日記の部屋1963(10)/Diary1963(10)

(2000/4/16開設:since April 16,2000)
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(2000/5/13掲載)
年月日 曜日 日記本文
1963.8.2 Friday ◆東急ゴールデンコンサートに行って来た。たまに生の演奏会を聞くことはとてもいいことである。今日のようにたとえうつらうつらしながら聞くにしてもまるで渚の波の上に身を浮かべたような気持ちよさはかけがえがないものに思われる。
 今夜は”バレー音楽の夕べ”。曲目はpopularなものが多く、グルック=モットルの「ハレー組曲第一番」チャイコフスキーの「白鳥の湖」、ショパンの「レ・シルフィード」の三つ。どれも美しい曲で快かった。
 音楽はいつ聴いても素晴らしい。楽器の一つ一つがそれぞれにいかにも個性豊かな美しいメロディーを奏でる。ヴァイオリンの最高音で心をえぐるようなあの白鳥の湖大3曲Scene.オーボエのもの悲しげな響きならあの序奏のアンダンテ。バスの低い太い音は腹の底を揺すぶるようだ。ハープ。クラリネット。チェロ。そうした様々な楽器が織りなすシンフォニー。I like music very much!

◆K.Sさんから暑中お見舞いの葉書が来た。僕が病気になったと聞いてびっくりした。病状はいかがですか。とある。その頃僕のうちに住所を聞きに行ったのだそうだ。父宛に出した長い手紙を読んで貰った。僕の母もすっかり良くなっている。と僕のうちの様子を知らせてくれている。最後に<暑さ厳しい折無理しないで早く元気になられますように>
 返事を書くとすれば、今日の医学では盲腸は病気の部類に入らぬ故ご心配はご無用なり。ピンピンしているとでも、認めようかしらん。

◆桔梗
夢見る瞳に紫の
桔梗は揺れて夕暮れの
乙女の庭に快き
ヒグラシの声かなかなと

桔梗の花が草陰に
密かな夢を結ぶとき
乙女の歌は窓辺より
流れてわらべの子守歌

1963.8.3 Saturday ◆
乙女の白いうなじに
バラ色の花が
匂うように咲いている。

通勤電車の人混みの中で
そのシルクの花びらを
窓ガラスに映してみては
乙女は頬を染めながら
白魚のように細い指先で
もてあそぶ
感触を楽しむかのように

夕べの甘い愛の露を
心ゆくまで吸って
一夜のうちに忽然と
咲き開いたバラ色の花を
乙女は恥じらいつつも
愛おしんでいるのだ

ご覧、乙女の瞳の中に
夕べの思い出がよみがえり
朝露のようにきらめくものが
窓ガラスに映った花びらの上に
揺らめくように
注ぎ込まれているのを

ご覧、上気した乙女の頬も
もう みごとなバラ色の花になった

1963.8.4-1 Sunday ◆この世の中に言い切ってしまうことのできるものが何か一つとしてあるのだろうか。僕にはその答えさえ言い切れないのだ。このことが、そういった種類のものが少ない事を示す一つの証拠だと行っても良いのかも知れないけれど、それほど簡単にも割り切れるものでもない。
 この世の中に何千何万といる人間の一人一人が僕にはますますわからない存在になりつつある。一体人間にとってどんな生き方が一番望ましいのだろう。この僕自身にとってどんな生き方が一番望ましいのかと考えようとすれば必ず人間一般のこの問題に突き当たるのだ。他人にとって望ましい生き方を実現するために自分の一生のある部分をかけることが僕にとって望ましく思われても、果たしてどんな生き方がその人間そのものにとって望ましいものかわからないのだ。とすれば問題はそこで渋滞してしまう。
 この夏の日盛りの中を何万何千という人が海へ山へと出かけていく。灼熱の太陽の下で黒こげになりながらエネルギッシュに人生を楽しんでいる彼らに、どんな生き方が望ましいかなどの問いは馬鹿げて見えるだろう。あまりにも健康に、僕らにとってはあつかしくも見えるほど傍若無人に生きている人々に、一日一日の健康をおもんばかりながら、日に三度の外食にヘイコラしている57kgの弱身が、一体いかなることをしてやれるというのだろう。
 僕らと全然共通の言葉を持たないような人間がますます大量に生み出されてくるような状勢だ。一体人間とはいかなる存在だ。彼らにとっては幸福とは何なんだろう。僕自身にとって幸福と思われることが彼らの尺度には通じず、また彼らの幸福が僕には理解できぬとするならば、僕はいかに生きていけばよいのか。

◆世界短編文学全集ロシア文学9世紀の中から
”Жамаиь”  Махал Юрьевцч Лермоитов
”Бежци луп”   Цваи Серлевцч Жургеиев

Жамаиьは27歳の若さで死んだЛермеимовの小品、米川正夫の訳になるもの。ぶっきらぼうな語り口の中に、人生の一局面を鮮やかに浮かび上がらせている。自ら好んでかかずり合う必要もないことにほんのちょっとした弾みにかかずり合って、自分でも思いもかけなかった重大な影響を他人の生活の上に与えてしまうようなことは人間にはありがちなことだ。他人の生活だけではない。その跳ね返りで自分自身の人生行路さえ大きく変えなければならないようなことさえ起こりかねない。そうした局面に遭遇すれば我々の心は大いに動揺するものだ。淡々とした詩情がこの作品の底に流れている。
Бежци луп<<ベージンの草野>>はЖургеиевの小品である。彼の自然描写は定評のあるところだ。すでにСбцчаиме<<あいびき>>を読んだときにそれについては触れておいた。この作品の中でもそれはひときわ光っている。明朗な一日の一刻一刻の移り変わりが目の前に浮かんでくるような見事さだ。朝がゆっくり明けていく情況がほんとうに精緻な筆で描かれている。もう一つ僕が感心したことがある。夜の暗闇の中で焚かれる焚き火のこれほど見事な描写をこれまで見たことがない。高く燃え上がったり一時低く地を這ったりする炎の揺らめきの一つ一つまでが目に見えるようである。爽やかな夜気の中での健康な若者たちの団居がいかにも清潔なタッチで描かれている。感じを言えば涼風の感じである。

1963.8.4-2 Sunday ◆日記とは僕にとって一体何なのであろう。日記をこれまで随分長い間書いてきたけれどこのことについて深く考えたことはなかった。そしてこの文章を書くちょっと前まで、そんな問いがぼくの頭の中に沸き上がってくることはなかった。それは、今忽然と沸き上がってきたのだ、と言って言えぬことはない。しかし、何かしら心理的なつながりとでもいうべきものを、ぼくのここ一月ばかりの体験の中に見出すことができるような気がする。
 というのは、いつ頃から僕の机の上のBookendsの間にはさまれて立つようになったかは知らぬが、2冊の古い日記帳があり、それをこの頃ちょいちょい見ることがあった。一冊は大学に入って最初の年の夏休みに書き始められた同年の12月1日付けで終わっており、他の一冊は昨年の4月20日から11月21日までの日記帳である。この二冊の日記帳を読み返してみて、ぼくはこの頃のぼくの日記の内容の空疎さと、バイタリティの欠如とに深く反省させられることがあったのだ。大学の一年生と言えば確かに生きの良いときではある。日記がピチピチと若者らしいフレッシュさに溢れていても少しの不思議もない。
 そうしたことを知りながらも、敢えてこの頃の僕の日記に不満を覚えずにいられなかったのは、日記に対する真剣な態度がその頃と比べるとこの頃は薄れてきているのではないかと思われるからであった。古い日記を読み返してみて、ぼくがなにか溌剌としたものを感じ、とても面白く思ったのも、一日一日、真面目に物事と対決し、真剣に物事を考えようとする意欲がそこに見えたからに他ならない。
 この頃の日記の調子にはなにかおざなりないい加減さが見えて腹立たしく、すこしも読み返してみる気にならないのである。読み返してみても面白くもないし、得るところも少ないように思われる。単なる日記、小学生の時に求められたような一日一日の生活記録でしかないならば、たとえそれがどんなに面白おかしい口調で語られているとしても読み返してみる分には少しも面白くないのである。
 だからといって、ぼくは全面的にそうした意味での日記的性格をこの日記から奪おうと言うのではない。それも日記の一つの貴重な性格の一つであると思うし、実際色々便利な点もあって、上では激しく非難したけれどまんざらでもないのである。
 したがって、ぼくの言いたいことは日記を書くのにもう少し真剣な態度で臨んで欲しいと言うことなのだ。自分自身がまずお調子に乗ってしまうと、大して面白くもないことになる。尾ひれを漫談調で書き記すようなことは、まずもって願い下げて貰いたい。一日一日を空疎に過ごしたのではない証拠に後で読み返してみてもなるほどと思わせるような斬新な思索を展開して貰いたいものだ。あまりにも安易に、一日一日の些細なことを冗漫に映し出して、それで事足りたとし、”日記をつけた”という自己満足に陥ることは止めなければならないと思うのだ。日記をつけることは一体何のためか、ということにこのあたりから帰っていける思う。
 日記とは確かに人間性のある一つの弱き面を補う役目を持つものである。人間ほどあらゆる存在の中で生命に対する執着心の強いものはない。そこから人間の自らの失った日々への郷愁とか淡い惜春の情とかが説明できるように思われる。この点から、自らの失った日々に自分が一体何をし、どんなことを考えていたかを記し留めておくということの持つ意味が理解できるであろう。日記を読み返しては、人は懐かしさに胸を震わせるのだ。自分の輝ける若き日、愛し愛されていたあの人のこと、受験勉強に明け暮れた苦しみの日々。そうした様々な日々の情景が日記という媒体を通して生き生きと甦ってきて、人の懐かしいと思う心をいやが上にも高まらせ、なにがしかの満足感を与えるのだ。
 ぼくが日記を書くとき、この点からの考慮も勿論強く働いている。この日にやったこのことをこの日に考えたこのことを、この日に感じたこの鮮やかな感覚を、是非ぼくは留めておきたいと思う。そしていつの日かこの日記をひもとくとき、ぼくは懐かしさに胸を膨らませながら、両手を開いてその思い出を抱き締めるのだ。この日にやったことをこの日を除いて、この僕を除いて、一体何時、一体誰がより正確に書きとどめておくことができよう。とすればぼくは情熱に駆られるようにして、その日のことを書きとどめることになるのだ。
 この日記の3月4日及び5日はそうした情熱の書かしめた日記だ。ぼくはその日の日記を読み返すたびに「谷間の百合」を読んで涙を流した感激を、ベートーヴェンの「第九」を聞いて足を踏みならした日の興奮を呼び覚ますであろう。もしぼくがその日、日記をつけることを怠っていたとすれば、ぼくは、こうした感激をどのようにして分かち合うことができたであろう。目の前に品の良いあばあさんが座っているからといって、その人の若かりし日の美貌を目に浮かべ、興奮することは不可能なのだ。すでに消え去った日の感激は、日記に記されていないかぎり、ぼくらをして二度と感激を呼び覚ますことはできないのだ。ぼくは日記をつける、この日を永久に留めるために、ぼくはぼくの存在した一日たりとも完全に失われたものにしたくない。ぼくの短い一生には一日たりとも貴重なのだ。そのためには少々つまらないことをも日記に記しておく必要を認めなければならないと思う。
 ところでぼくの言いたいことは、最初上のようなことではなかった。筆の勢いのおもむくままに上述のようなことを記したまでだ。だけど少しも本心を裏切っているようなところはない。ありのままを書いたに過ぎぬ。そうは言いながら、筆の勢いのおもむくままに書いたとは言いながら、これはこの日記にとって、すこぶる貴重なことを示しているのではないだろうか。そしてぼくが最初言いたかったことはその中に含まれているのではないだろうか。
 すなわち、一つの問題を提起して、そのことについて日記と対話を通じて思索を練っていこう。日記にそうした役目を持たせたいと言うことなのだ。ぼくにとって、日記がそうした思索の場となるのだ。大学一年当時の日記がこの頃のよりも内容が豊かであるといった理由は実にここにある。日常の些細なことの記録も先に言ったような意味で意義のあるところではある。でも日記をそれだけのもので終わらせたくない。一日一つでも意義のある思索をする習慣を日記を通してつけていこうというのが、ぼくが”日記とは一体何であろう”という問題提起をしたときからの狙いだったのだ。一日一日何かについて真剣に考えるという習慣というものは大切なことであると思う。”何か”ということがまた何かという別の問いを生むであろうし、更に欲を言えば、系統的な一つの問題意識の下での思索であるほうが望ましいのでもあろう。
 しかし、泳ぎを覚えるのにはまず水に浮くことを覚えなければならないのだ。平泳ぎ、クロールはまだ先の段階である。水に浮くようになれば、また平泳ぎで泳いでみたくなったり、クロールで泳いでみたくなる。より早くより長くも泳いでみたくなるだろう。それはしかし先の先の話ではある。
 まず水に入り身体を浮かすことを覚えよう。ぼくの日記を今日からそうした思索の場として少しずつ建設していくのだ。失敗もあろう。しかし完成の日まで暖かい目で見守って欲しいものである。
 それにもう一つ日記の持つ重要な役目がある。
 それは文章を書く習慣を失わないようにすることである。文章はしばらく書かないでいると書くのがおっくうになる。何時の間にやらペンも鉛筆もどこかへ行ってしまうようになる。そうなれば実際に必要に迫られて文章を書くようなことになっても、ろくなものしか書けない。こうなっては困るのである。
 ぼくは文字も拙いけれど文章の方もそれほどうまくない。文学作品を読むたびに自分の文章と引き比べて何という素晴らしいものであろうかとつくづく感じさせられる。そしてどうにかしてそんな素晴らしい文章が書けるようになりたいと思う。しかしながら、文章も文字と同じく実際に自分でペンをとって書いてみない限り、少しも進歩がないものなのだ。単なる願いだけで文章がうまくなれるものなら、作家は失業してしまうだろう。
 何をするにしても努力がいる。美しい文章が書きたかったら美しい文章を書くための努力がいる。毎日毎日どうしたら美しい文章が書けるかという意識を持って文章を書いてみるに越したことはない。そのためには日記とはまさに絶好の試練の場ではないか。
 明日からの日記を内容のある、しかもピチピチと生気のある日記とするために大いに頑張りたいものだと思う。

◆今夜ももう0時を20分も回っている。窓の外を見渡しても遠くにポツンポツンと窓の灯が見えるだけで近くのなじみの窓辺の明かりは既に消えている。中央線の電車の音が時たまして静寂感を深めながら遠くへ遠くへと消え去っていく。もう寝ることにしよう。Good Night!

(2000/5/10掲載)

年月日 曜日 日記本文
1963.7.27 Saturday ◆土曜日。全く言葉に甘えて今週は今日までずうっと休んでしまった。でもここであわてて一日二日早く出勤し始めたところで、後で後傷が痛んだり、そのためまた休まなければならないようなことになるかも知れないことを考えれば、他の人には迷惑をかけたとしてもやむを得なかったと言わなければならない。迷惑をおかけした分はこれまでの静養で貯えたエネルギーで補うべく努めることである。すっかり元気になった。最後の休みを楽しくすごそう。
 
◆昨日、父から端書があった。母上の経過はいいらしい。主治医曰わく、こんなによく手術ができたことは初めてで、こんなに早く退院できたのも滅多になかった、とのこと。本当に良かった。父は7月30日に島原を発って8月7日頃東京に着く予定らしい。できるだけの歓待はしたいけれど勤めとの兼ね具合でどうなることやら。

◆8月2日金曜日の東急ゴールデンコンサートの招待券を手に入れた。2枚。都合をつけて行きたいものである。

◆昨日”囲碁”を買ってきた。読みだしたらなかなか手放しがたく、もう大半は読んでしまった。読んだとはいえ、碁の本などというものは一回軽く読み通したぐらいでは少しもものの役にはたたないものなのである。二回も三回も読み直して碁盤にでも石をを並べてみるぐらいの熱心さがなければ、碁の本を買ったからと言っても、自分の棋力の方にはどうやら何の影響もないらしいのである。

13:40:00
◆7月も27日。昨日今日と大変暑い日が続いている。まさに盛夏である。そろそろこの部屋にも日が射し込み始めた。暑くなってきた。どこかに引っ越さなければならない。午後からは読書をしよう。サミエルソンのEconomicsとロシア文学の短編集、ロシア語の文法書。この部屋を抜け出すまではフランス語の文法書を。

1963.7.28 Wednesday ◆今夜は長い休暇の最後の夜だ。もう12時を過ぎてしまった。明日からまた元のように毎日毎日満員電車にもまれながら役所と下宿との間を往き来する一介の安サラリーマンに逆戻りすることになる。
 それにしてもほんとうにこの休みは良かった。十分にエンジョイしたと思っている。今日も僕は悠々と朝寝坊した。起き出したのはお昼近くだった。朝ご飯でも食べようかと何となく上りの国電に乗った。荻窪で降りようとしたら、確かに僕の知っている女の子が乗り込んできた。誰だっけ、と思いながら彼女の背後でどうして話しかけようかとしばらく戸惑っていた。車掌が検札に来たのは好都合だった。彼女の後ろから定期券を覗き込むと荻窪ー目白となっている。間違いない。岩間嬢である。岩間克子、日本女子大二年。克子は小粒でピリリと辛いとかなんとかM会合唱団の会報にいつだったか載っかっていたことがある。
 そこまでわかりながらそれでも何となく話しかけるのが躊躇された。近くに他の女の子が立っていたせいでもある。やっとこさで話しかけたのは電車が新宿駅をスタートしかけた時だった。僕が彼女の右側の空いた吊り輪に手をかけて彼女の右肩を軽く叩きながら”岩間さんでしょ”と言うと驚いて振り向いた彼女の顔が”まあ”という小さな叫び声とともにほころんで”お珍しいわ”
 本当に小柄でまだあどけないような笑い顔だった。目が細くなって口元にえくぼができる。話題はもっぱら合唱団のことに終始した。今日もその合唱団の会報を作るために本郷まで出かける途中とのことで、お茶の水駅まで話しながら行って、別れた。
 去年の夏の写真を送ってくれるという。是非M会の練習にいらしてくださいと彼女は名残惜しそうに何度も言ってお茶の水駅の階段を登っていった。今からご一緒に東大までということだったけれどやっぱり照れくさいのでよした。
 四年生の連中はほとんど銀行に就職したらしい。8月19日から野尻湖で合宿をやるのだけれど参加者が100人もいるのよ。古い人達が新しく入ってきた人の中に紛れ込んでしまうみたいで、練習の時なども捜さなければならないくらいなの。etc.etc. M会の話を聞くのはずいぶん久し振りのことだ。今年1月12日の新年会に出たっきりでその後文集作りの時時たま顔を出したことがあるくらいだ。ずいぶん様子も変わったことだろうと思う。こんな話を聞くとなんとなく懐かしくなる。去年の夏の合宿のことなどを思い出した。その時の色んな事ども。色んな人のことなども。
◆お茶の水から新宿に引き返して伊勢丹で買い物をし、推理劇場で”リバティバランスを撃った男”を見た。いい映画だと思う。ジョン・フォード監督映画でジョン・ウエインとジェイムス・スチュアートが主演。ハリーの役をやった女優も僕の好きなタイプの女性だった。
 ジョン・フォードの映画には何とも言えないいいムードがある。詩情とも言ってよさそうな雰囲気がある。それが見ている側にも伝わってきて何となく楽しい気分になる。人間の善意というものへの信頼とでも言うべきものが大らかに歌われている。どんな映画にもジョン・フォードはユーモアを忘れない。このことは観客を愉しませることを忘れないと言うことに通じている。観客は銘々大いに愉快そうに映画を見ていた。アクション場面の緊迫感や盛り上げのうまさにも年季が入っていて我々観客としては固唾をのんで画面に食い入ることになる。
 8時半頃帰ってきた。夕刻5時頃M.Wさんから電話があったよし。明日にでも電話しよう。ではBon nuit.
<1:05:00>
1963.7.30 Tuesday ◆昨日から出勤。昼食を小島さんから驕って貰った。全快祝い。8時頃M.Wさんに電話。31日にデートの予定。楽しい電話であった。
◆重工業課に出かけて秋山、庄野らと話す。日本ライン下りの写真や秋山の撮った写真ができていた。ビールを飲む。
◆今日昼食は千代田に同期生23人が集まってくれての全快祝い。
After that, Iwent to the cofee shop "Ran" with Okabe,Yokobori and Ono. There we talked about many interesting things. 
From 6:00p.m. ,we had a reading meeting at Kyosai Kaikan. 10members gathered.
After that the four of them including me went to a Beer Garden in Hibiya Park. We had a very good time,talking many amusing stories and drinking a big juck of Beer.
1963.8.1 Thursday ◆今日は8月1日。外は夜来の雨。涼しい朝だ。静かである。散髪に行こうと思って早く起きた。
◆昨日暑中見舞いの葉書と名刺を注文した。8月4、5日は暦の上では立秋のはずである。葉書は5日にはできるという。とかくこうした類の挨拶状は出す時期が難しい。病院に入院していたために少々時機を失した感がないではない。
◆東京駅の南口交通公社に待ち合わせてM.W嬢とデート。彼女は28日まで四阿高原での合宿に行っていたせいで相当日に焼けている。でもやはりいつものごとく手足にしても身体全体にしても実にほっそりしている。新宿でご飯を食べ、荻窪でコーヒーを飲んだ。
 実は彼女今日の午後10時に京都に発つ。京都と言っても天橋立に近い田舎の町である。そこで僧院にこもるらしい。いろいろと盛りだくさんのscheduleがあるらしく一度東京に戻ってからまた富山宇奈月など北陸などを回るらしい。9月1日ぎりぎりまでに周遊券を使わなければならないと言うわけで、南口交通公社に出かけたのも使用開始日を8月1日付けにして貰うためだった。
◆N.S嬢に電話。彼女金曜日に旅行に出かけるらしい。例によってなかなかに楽しい電話が続いたけれど、今週中にデートでもしようと考えていた目論見は外れてしまった。でも英会話を熱心にやりましょうということになって、研究社の"American Spoken English"のelementary courceを使い隔週毎に覚えっこをすることにし、その詳細は来週にいつか会って話し合おうということにした。
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