目次
| 年月日 | 曜日 | 日記本文 |
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| 1963.8.7 | Wednesday | ◆月曜日には暑中見舞いの葉書の印刷ができあがった。50枚刷って貰ってその日は仕事がなかったので昼間中宛名書きに専心した。約40人近い人に差し出した。まだ住所がわからずに出そうと思いながらそのままになっている人が数人いる。
◆昨日の火曜日6時から木の実会の読書会を共済会館でやった。木の実会の紹介が済んでいないのでここで簡単にその概要を記しておこう。木の実はコノミからきており、コノミとはエコノミックスの中の3字を引き出したものである。すなわち木の実会とはサミエルソンのEconmicsを読む会の意味である。
◆さて、木の実会が終わってから、高島、横堀、黒田、中村、阿部のmemberで日比谷parkのBeer Gardenに行って生ビールを飲んだ。日比谷公園は夜はあまり明るくない。その薄闇の中を三々五々アベックが戯れながら散策している。木の茂みの陰にも何かしら人影がありそうである。我々は大いに興味をそそられながら、BeerGardenにおもむく。まさしくGardenに設えられたその小店で焼き鳥を肴にジョッキを傾ける。お客はさすがにアベックが多くて女性も物怖じせずにBeerを飲んでいる。庭の隅まで明かりが届かなくて薄暗い。そのなかにたまたま心を引かれるような女性がいる。<あの子はどうだい><まあまあだね>と言いながらビールを飲む。青春はまさに楽しである。たとえ一日こき使われたとしてもこのビールが洗い流してくれる。こき使われたのは僕ではない。僕以外の人のことである。 ◆その後でミスN.Sに電話をかけた。彼女は日曜日、キャンプ旅行から帰ったばかり。雨に降られたり、風邪を引いたりしたけれど、それでも楽しかった。と彼女はなかなか元気そうだった。今週の金曜日、聚楽の前で落ち合って、かねて計画していた。English Conversationの会の打ち合わせをすることに決めた。彼女と同じ職場に、同じく今年の4月から入った東女大の英文科出の女性を連れて来るという。そこで僕の方は男性を一人連れて行かなければならないことになった。memberを増やすことによって、この英会話の会が、いい加減な個人の都合でおざなりにならないようにしようと言う趣旨である。 ◆そういうわけで今日伊沢を電話で呼びだして、一緒に食事をしながら、英会話の会に参加しないかと誘いをかけた。彼はオレなんかと最初言っていたけれど、memberがが上記の3人だと聞くとたちどころに意を翻してO.K.と言い出した。彼も女性と聞くと目がないらしい。それにしても東女出の女性とはいかなるタイプの女性ならんと我々は大いに興味をもった。女性心理を推測するにミスN.Sが自分より美貌で自分より才能豊かな女性を連れてくることはまず考えられないということになった。開けてみなければわからないけれど興味だけは金曜日まで続くことになる。伊沢はその日は、土日と行く旅行のことで参加できないと言う。N.Sさんも土日と海に出かけると言っていた。もちろん、その東女の女性も職場が同じだから一緒に行くのだろう。僕の方も佐伯などが日曜日に館山か大磯あたりに出かけようとplanを立てている。memgerの4人がそれぞれにこの土日にかけて海に行くことになるらしい。これでは海辺も混雑するはずである。 ◆今日の新聞を読んでいたら全国高等学校対抗の競技会の弓道の部で島原が優勝していた。昨年は和夫も入部していたはずであるが、今年はもう辞めたのだろうか。それにしても島原を愛するものにとっては快挙である。 |
| 1963.8.8 | Thursday | ◆ピアノ、リヒテルによる、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番
◆10:50:00
◆一好さんからのは暑中見舞い。盲腸の経過に少々心配されている。が、5日に送った僕の暑中見舞いを今頃はご覧になっていらっしゃるはずだから、安心していらっしゃることだろう。弘子姉ちゃんと幹大の予定も記されている。 ◆井手さんのは暑中見舞い旁々今度東大農学部の助手に採用された旨の知らせである。造園及び都市計画が専攻。都内の浜離宮や六義園などの有料公園のfree passをお持ちである。本郷の学生センターで知り合いになった人だ。N.鈴木さんとも親しい。この間、<<泰山木の木の下で>>を砂防会館に見に行ったとき偶然お会いした。明後日研究発表を何かの学界でやるんだとかいう話だった。精進されて東大教授になってもらいたいものだ。 ◆11日に泳ぎに行こうという38年入省者仲間の計画は今日具体化して、館山の保田に行くことになった。朝8時に両国駅を発つ予定。それに間に合うためにはここを7時頃に出かけなければならぬ。となるとせっかくの土曜の夜も早寝せねばならぬということになる。つらいつらい。昨日大森がやってきて僕の顔をずいぶん白くなったな、お前は黒くなくちゃ迫力がないという。真っ黒に焼けてきて”迫力”を取り戻したいものだ。 |
| 1963.8.9 | Friday | ◆小林(直樹)先生(注)の論文を二つ読んだ。「学問の自由と大学の自治」と「改憲問題の意識状況」、それぞれ法律時報の35巻の7号と4号に載ったものである。
37年度の学界回顧が同じ雑誌の34巻12号にあるが、その中でも小林教授の諸論文は極めて高い評価を受けている。特に憲法状況の総合的分析の方法論を示した34巻4号の論文は、本年度の最右翼の一編として賞賛されている。その他数編の論文が教授の意欲的な活躍を物語るものとして、そこでは論評されている。 そうした一連の労作に新たに加えるべきこの二つの論文も、さすがは小林教授の手になると言うべく、緻密な分析と均整のとれた構想の下に、現代のまさに現実的な問題を、率直に解明して、明確な方向を打ち出している。 歯に布を着せぬ教授の論鋒はさしずめ数多くの人々の胸に痛いことであろう。しかし、それが現実に対する深い認識に立って、しかもきわめて論理的に展開されるとき、大きな説得力を持つであろうし、単なる感情的な反発では氏に立ち向かえないことは明らかなように思われる。こうした優れた論文を読むことは何と心満ちることであろう。新たな意欲が僕の心の中に甦るような気がする。 僕は少なくとも小林論文だけにはこれからもすべてにわたって目を通していきたいものだと思う。なかなかそれも大変なことだろうとは思うけれど、私が氏の論文から教えられることは現在においてはあまりにも多いのである。 極めて現実的な問題を捉え、それを深い学的背景のスクリーンを通して、みごとな学問的結晶とする教授の手腕は私には天下一品と思われる。これは氏のゼミナールを受けた僕の偏った評価ではないと考える。 (注)東大教授、憲法学。すでに故人。 ◆10:00:00
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| 1963.8.10 | Saturday | ◆「朝日」の第三面トップ記事は”吉永小百合さん宅に強盗”であり、今夕の夕刊にも「小百合ちゃんに入れ墨をー短銃強盗渡辺は熱狂的ファン」と相当大きな活字の見出しがある。まさに彼女の人気を物語る取り扱いなのであろうし、明日くらいから発行される週刊誌はきっと一つ残らずこの事件に関する記事を載せることであろう。
ところで僕が彼女のことを書き出したのは必ずしも彼女の人気のゆえではない。彼女の住所がたまたま渋谷区西原1の2であったがゆえである。そしてそこには吉永小百合以上に僕が関心を持っている人が住んでいるのである。 昨夜10時過ぎ、ラジオのニュースを聞いたら渋谷区西原という。ハッと思ってN.Sさんの住所を調べてみたら西原1の2である。同じ町内なんだなと思っていたのだが、今日の朝刊を見て驚いた。全く同じ町名、同じ番地なのである。とすれば昨夜9時15分頃新宿で別れた後、彼女が自宅に真っ直ぐ向かったとすれば、仰々しい300人に及ぶ警官の包囲陣にぶつかったはずである。強盗がピストルを屋外に投げ出すまで重い寝袋を持たされたまま足止めをくったかも知れない。 新聞によれば西原1の2とは静かな住宅街とある。時ならぬピストルの発射音と仰々しい警戒陣に驚いて近所の人が寝巻姿で飛び出してくるのが見られた、ともある。おそらくは彼女の家族の一員も驚いた近所の人の一員なのであろう。時によっては隣家の火急だったかも知れぬ。彼岸の火事として、のほほんとしているわけにも行かなかったことだろう。 彼女にこの事件について尋ねてみよう。彼女らしい独特の話し方で、面白く興味豊かな話をしてくれることだろう。今彼女は芦ノ湖畔に一夜を送っているはずである。 ◆【ナバロンの要塞】
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| 1963.8.11 | Sunday | ◆ナバロンの要塞を見終わって、僕の頭に生まれた一つの疑問は、この世の中では一体何が偉大なのかと言うことである。
ナバロンの要塞を見事爆破しおおせた6人の兵士と1人のゲリラ隊員をどう見たらよいかという疑問が僕の頭の中に生まれてきたのである。 我々を感動させるものが偉大なものであり、ぼくが映画を見終わって感動していたのなら彼らは偉大なのであろうか。偉大とは何か。我々はこれまでどんなことをやってきた人を偉大な人と言ってきたのだろうか。そう思い頭をめぐらしてみると通常偉大と言われる人は、政治的な分野と文化的な分野とに大きく分けられるように思われる。 リンカーンを偉人という時は前者の例であり、ベートーヴェンは後者に属する偉人である。しかも政治の分野では偉人は様々の見方によって評価が別れ、一概に偉人を言えないことが少なくない。リンカーンにしても彼の偉大さを認めることを南部人は潔しとしないであろうから。 ところで文化史上の偉人の評価はある程度一般的に通用し、問題が少ないように思われる。従って政治の特殊な分野として考えてよい軍事的な偉大さは、評価する人によって非常に異なった判断が下りるのもまた必然であろう。 このように我々が偉大な人物に対する評価を下ろす場合、いかなる価値に基づいて判断するかによって異なった結果が生ずる。したがって通常一般的に受け入れられている偉人というものは人類の普遍的な価値の分野で、通常人の及びもつかぬ大きな業績を挙げた人のことである。 リンカーンが偉人と言われるとすれば、それは彼が人類の普遍的価値である”平等”を勝ち取るために身を挺して戦ったからである。 ところで、人類の普遍的価値とは言いながら、それが没歴史的な価値でないことに注目しなければならない。 したがって偉人も歴史的存在なのであり、今日の偉人も遠い将来において偉人の座から引きずり下ろされぬとも限らないのである。 とはいえ、普遍的価値というからにはそれは歴史的に相当煮詰まったものであり、一朝一夕では変化しないものであることに注意せねばならない。そうした価値に基づき偉大な人と評価される人は、それほど、その椅子から引きずり下ろされる心配をする必要はない。 しかるに、ある時代を風靡する価値というものがある。限られた時代の限られた場所において絶対的な価値を持つものがある。そうした価値に基づいて偉大であるものが非常に多いのである。我々が歴史を見る上においては、そうした価値観にも大いに理解ある態度を持たなければならないのは言うまでもない。そうでなければ我々はその時代の人々の心情を理解することができないからである。軍事的に偉大という表現が可能なように、我々はある限られた範囲内で偉大さを云々することができる。 したがってナバロンの要塞を爆破した6人の兵士は偉大であるといいうるのは、第二次大戦の最中という状況下においてである。今日においては、もはや彼らの行為は偉大とは言えない。今日において、すなわち我々の価値観を狭く限らないで、普遍妥当な価値を求める時点においては、我らは偉大であってはならないのだ。 |