日記の部屋1963(14)/Diary1963(14)

(2000/4/16開設:since April 16,2000)
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年月日 曜日 日記本文
1963.8.31 Saturday ◆自分自身の限界を弁えぬ人間ほどに哀れを誘う存在はない。私がこのようなことを言うのが、自分の分際を知らぬ者の言いとしか思われないのなら私自身もまた、哀れな存在に過ぎぬことになる。
 とはいえ、私はもはやただ単なる哀れな存在で終わるものではなくなっているのではないだろうか。少なくとも、私が、一番初めに述べたようなことに思い至った以上、このことはとりもなおさず、幾分でも哀れな存在を超えた存在になることを希う何ものかにすでになりつつあることを示していると思われるからだ。

◆先ほどまでドシャブリに降っていた雨がからりと晴れて大きく雲が切れ、目の覚めるような青空がのぞき、日光がキラキラと輝きだした。何という新鮮な光であろう。いつもの10倍も澄み渡ったような美しい光である。
 木の葉の上の滴が一斉に眩しいほどに輝いている。こんな日の光の中に座っていると心の中まで美しくなりそうだ。(16:36:00)

◆八月三十一日 21:35:00
 今フト日付を漢字で書き始めて今日が8月31日であるということにハッと気づいたのだ。なるほど前の頁にも8/31と書いてあるし、今日が8月31日であるということを知らなかったわけではない。しかし、知っていたとは言ってもそれは8月30日に1日を付け加えた意味で、アア今日は31日なんだなと漠然と知っていたようなものだ。今日の持つ意味の重さには少しも関わりのない意識に過ぎなかったのだ。
 今フト漢字で八月三十一日と書いてほとんどビックリしてしまった。というのは明日がもう9月であるということ、秋が明日から始まるということが、突然頭に浮かんできたからだ。
 こんなことがなかったら、明日になってみて、もう9月になってしまっていることに、きっと驚いたことだろう。そして8月という月が、そして今年の夏がまったく自分の知らないうちに終わってしまったことに、一種のいわば悔恨にも似た感情を味わったことだろう。
 明日と今日の境目には夏と秋という季節の上での非常に大きな移り変わりがあるのだ。そして、そういう目で見たからこそドシャブリの雨の後で雲の切れ目から射し込んだ日の光の中に突然、秋らしさが感じられたのだ。
 秋の太陽には輝きわたる明るさはあっても、焼き付けるような熱気はない。そこには、深い海底にも似た、計り知れない静寂がある。夏が終わると太陽は、我々に直接話しかけることを止める。我々は自ら目を上げて太陽を見上げなければならなくなる。我々にとって太陽の熱気を帯びたまなざしが慕わしいものとなる。
 時計は9時を回って、もう今夜は完全に秋の庭の気配である。窓を開けると涼しすぎるほどだ。秋の虫の盛んな合奏が聞こえてくる。もうセーターを着ている。

1963.8.31 Saturday ◆丸山真男の「日本の思想」(岩波新書)のうち『「である」ことと「する」こと』を読み返してみて、こうした優れたエッセイを繰り返し読むことの良さと、その必要性とを、痛感した。まさにこの丸山真男の論文集は、その内容の豊かさと分析の鋭さにおいて一級品であり、常日頃手元に置いて、繰り返し未読されるべきだ。この200頁足らずの小冊子の中に盛られた豊かな思想と、現代に対する深い問題意識とを、不断に自分のものとする努力を怠らないならば、幾百の論文を羅列的に読むよりは、遙かに得るところが多いのではなかろうか。
 まさに丸山真男がこの『「である」ことと「する」こと』の中で述べているように、この論文の質の高さは、この小論文に盛られている価値の蓄積の豊かさに見出される。丸山は決して論文発表の多い学者ではない。むしろその著作は少なく、寡作の部に属する。しかしながら、「生きた」休止の後で発表される論文の一つ一つは、きわめて豊かで独創的で優れたものである。文化の測定の尺度が「である」価値であるとすれば、その内容はきわめて高く、学者としての水準を、その業績の内容でもって判断するのが妥当であるとすれば、彼が一流の学者であることは疑いない。
 私は今日読んだ論文によって多分に啓発された。一年ほど前にもやはり私はこの論文を読んだには読んだのだ。しかし、自分のものにするまで読み込まなかった。彼がこのessayで鋭くえぐり出した「する」価値観と「である」価値観の倒錯は、まさに日本の現代社会の正鵠を射た分析である。そして私自身の思考や意識における倒錯をも、見事に暴き出すものであった。まさに丸山真男の強調する価値倒錯の再倒錯が私にも要請されるわけだ。そのためにも、この書は繰り返し読まれなければならない。

◆秋はやはり長い髪の季節です。肩に流れる黒く美しい髪ほど魅力的なものはありません。うなじと黒い髪のコントラストの鮮やかな人ほど男心をそそる存在はないものです。僕は耳元から首筋にかけての線のきれいな人に殊の外惹かれます。もちろん、夏の暑い盛りのように挙げ髪にしていれば、それが一番目に留まりやすいのですけれど、たとえ、髪を長くしていても、その線の美しい人はすぐわかります。そんな人に出くわすと僕はほれぼれと眺めいるのです。そしていつもそんな美しい人を描写し尽くしたいという欲求に駆られるのです。ところでいかがですか、ぼくの描いた女の人のプロフィールは?(00:25:00)

1963.9.2 Monday ◆久し振りにN鈴木さんと電話で話した。お便りの方は8月中にも貰っていたので、彼女が一月余り帰省しており、もうそろそろ帰京する頃だということも知っていた。
 彼女の方からお電話があったのだがあいにくと未だ帰っていなかったので、帰宅早々今度は僕の方からring upした。
 お葉書のなかでHome sickにかかったとかあったのだが、それもすっかり治ったらしくすこぶる元気そうだった。
 色んな事を話したけれど、彼女の都合と僕の都合とがうまく合わず、二人が会おうという話だけはうまく進まなかった。
 彼女とカレの間はうまく行っているらしく、「日曜日もすぐ横浜に行ってしまうでしょ」と言って彼女は意味ありげに笑った。英語でならさしずめshe said with a significant smile that...となるところだ。確かに婚約期というものは楽しいものなのだろう。また、楽しくなかったら耐えられない時期ででもあろう。
 Enjoy yourself! と心から言って挙げたい。

◆秋とは言っても、短い髪もいいものです。目の澄んだ、くちびるの愛らしい知性的な感じの人、僕の好きなタイプの女性です。

1963.9.4 Wednesday ◆学生時代ならこんな時刻に日記をつけるのも希ではなかった。社会人になってからも土曜の夜ぐらいはたまたまこんな遅くまで起きていて日記をつけることもあったかも知れない。
 ところで今日は水曜日だから、朝の9時にはちゃんと出勤していなければならないわけだ。今頃のんびりと日記どころの騒ぎじゃないのだが、なかなか寝付けないのでのこのこ起き出してしまった。昨晩(と言ってもそんな気はしないけれど時間的にはすでに昨晩である)役所でサントリーウイスキーの極上のものを飲んで帰ったせいで、10時頃から12時近くまでぐっすり眠ってしまった。おかげで目が覚めたが最後、容易に寝付けなくなってしまったわけだ。
 今頃は身体の調子もずいぶん良くなった。毎日のように昼休みにテニスなりピンポンなり運動をやるのがいいらしい。食欲もある。日曜日以来米のご飯を食べたのは月曜の昼食だけである。ほとんどbread。
夕食は帰ってから食べることにしている。米食をしないのが身体には合っているらしい。一週間breadのみで過ごしてみようかと思う。いや一月だってよい。健康ほど貴重なものはないのだから食事には大いに意を注ぎ、改良していくべきであると思う。
 遠くから夜泣き蕎麦のチャルメラの音が聞こえてくる。今夜も秋らしく相当に涼しい。さてさて日記もつけたことだから今からゆっくり寝ることにしよう。7時半まで後5時間ある。でも少々風邪気味なのが気にかかる。
1963.9.5 Thursday ◆弟が北海道旅行を終えて帰ってきた。日に焼けて元気そううだった。二人の関西大学の学生と仲良しになって一緒に旅行したのだそうだ。明日は大阪に発って、彼らと再会を楽しむらしい。ユースホステルには2回ぐらいしか泊まらなかったという。それにしても18日間ばかり悠々と旅行を続けてきたものである。なかなかと逞しくなりつつある。望むらくは、もう少し、周囲のことに目を配って欲しいと言うことだ。
 兄貴の方は、三ヶ月定期を明日は是非買わねばならず、経済的援護ができず、維新を強めることができなかったけれど、まあ悠々と2週間あまりも旅行できるのであれば、ピンチの中から無理をする必要もあるまいと思う。もっぱらオヤジ、オフクロに頼ってもらおう。
 そんなわけで、叔父のところに行き、つい今さっき帰ってきたばかりである。碁を打ってきたが、17目勝った。

◆Last evening, we gathered at the Palace Hotel for our third mission of our English Conversation circle "KISAS". To our regret, miss N.S couldn't join us for her private affair.
I suppose we are making pretty good progress in English Conversation. We are studying Lesson II now.
We'd master one lesson two weeks. So next Wednesday, we will complete the rest of lesson II.
If we become good friends,we can, I think, make a better progress than now. We must try to make good friends at first.
 

1963.9.6 Friday ◆This evening I attended the Konomikai at Toranomon Kyosaikaikan. 7members gathered.
After the meeting,I rang up Miss N.S on my way home. She seems very cheerful everytime I ring her up. She was absent at the last KISAS. So we had many things to speak with. Shehad been told by her two friends how the third meeting went. It seemed that they said thy were strictly trained by someone.Of cource,someone meant me.
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