日記の部屋1963(15)/Diary1963(15)

1963/9/8〜1963/9/13
(2000/4/16開設:since April 16,2000)
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年月日 曜日 日記本文
1963.9.8 Sunday ◆秋の訪れはいよいよ本格的となった。今日は一日中暑さというものを感じなかった。むしろ涼しすぎるぐらいで、いつもならポロシャツの下にはなんにも着ずに日曜日は過ごすのだけれど、今日はそうはいかなかった。朝から曇りがちで、ほとんど日の目を見なかった。午後に入ってからは雲が低くたれ込め、雨でも降りはしないかと思うほどだった。 

◆ 昨日川崎製鉄に電話したら、中山さんが明日夫婦でやってくるという。それで、ずっと待ちかねていたのだけど、3時過ぎても音沙汰なしの上に、天気までそんな具合なので、もう来ないのかなと思っていると4時近くだったろう”遅くなって”と言いながら二人連れで現れた。姉は案外元気そうなのでほっとした。
 お土産だ、と言って肉饅頭を10ばかり持ってきてくれた。もちろん、名目的なお土産に過ぎないのであって、昼ご飯を食べていない彼らの胃袋の前にあっけなく一つを残してなくなってしまった。もちろん、昼飯を食べていた僕も、2つほど食べ、残りの一つは彼らが帰ってから食べる権利を獲得し、その点では抜け目はなかった。
 おばさんは例によって親切にも、山梨から直参のブドウと梨をご馳走して下さった。中山さんが洋菓子のお土産をルネちゃんたちに持ってきてくれてたので助かった。いつもここのおばさんには本当にお世話になる。
 さて中山さんと2局碁を打ったが、問題なく勝った。4子後と6子碁だったけれど、石の数に関わらず大差で勝敗は決まった。中山夫婦を駅まで送って帰路はルネちゃんと一緒だった。6時過ぎた芝生の上でルネちゃん、一正君らと倒立だの転回だの体操をやった。それも面白かった。秋らしく日の暮れるのも早く、家に上がるときにはあたりはとっぷりと暮れており、虫の音が激しかった。

1963.9.10 Tuesday ◆今日、吉村さんから職場に電話がかかってきた。吉村さん、もちろん福岡の吉村恭子さんである。彼女は日本航空に勤めているが、研修を受けに上京したのだそうだ。15日ぐらいまでいるらしい。なんでも研修が羽田であるので、旅館もその近くらしく、5時に研修が終わってからでは、東京の中心に出てくるのも大変なので具体的にいつ会うなどの日取りは決めることができなかったけれど、この次の日曜日は大丈夫らしい。またお電話しますとのことだった。
 彼女の方から電話をかけてくれるとは、嬉しかった。何でも僕が暑中見舞いを出したお返事を差し上げなかったものでとか、彼女は言っていたけれど、実質的な文通は僕の怠慢からずいぶん長い間不通になっていたのである。彼女はとてもしっかりした感じの人で、世の中を真摯に生きていこうといつも念頭においているような人だ。僕は彼女から啓発されるところが非常に大きかった。現在の僕は少なからぬ恩恵を彼女に受けている。
 昨年の3月、彼女に10年振りかで会ってまた今度会えるとすれば1年半ぶりの再会ということになるけれど、今度の僕は彼女の目にどう映ることだろう。もし僕が2年前の僕より少しでも良くなっているとしたら、それは彼女の友情溢れる忠告の故であると言いうるであろう。彼女自身も僕の目にどう変わって映るか大いに楽しみである。日曜日であれ、土曜日であれ、是非ともお会いしたいものだ。

◆今日はPay Day。10.143円也。その中から本代864円也と下宿代3000円也とを差し引くと残りは6.279円。これが25日までの僕の全生活費である。一日400円強で、衣食住、それに文化、娯楽、衛生その他すべての経費を賄って行かねばならぬのである。

1963.9.11 Wednesday ◆図に乗ってはいけない。甘えてはいけない。どんなに甘えて良いようなときにでも、図に乗ってはいけない。そうなるとどうも見苦しくなる。イヤミが感じられる。図に乗った人間の軽薄さというものは、得てしてこんな時に現れやすい。自分自身の浅薄さを、これほど効果的に他人に印象づけうる機会なんてものはそうザラにはない。こんな機会を捉えてみても始まるまい。たとえいかに浅薄な人間であっても表面に出さない限り、他人はそう簡単に気づくものではないのだ。

◆第4回KISAS。場所が定まらなかったために大して収穫の多い会でもなかった。私は少々疲れていた。

◆人間の感情の中からその人に対する好意が失われた瞬間、私たちはその人に対して、何と厳しい観察眼の持ち主となっていることだろう。その好意が深ければ深いほど、そしてその好意が全く思いもかけぬことで裏切られたものであれば、なおさら、我々がその人に対してより一層過酷な観察者となるのだ。
 今まで気づきもしなかったその人の欠点が目に付くようになる。それまでむしろ魅力と感じられたその人の笑い声、微笑、話しぶり、歩き方、そんなものまでが、何か嫌みな、むしろ、がさつなもののようにさえ感じられ始める。今までの好意が心の中で一つの大きな氷のわだかまりとなって、私の視線を凍らせ、私の口調を冷ややかにし、私の声に氷の刃を含ませるのだ。私は自分自身のこの変心をしばしば悲しい気持ちで眺めやる。私はこんなことをやりたくないのに・・・と思いながら。

1963.9.12 Thursday ◆MissN.Sから電話あり。我々のKISAS会に入会したい人がいるが、ご意見は如何というもの。彼女の友人で、同じ学校を今年一緒に卒業し、現在同じ課に勤めている女性らしい。勉強家とのことだ。
 僕個人としては8人ぐらいまで人数が増えてもやっていこうとすればやっていけるとは思う。ところがN.Sさんを除く他の二人の女性は反対らしい。6人が限度でこれ以上多くなっては絵画うまく運営できない。これ以上増やすとすれば「私が辞める」「いや、私が辞める」とそこまで話が行ったらしい。
 男性側にも一人一人当たってみた。やはり、人数がこれ以上増えたのではやりにくいと言う意見だった。小島さんと話して、むしろ人数を8人まで増やしもっといいmethodを採用できるようであれば、彼女の参加を認めても良いし、会としては排他的になる必要はなく、せっかく同じような希望の人がいるのであればできるだけ入れてあげるのが良いのではないか、来週みんなで集まったときもっとよく話し合ってみてはと言うことになった。その旨をN.Sさんに伝えた。彼女は賛成らしく、それじゃきっと良いmethodを考えておくね、とのことだった。

◆Miss Yoshimuraに午後7時頃電話した。
毎日研修は大変でくたくたになって帰ってくるとかで、うまい具合に旅館に帰っていた。
日曜日の午後3時、日本航空の東京支店で会うappointmentを結んだ。日比谷あたりと、神田の古本屋が見たいのだそうだ。She is so different!

◆今日というお前にとってはかけがえもない日、
お前が一番美しいこの朝
お前は傷つくことなしにぼくの心の中に
その美しさを刻み込んでいかなければならない。
そのためには僕らは罪のないいたずらをしよう
二人で眠った振りをするのだ。
お前の髪の香しさを僕にかかしておくれ、
二人して眠りっこをしていれば、
ぼくのくちびるがお前のくちびるに触れるのも
それはまったくの偶然にすぎないのだから、
お前は恥じらうことはない
さあ・・・

◆露に濡れて匂うばかりに美しいバラの花が
緑の芝に咲いているのをある朝ぼくは見つけた。
朝日の中でキラキラと輝くバラの花ほどに
美しいものがあるだろうか。

バラの花よ
お前はこの朝の自分の美しさを知っているのかい
僕がそっと口づけしようとすると
風にそよぐふりして
いやいやと冠を振るなんて

バラの花よさあ二人して
罪のないゲームをしよう
ワンツースリーで
一緒に目をつぶるのだ
そして眠った振りをしよう
ぼくがお前の秘めた香りにいざなわれ
甘い愛の蜜壺に行き当たったとしても
偶然に過ぎないのだから恥じらうことはない
バラの花よ
お前が一番美しいこの朝
お前の今日の艶やかさを
ぼくの心の中に刻みつけさせておくれ

さあ、数えるよ
ワン、ツー、スリー・・・

1963.9.13 Friday ◆明日は休みである。
夏休みを取る最後のチャンスを有効に掴んだわけだ。今日酒を飲みながらうまい具合に伊藤さんに話を持ち出すことができ、諒承を受けたものだ。2週間分の洗濯物をまず片づけなければなるまい。たとえ休みと言っても独身の男性の休みは何かと忙しい。特にこの頃のように帰りが遅くなりがちだと洗濯したり部屋を片づけたりするような時間がほとんどない。休みの方がかえって忙しいってことにもなりかねない。それはともかく、今日は少々面白かった。
 重要政策報告書を総務課に提出するのを忘れていたので午後6時を回ってから大急ぎで書類を総務課に届けに行った。するとちょうど宴会らしきものが開かれていた。山下がまあ一杯飲んで行けよというので、ご馳走に預かることにした。麻生や佐伯らもいた。文書課の小野さんや秘書官付きの鯨井さんが近くにいらしたのでその方たちと話していた。
 見ると向かい側に乙竹前総務課長と川原前秘書課長がいらっしゃる。そのうち、やぁとか何とか言って前官房長の渡辺さんがいらっしゃった。7月人事で定職を失って現在フリーの状態にある3人の大物が一堂に会したことになる。しばらく話をして渡辺さんが一番早く席を立たれ僕と麻生と二人いるところへやって来られた。この頃は就職試験の面接でお忙しいとのことだった。
 M会の後輩Yについて聞いてみると彼は今ボーダーラインにいるとのこと。君は完全に彼を推すかと聞かれてやや消極的に答えざるを得なかった。
 いかにも渡辺さんらしい人物の評価を聞かせてもらった。彼にははたして下積みで営々と努力していくだけのファイトがあるかどうかわからない。しかし比較の問題であって、彼以上の人物がまだ多くいれば彼も落とされざるをえない。だがまあ大方の決定を見た。ということである。
「いずれにしても良き後輩をお願いします。来年は僕らの下に来るのですから」
と言うと、まさにその通りだ。と大きく肯かれた。右手の人差し指の付け根がどす黒く腫れている。剣道の傷だそうである。僕の父が5段だというと
「それは一つ試合をしてみたい。毎日練習していらっしゃるか」
「ええ、やっております」
「それじゃ負けるかもしれんな。しかし、僕も6段の師範の免許を持っている。それに、昼間負けたら夜酒で勝負することにしている。君のお父さんは酒はどうだ」
 とにかくこういうことで、いつか是非試合をしたいと手紙に書いておいてくれとのことだった。
 渡辺さんが消えられてから、対面に座っていらっしゃる乙竹さんと川原さんともお話しした。
「早いものでもう一年になりますね。僕が決めて貰ったのは昨年の9月12日だから昨日で丸一年になります。あの時はいじめられて」
とか言うと乙竹さん「君は赤坂プリンスホテルで通訳か何かやっとんたんだな。おれの車に乗って行けといって」と覚えていてくださった。「いや、いじめたって、どだい答えも何もありゃせんことを訊くわけじゃ。いったいどんな困り方をするか見ようと思って」
 川原さんがいつものようにニコニコと側で相槌を打っておられる。
 そんなわけで総務課にいた30分ばかりはすごく楽しかった。管理課に帰ってみると、すでに酒盛りがこちらでも始まっていた。総務課で例の3人に会ったことを話したら、話がそれを中心に展開し始めた。
 毛塚課長は、一昨年の人事に携わったとかで、片山嬢の面接の時の話とか、渡辺さんの評判とか面白い話をして下さった。
 渡辺さんの官房長としても評判は官房の課長の中でも高かったらしく、将来「次官」級の大物と見なされていたらしい。今休んでいらっしゃるけれど、彼のことだからただでは休んでいないだろうとのこと。やはり大したものである。そこで僕が研修中の官房長の話を一席ぶった。
 今夜は課長、伊藤さんらと大変愉快に話し合えたけれど、そこに少々不愉快なことが起こった。
 僕らの課の溝上さんという人はどうも酒癖が悪いらしい。課長のすぐ隣に腰を下ろして「ナア、オイ」の口調で課長に何かと絡んでいくのである。課長もこれには閉口したらしい。我々も唖然たる面もちで溝上さんを見つめたものである。
 かかる苦境から課長を救い出し帰路についたのは9時近くであったが、課長も伊藤さんも予備知識がなかったので驚いたらしく、
「小島さん、教えておいてくれないから困るじゃないか」と半分冗談ともつかぬ事を言われたものである。
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