を殺すことほどこの世の悪はない。償いのできぬ絶対の生を奪う権利は何人にも認めがたい。しかし、死刑が行われるのは肯定する。
目には目と古い考えかも知れぬが、やはり償いとしても死ぬに十分な罪はあるものだ。だから、人を死にやる権利を持つ唯一の裁判所と言ったものが、よほどしっかりしていなくては堪らない。
ローゼンバーグ夫妻が原子力のスパイとして、人々の請願もむなしく死刑にされたが、必ずしも妥当ではないようだし、今日米のロケットの設計図スパイとして死刑にされた人が明日米の空高く飛ぶソ連の人工衛星を墓場の下から眺める気持ちはどうであろう。
こういうことも起こりかねない。
私は殺されたくない。だから、人を殺そうとは思わない。
1957.12.19 Thursday 1957.12.19 午前四時四十分
◆いつも時間ぎりぎりに間に合わせている人はいくら時間に余裕があってもぎりぎりにならねば行動を起こさないものだ。
1957.12.20 Friday 1957.12.20 午前三時
◆ああこの一瞬、全宇宙をその空間においてその時間において蔵せるこの一瞬をしかして人は短いという。
◆この一瞬に含むすべて、それは宇宙の縦と横の広がりだ。
◆一瞬の壊滅、それは”全”の壊滅だ。
宇宙の壊滅、それは一瞬の壊滅だ。
◆人類の滅亡、それはこの一瞬をも奪い得ない。
◆一瞬、やはりそれは短いものだ。あまりに広大無辺なものは人にとっては無に等しいのだ。ちょうど宇宙がそうであるように。
1957.12.21 Saturday 1957.12.21 午前四時十五分
外国を私はあまりにも知らない。単なる知識としてでも外国を知っていて、損になることはない。もちろん、実際に外国を見て回るのには及ばないが。
単なる知識と外遊の間に、文通というすばらしい外国を理解する方法がある。
教科書で外国の慣習を学ぶよりも、実際にそれを行っている人の手で書かれた手紙から知ることの方がずうっと身近さが感じられ親しみが湧こう。
私は今一人の外国のペンパルも持たぬが、色々な国々にそういう友達を作ることはとても私の興味を呼ぶことだ。
ニューヨークのクリスマスをロンドンのイースターをローマの謝肉祭を、その目で見た人の口から聞くことはどんなにすばらしことだろう。
1957.12.22 Sunday 1957.12.22 午前三時四十分
私は多くのすばらしい特性を持って生まれてきている。
同時に忌み嫌うべき多くの欠点も。
同じ性も誇れる長所とも悔やむべき短所とも見えることがある。
私は良い点からも悪い点からも、かく言うものの、あまりにも特性を利用していない。
他人にあっては宝石に値しよう私の特性も私においては石ころのひとかけらほどの値打ちしかもたない。
与えられた才を誰にも感謝することなしに放りっぱなしにしていた。
感謝する気持ちがあれば少なくとも投げ出しのままにおいておくことのできぬ長所が働いたはずである。
感謝する気持ちを持たないというこの短所がその長所を働かせていないのである。
私の多くの欠点が多くの長所の活動を制御している。
ものぐさ、不徹底、無思慮、妥協性、等々の欠点がこれである。
更に口に出すのも嫌な多くの欠点がある。
自分をこのようにかばいたがることも大きな欠点ではあるが。
すくなくとも私の内に見いだされる特性は磨けば、良かれ悪しかれ更に高度に達しうる可能性を蓄えている。
与えられたる、授けられたる、この内なる力を充分に発揮させることこそ人に生を与えた神に対する務めであり、生の条件ではなかろうか。
私はキリスト教徒でないから罪を背負った生活は好まない。
現在の私の罪を除くべく努めよう。
1957.12.24 Tuesday 1957.12.24 クリスマス・イブ
◆いよいよ冬休み。
◆今日はクリスマス・イブ
◆日本人はだれでもクリスマスを祝うらしい。彼らは大方はクリスチャンではないが。
◆冬は寒い。しかし寒いこと必ずしも冬ならずである。
◆クリスチャンはクリスマスを祝う。しかし、クリスマスを祝うこと必ずしもクリスチャンならずである。
◆私はクリスチャンにメリークリスマスと言った。しかし、私にはラジオ以外の何ものかがそういってくれることを期待できない。私はもちろん期待もしていない。ただお祭りとして敬虔なお祈りを捨てて受け入れられたクリスマスを可愛そうに思うし、お祭り以上のものとして受け入れることのできない日本人を哀れに思う。
◆私には今のところ「メリークリスマス」は必要ない。
◆私には一生宗教に関わらずに暮らしていく可能性もある。
◆ただ商売としてマイクの前に引っ張り出された芸者連が盛んに陽気なクリスマスを祝うのを非難しようなどという気持ちはさらさらない。そうあることが彼らの生活源であり、日本人の幾人かでもこのお祭りクリスマスに楽しい思いを添加されているとしたら宗教論争も無駄であろう。
◆私は宗教のシの字も知らずに「清しこの夜」が歌えるしなにか憧れに似たものを感じることができる。
◆私は寝る前にきっと星を見つめる。そして星を見つめる私の中に”何か”が芽生えてくる感じを受ける。
◆人の崇高なるものへの崇拝の気持ちは今も昔と変わりない。
1957.12.25 Wednesday 1957.12.25 午前二時四十五分
いつもと少しでも違う様子なり、行動なりをすることはなかなか照れくさいことである。
私は今日刈り上げに床屋へ行った。出来たのはあまり上手とは思われないがやはり人が見れば刈り上げたことは一目瞭然だからにやにやしたり、からかってやろうと声をかける。
床屋にも私の記憶にある限り、まあ二度目程度のものだが、初めの一度はもはや遠い彼方のことだから、今日をもって最初としても良かろう。
まったく驚くべきは床屋である。人にちょっと触られても、普段なら気持ちの悪い顔をあらゆるテクニックで撫で、さすり、たたき、押し、器械まで使ってスッポンスッポンとやる。タオルで蒸す、クリームをつける、シャボンで覆う。挙げ句の果ては肩までもんでくれる。
素人なもんだから、あの床屋独特の椅子に寝ころんでいて、「さあ、いいですよ」と言われてあわてて跳ね起きた。どっこい隣の席が空いたのだった(もっとも二つしか椅子はなかった)。おかげでシャボンが服にはねてしまった。しかし、床屋は私が素人であると見破っていたかどうかは知らぬが、私が寝ころんでほとんど目を開けていなかったので「寝ていてびっくりして起きられたんでしょう」と言った。私の前の鏡の中で、ずいぶんご立派になられたお坊ちゃん顔がにやにやしているばかりだった。
とにかく顔に白粉まで塗ってもらうと私は見違えるような色白の美青(少?)年になっていた。
ところで料金は170円だが、あの顔の手入れに対しては安いようでもあり、高い気もした。とにかく、ただの刈り上げならもっと安いことは請け合いで170円では高すぎて、そうちょくちょく行く気もしない。髪の長さは3センチほどしかないが。
1957.12.26 Thursday 1957.12.26 午前二時半
私の驚くべき生命力か反発力か、きっと明日こそはと言わしむるのは。あるいは私の傲慢か、不遜な精神か。今日を失ってまた明日に期待を寄せることをこう毎日毎日元気に続けて行けるものはそうあるまい。誇るべきかあきれるべきか。
ともかくも、くじけてしまうよりはいいようなものだけど。
人は現在に生きるより方法がないことをこれほど繰り返して言っているのにまさしく唐人に寝言、毅一郎に忠告である。
本当に追い込みへの秘策でも立てるべき時なのだ。明日こそはと言えばまたこの日記の始めに戻るようなものだけど本当に明日こそはその一日を有効に送ろう。明日の日記がこの文章を入れて”昨日と同じ”にならないことを期待する。
1957.12.27 Friday 1957.12.27
一つの表現が立場をもっていることに気づかずに使っている場合が多い。たとえば、人工授精と普通書かれるようだが、明らかに女性側からは人工受精と書かれるべき言葉なのである。
下克上という言葉にしても、貴族側から見たときもっとも実感にみちた表現になる。普通授業等と言うが明らかに受業の方が生徒が使う言葉としては正しかろう。探せば”授””受”のついた言葉は大方そうだ。
受講、受精、授産、受領等々。
日頃気をつけていればもっと面白い色んな表現に出会うかも知れない。案外こういうことには気をつけないものだから思い出そうとしてもなかなか適当な例が出てこない。
1957.12.28 Saturday 1957.12.28 午前三時
モームの"The Summing UP"を読みかけているが、なかなか面白い。一個の人間の偽らぬ姿が、偽らぬがゆえに(モームが言うように、大方の人間は偽りの側面を形成している)面白く感じられる。
八方破れ的な完全無欠さとでも言おうか、あらゆる人間的なものをありのままに見、考え、描くモームの文章があまりに用意周到なのでいささか抵抗を感じないわけでもない。しかし、私はほどんどすべてのページに彼への賛同の拍手を送って、そのすばらしい彼の文章の力の切れ味に驚くのである。
「わたしは人間がたいして好きではない」と言ってのける彼の目には人間があまりに良く映りすぎて「シニカルだと言われ」てその弁護(?)までしている。
自分自身をこれほど良く知る人がはたしてどれほどいることだろう。自分自身を知っているだけに文章は自信に充ち満ちている。
1957.12.29 Sunday 1957.12.29 午前二時二十分
◆やがて学窓を巣立たねばならない。
◆別れるとすぐに忘れられてしまう人、思い出すのも嫌で無理に忘れてしまおうと思うような人、そんな人間は実に哀れだと思う。そしてそういった人間が先生の中に多いのには驚く。
三カ年もの指導を与えておきながら、生徒に記憶されてもせいぜい校門を出る時までくらいの感銘しか与え得ないとしたら、人間として最も貧しい人ではなかろうか。三カ年を実にそういった人間の下で暮らさなければならない生徒の身は、これは、常態的に哀れである。
我々がそうして早急に先生を記憶から葬り去ることを恩知らずと言う表現で表すべきことだと考える人があるとすれば、その人に我々の受けた”恩”の内容を包み隠さず見せようと思う。そんな恩は初めから受けずに突っ返しておくべきはずのものだったのだ。これからでも返せるものなら返した方が気持ちがさっぱりするような押しつけがましい恩なのだ。
道徳教育がはやるこの頃のこととて恩知らずだという評価を私はあまり好まないのである。
1957.12.30 Monday 1957.12.30 午前三時半
今年も後三十一時間弱しかない。またしてもこの一年というものの本然たる長さの認識不足のままで年を越さねばならないようだ。
今ちょっと日記を読み返してみたが、我ながら嬉しくなった。これはどうしてでも続けていかなければと思った。面白いことを書いているのだ。もうすでに忘れているような考えもあるし、今もって未解決の悩みを憂えている姿もある。この日記を一年分通して読めば一年という長さがどういうものであるかが分かりそうな気がする。少なくとも読まぬよりは分かることだと思う。
過去の日の自分に少しでも触れることが出来る喜びは何に増しても良いものだと思う。またこの今日の日の私が明日の日の思い出になり、長い年月の後で振り返られる運命にあるとすれば、できるだけ今日の私を紙面に表したいと思う心が切になってくる。過去の唯一の貴重な時間上の記録として私は日記を尊重する。
◆上京の際の宿舎について草野尚さんが親切な援助をして下さることになってひとまず安心。
1957.12.31 Tuesday 1957.12.31 
私は後7分少々、1957年に存在できる。日記を書くならやはり三十一日のうちに書いとかなくっちゃ一年の隔たりはあまりに遠い昔のこととして目に映るだろうから。
過ぎゆく年をやはり一抹の哀愁の心から”さよなら”で送る。私はあまりに無関心に今日という日を迎えたようだ。(除夜の鐘が一つ鳴った)そしてはっきりと割り切った考えもなしに後二分ほどで今年を終わってしまわねばならぬ。私は単に人為的(今0時が鳴った。)に定められたこの年の境を否定したり、馬鹿らしいものと思ったりはしない。非常に意義のあることだと思う。この無精な私にしてが、畳を出してまで部屋の掃除を今日する気になったくらいだから。
私はそれほどの進歩はなかったにしても1957年から何かを得ているのだ。それは私の人生において欠くべからざる何かであり、その何かは私の人生行路において大切な役目を果たすかも知れないのである。その意味で、どれほどつまらなく思われる一日でも、私にとってすこぶる重大な結果を与え、その一日の欠如が必要以上に私を不完全なものにするかも知れないのである。
あらゆる物は、それを知覚するものの内において初めて存在するのである。宇宙なり、人なりというものは知覚されないならば存在しないも同然なのである。
「あっ、虹だ」と指さされた遙か上天に見える虹はその人の目の位置で初めて見える虹であって、叫んだ本人の指さした虹とはまったく別のものを見ているのだ。
私達の目の前、身の回りに私達の目によって多くの物が、その人独自の状態で存在している。ある人には存在する宇宙も、ある人には必ずしも存在するとは限らない。宇宙を知覚認識し得ない人にとっては宇宙は存在しないのである。
六人の盲者が象を手探りで認識した方法以上の方法で我々は物に存在を与えているとは断言できない。一つ一つの事々を我々は確実に知覚することによりその純なる姿に近づかねばならない。物体自体が、ある絶対の域では完全な姿で存在しているかも知れないのであるが、少なくともこの世で一般に名詞を与えられている物体の存在している状態や内容は同じ名詞といえども一人、一人の心の内では異なっている。
私という人間は私自身の内の存在と他の多くの人々の心の中の存在では当然別個の形態をとっているのが当たり前である。そして、その存在がこの世におかれて見られているだけに、私の最も本然たる存在態の認識を私自身がやっているとは限らない。そういう私がこの私を支配しているところに私の危険性があるとともに、多くの人間にとっては弱点となっている。
およそ人間の独自性はおのれ自身の存在を認識しうるところにあると思われる。
一匹の猫において、その存在を猫として自覚しうるならば我々にとってのその存在はどれほど不気味だろう。猫には自身を知る能力が欠如しているがごとき状態で私にとっては猫は存在しているが故に私はその存在を無視し哀れに思う。
”恋”とは互いの存在をその最も高調した状態で認め合う状態である。
かく拙論を述べているうちにもう午前一時近くになってしまった。年の改まりのもたらす好影響の一つか、元旦から朝寝坊も良くあるまいという気持ちが働いてくる。
良き元旦を迎えるため、名残惜しくもペンをおく。

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