読書の部屋

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since April 23,1997 

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当初は、「今月の一冊」と銘打って、書評ともども毎月お勧めの本を一冊掲載するつもりでしたが、ちょっと方針を変更して、とりあえ ず、私のリアルタイムの読書状況をご紹介することにしました。

私自身の備忘録も兼ねた肩の凝らない部屋ですので、気軽に立ち寄って、おしゃべりをして行って下さい。



 

読書録

目次

掲載日
著者   「書名」     出版社   発行 日   第一刷、    重版日
(2006/6/26)

「こぐ こぐ自転車」伊藤礼  平凡社 2005.12.16  2006.2.20第二刷

(2006/3/11)

52歳、 駆け抜けたアフリカ」戸井十月 新潮社 2001.12.20 

(2006/3/11

「使えるレ ファ本150選」(ちくま新書575)」日垣隆 2006.1.10

(2005/12/16)
「トルコで私も考えた-1」高橋由佳利著 集英社 1998.12.21 1999.7.20 第8刷 C9979 ¥857(105)E p.190」
(2005/12/14)

「旅 と絵 地球ってすばらしいですね 」吉良幸世 

婦 人人之友社  1991.5.5 C0026 \1300(105)E p.95
(2005/12/7)
「数 の悪魔」エンツェンスベルガー著 丘沢静也訳 晶文社 1998.9.5 1998.5.20 22刷 C0041  \2840(1450)E p.257
(2005/12/4)
姫野カオルコ「ハルカ・エイティ」文藝春秋 2005/10/15 第一刷
(2004/5/11)
松尾秀助 「琥珀色の夢を見る」  PHP      2..4/5/10    第一刷
(2004/5/10)
小川洋子 「博士の愛した数式」 新潮社 2003/8/30 第一刷   2004/4/15 第二三刷
(2001/7/6) 宮部みゆき 『模倣犯』 小 学館 2001年4月20日 第一刷
(2001/6/15)

周防正行「『Shall We ダンス?』アメリカを行く」 太田出版1998年2月14 日第1刷 1998年6月24日第10刷

(2001/3/14) 松尾秀助『日本史を走 れ!』晶文社 2001年1月20日 第一刷


(2001/2/14) 仁平勝「俳句をつくろう」講談社現代新書 2000年11 月20日
(2001/2/13) アラン・W・エッカート「大草原の奇跡(Incident at Hawk's Hill」和田たか男訳めるくまーる 2000年12月20日第1刷
(2001/2/12) ジム・トンプスン「残酷な夜(Savage Night)」三川基好訳 扶桑社 2000年4月30日第1刷
(2001/2/8) デビット・ゾペティ「いちげんさん」 集英社 1997年1月11日第1刷
(第20回すばる文学 賞受賞作)
(2001/1/24) ブルース・S・ ファイラー「お辞儀の秘密」(早川書房1995年7月31日)
(2000/11/9) ジェーン・グドール 「森の旅人」上野圭一訳 角川書店 2000/1/30 
(2000/9/1) 重松清『半パンデイズ』講談社1997/11/11 第 1刷
(2000/7/14) アラ ン・ピース+バーバラ・ピース『話を聞かない男、地図が読めない女』藤井留美訳 主婦の友社2000/4/25第1刷、2000/6/10 第3刷
(2000/7/14) ベルンハルト・シュリンク著『朗読者』松永美穂訳 新潮社 2000年4月 25日第1刷、2000年6月30日第8刷
(2000/6/2) 林望著「書斎の造りかた」光文社2000/2/29 第1刷 
(2000/6/1) 諸富祥彦『生 きていくことの意味』PHP 研究所2000/2/4第1刷
(2000/5/31) リチャード・ローズ 「メイキング・ラブ」中川五郎訳文芸春秋社1996/3/25第1刷1996/4/20第3刷
(2000/5/30) 舛添要一「母 に襁褓をあてるとき  介護 闘いの日々」 中央公論社1998/1/25第1刷1998/5/15第8刷

 
 
(2000/5/29)
立花隆著「脳 を鍛える」新潮社2000/3/30第1刷 2000/4/15第2刷 
(2000/3/3)
ホーマー・ヒッカム・ジュニア著「ロケットボーイズ」 武者圭子訳 草思社2000/2/1第1刷2000/2/25第3刷
(2000/1/18)
ジョン・スタインベック「チャーリーとの旅(原題: Travel with Charley by John Steinbeck)」大前正臣サイマル出版会1987.6.1第1刷
(1999/12/14)
東野圭吾「秘密」文芸春秋社1998.9.10
(1999/12/14)
ジー ン・サラゼン「サラゼン・ウエッジ」小池書院1997.9.20 
(1999/12/8) 桐 野夏生「柔らかい頬」講談社1999年4月15日第1刷、1999年7月第六刷
(1999/4/1)
天童荒太『永遠の仔  上下』幻冬社、1998年月第1刷 1999年3月15日第3刷
(1999/3/27)
乙武洋匡 『五体不満足』講談社1998/10/18第1刷
(1999/3/27)
林望 『知性の磨きかた』PHP出版所1996/11/5第1刷
(1999/2/12)
夢 枕獏「神々の山嶺」集英社1997.8.10第1刷1997.12.13第8刷

 
(1999/2/12) 丸 山真男/加藤周一「翻訳と日本の近代」岩波書店98.10.20第1刷
(1999/2/10) ポー ル・オースター「偶然の音楽」柴田元幸訳新潮社1998.12.5第1刷
(1999/2/10) 山 根一真「デジタル産業革命」講談社1998.10.20第1刷
(1999/2/10) 林 望「リンボウ先生ディープイングランドを行く」文芸春秋1998.11.10第1刷
(1998/12/9) 椎名誠「活字博物誌」岩波新書1998.10.20第1刷
(1998/12/20) 福 田俊司「シベリア動物誌」岩波書店1998.10.20第1刷
(1998/12/20) 出 久根達郎「いつのまにやら本の虫」講談社1998.10.15第1刷
(1998/10/19) 轡田隆史『「考える力」 をつける本』 三笠書房 1997/1/27第1刷 1998/8/20第111刷
(1998/10/13) モディア ノ、パトリック 『1941年。パリの尋ね人』 白井茂雄訳 作品社 1998.7.30 第1刷
(1998/8/15) 矢 部辰男『ネズミに襲われる都市』中央公論社1998/6/25第1刷
(1998/812) マー ガレット・アトウッド『ダンシング・ガールズ』岸本佐和子訳 白水社 1989/11/25 第1刷
 (1998/7/29) テリー伊藤『大蔵官僚の復讐  お笑い大蔵省極秘情報2』飛鳥新社1998/7/8第1刷
 (1998/7/29) 島村洋子『ポルノ』中央公論社 1995/8/7 第1刷
(1998/7/24) アンナ・マグダレーナ・バッハ『バッハの思い出』山下肇訳 講談社  1997/9/10第1刷
(1998/7/21)   半藤一利『ノ モンハンの夏』文芸春秋 1998/4/20第1刷1998/5/25第5刷
(1998/7/13) 宮部みゆき『理由』 朝日新聞社 1998/6/1 第1刷  1998/7/30 第8刷
(1998/7/13) フランチェスコ・アルベローニ『他人をほめる人、けなす人』大 久保昭男訳 草思社1997/10/6第1刷 1997/11/18 第10刷
(1998/7/13) 永六輔『商人』岩波書店1998/4/20第1刷




これより下のものは、読書録 (データベース)に収録しております。

榊東行『三 本の矢』 上、下 早川書房 上1998/4/30第1刷下1998/4/30第1刷1998/5/25第5刷
出 久根達郎『本のお口よごしですが』講談社1991/7/22第1刷1992/7/25第2刷
ニール・サイモン『書 いては書き直し』酒井洋子訳 早川書房 1997/12/15第1刷
山田健『今日から ちょっとワイン通』 草思社 1997/12/5 第1刷
高 橋三雄『パソコンソフト実践活用術』岩波書店1997/12/22第1刷
ピーター・ラヴゼイ『バー スへの帰還』山本やよい訳 早川書房1996/7/10第1刷
出 口保夫・林望『イギリスはかしこい』PHP研究所 1997/11/20第1刷1997/12/9第2刷
桐 野夏生『OUTアウト』講談社 1997/7/15第1刷 1997/10/15 第4刷
平 成サラリーマン川柳傑作選第6集』講談社1996/12/6第1刷
浅 田次郎『鉄道員』集英社 1997/4/30 第1刷 1997/1020 第14刷
中 野不二男『メモの技術ーパソコンで知的生産』新潮社1997/8/20第1刷1997/9/20第3刷
J・ F・ガーゾーン『カラ』新潮社1995/5/20第1刷
ス ティーブン・コヴィー『7つの習慣』キング・ベアー出版 1996/12/25第1刷 1997/9/5第30刷
日 高敏隆・坂田明『ミジンコの都合』晶文社  1990/9/30第1刷1991/2/10第2刷
ロ バート・ニュートン・ペック『続・豚の死なない日』 金原瑞人訳   白水社 1996/10/20 第1刷
篠 田節子『女たちのジハード』集英 社 1997/1/30第 1刷  1997/7/31 第3刷
呉 清源『二十世紀の打ち方』日本放送出版協会 1997/6/25 第1刷
飯 島裕一『疲労とつきあう』岩波書店 1996/8/21 第1刷 1996/9/12 第2刷
ま ついなつき『笑う出産』情報センター出版局 1994/3/10 第1刷 1996/6/11 第41刷
フ レデリック・フォーサイス『イコン』上下 角川書店 1996/11/25
林 望『リンボウ先生偏屈読書録』丸善1996/9/20
塩 谷育代・田中誠一『知的ゴルフのすすめ』丸善1995/10/20 1996/7/20第4刷
柴 田武『日本語はおもしろい』岩波書店1995/1/20
永  六輔「職人」岩波書店1996/10/21 1996/12/4第4刷
ラ レル・ヴァン・ウォルフレン「人間を幸福にしない日本というシステム」 篠原勝訳 毎日新聞社 1994/11/30  1994/12/20第2刷
直 塚玲子「欧米人が沈黙するとき」 大修館 1980/11/1 1992/6/10 16刷
妹 尾河童「少年H」(上)講談社 1997/1/17 第6刷 1997/3/10 (下)1997/1997/1/17 第8刷  1997/3/25
小 林恭二『短歌パラダイス』岩波書店 1997/4/21
ビ ル・ビート「ぼくが絵本作家になったわけ ビル・ピート自伝」ゆあさ ふみえ訳 あすなろ書房1993/2/25
つ かこうへい「娘に語る祖国」 光文社1990/10/30
創作ノート」にも、以下の書評(短評)を掲載しております。 (2004.7.12)

『悪童日 記』|『アメリ カン・タイム』|『イギリ スはおいしい』|『カメ ラ』|『ラ・ア ルカリアへの旅』 |エッカーマン『ゲーテとの対話』
 

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(1999/12/8)
桐野夏生「柔 らかい頬」講談社1999年4月15日第1刷、1999年7月第六刷


(1999/4/1)
天童荒太『永遠の仔  上下』幻冬社、1998年月第1刷1999年3月15日第3刷

 上下二巻、900ページを越える大作を、今週の月曜日(3/29)に買って、水曜日(3/31)には読み終わっ た。先を読まずにおれなかったのだ。400字詰め原稿用紙で言えば、2300枚もの長編である。読者を飽きさせることなく、破綻もなく書ききる筆力は、並 大抵ものではない。恐れ入った。この作家の作品を読むのは今回が初めてだが、今後が期待できる。
 モウル(男)、ジラフ(男)、ルフィン(女)と呼ばれる3人の主人公たちが小学6年生だった1979年当時と、それか ら17年経ち、それぞれに29歳の大人になった現在(1997年)とを一章毎に交互に配しながら、物語は展開される。このがっしりと組まれた構成の中で、 謎を孕ませながら、最後の一ページまで、読者を連れていき、読む楽しみを満喫させてくれるのだ。
 この三人の主人公は、両親との葛藤で精神に異常を来し、愛媛県にある児童精神科を持つ医院に入院していて知り合い、意 気投合し、霊山(石鎚山)登山中にある事件を引き起こすが、その日のうちにばらばらに別れる。17年後、彼らは、弁護士、刑事、看護婦として多摩川下流一 帯に住み着いており、あるきっかけで17年ぶりの再会を果たす。彼らは今もその事件の後遺症を引きずっていて、それが次なる事件を引き起こす発端になる。
 主人公はもとより、彼らを取り巻く、家庭や、職場などの登場人物の造型、性格付けが見事で、末端の人物にまで血が通っ ており、読者は、たちまち物語世界に引きずり込まれる。とりわけ主人公の造型、心理描写が的確で、空々しさがないので、読者も素直についていけるし、すぐ にでも主人公の側に立たされてしまう。会話の密度が濃く、内容がある。ほとんど無駄なやりとりがなく、登場人物の性格や置かれた立場に良く即したかたちで 行われるので、納得がいく。とにかく、デティールが十分に書き込まれているので、作品にリアリティがある。
 人間とは、家族とは、親とは、子とは、夫婦とは、男とは、女とは、愛とは、性とは、人間形成とは、人間関係とは、生き るとは、老いとは、病とは、教育とは、医療とは、仕事とは、幸せとは・・・実に様々な答え難い問いに対して、真摯に思考し、物語を渋滞させることなく、随 所にするどい洞察と考えるヒントをちりばめた作者に、読者は、感銘を受けながら、自らも思考を巡らしつつ、読み進めることだろう。
 ひとつ難を言えば、ミステリーというカテゴリーに拘りすぎて、犯人に犯行を重ねさせるのだが、犯意が今ひとつ説得的で ないことだ。とくに最後の殺人については、あまり納得がいかない。この殺人がなくても、物語は展開できたように思うし、著者は、これだけ深みのある物語世 界を展開しうる能力があるのだから、あまりミステリーに拘らないほうがいいのではないかと思った次第。
 読んでいて、浮き浮きするような明るい物語では決してないが、絶えず胸を締め付けられるような共感を持って、物語世界 に没頭することができる希有な作品だ。
 
 


(1999/3/27)
乙武洋匡『五体不満足』
著者・編者名 書名 訳者名 出版社 出版日 第1刷 メモ2
乙武洋匡 五体不満足
講談社 1998/10/20 第1刷 凄い本だ。読みながら溢れ出る涙を抑えることができなかった。五体不満足でありながら、五体満足な人以上に、明るく逞しく積極的に生 きていく著者のエネルギーに圧倒された。まだまだ障害者に対する人々の考え方に差別的なものがあり、それも手伝って障害者向けの社会インフラの整備の遅れ ている日本という社会の中で、こういう人物が出てきたのは奇跡のように思える。本人もさることながら、生まれて一月後に会った子供を手放しで可愛いと受け 止めた母親や父親の懐の広さ、偉大さが、この著者をここまで育てあげたのである。また、彼を取り巻く周りの人たちの暖かさも。幼稚園でも、小学校でも、中 学校でも、高校でも、ハンディを持ちながら、ハンディを持たない人以上にリーダーシップを発揮し、あらゆることをどん欲にチャレンジしていく著者には、も う言葉もない。大学に入り、いままた、障害者という、他の人にない宝を持つとして、その宝を人のために役に立つように活用しようと、目覚ましい活躍をして いる。自分自身や周りの人をユーモアと愛情ある筆致で的確に描き出す文章力も、全体の構成も見事で、一気に読み終えた。すばらしい人物に巡り合えた感動が 残った。
林望『知性の磨きかた
著者・編者名 書名 訳者名 出版社 出版日 第1刷 メモ2
林望 知性の磨きかた
PHP出版所 1996.11.5 第1刷  これは、若い人に勧めたい本だ。日本では、「知的」なものが、疎外され、「知性」が必ずしも尊ばれず、ましてや「知性を磨く」な ど、最も嫌味な言い方と受け取られかねない風土がある。本当は、まともに取り上げ、いかに知性を磨くかについて、真剣に考えなければいけないのに。
 この本では、「知性」とはそもそも何かという問いから始めて、「学問」「読書」「遊び」のあり方を、講釈筆記の形をとり、リンボウ先生が直接読者に語り かけるスタイルで、あるまがまま、正直に思うところを述べた本である。その意味で親しみやすく、わかりやすい。しかし、このこの三つはすべて三位一体とい うべき事柄で、良く学び、良く遊ぶ、それは、昔も今も正しい勉強の態度であり、この本は気楽に(遊びと思って)読んでもらいたい。それが著者から読者への 最大のメッセージである、という。
 「知性」とは、世の中と「主体的に」なおかつ「客観的認識を以て」交わっていくことであり、「学問」とは、正しく学ぶための普遍的な方法を身につけるこ とだという。それが身につけば、自由に応用がきくというのだ。著者がそれを身につけるためにいかなる努力をしたか述べられているが、まさに頭が下がる努力 である。その方法が身についているからこそ、多面的な活躍が可能だったのだと得心したことであった。また、その意味で真の教育者とは「知識」をさずける人 ではなく、「方法」を身を以て教える人だと言う。真の研究者はその意味で、何も教えなくても、真の教育者たりうるというのだ。「趣味」を持てなどと、簡単 にいうが、この趣味もプロになれるものでなければ、趣味というに値しないと厳しい。しかし、豊かな人生のためには、そういう趣味が必要条件であるというの だ。

「読書」の項では、いわゆる「名著」を無理に読むような「その人にとって意味のない」、いわゆる内的な動機のない読書は意味がないとい う。
 ダナエル・ペナックの『奔放な読書』から、読者の権利十カ条を紹介している(p.116)。これを孫引きすると、(1)、読まない権利(2)、飛ばし読 みする権利(3)、最後まで読まない権利(4)、読み返す権利(5)、手当たり次第何でも読む権利(6)、ボヴァリズム(小説に書いてあることに染まりや すい病気)の権利(7)、どこで読んでもいい権利(8)、あちこち拾い読みする権利(9)、声を出して読む権利(10)、黙っている権利。
 どれももっともな権利であるが、これは、本を読めと押し付けるのではなく、読む楽しさを自ずと身につけるようにさせれば、黙っていても読むようになると 言うところから生み出された、読者の権利なのだ。読む楽しさを知った読者になるための十カ条でもある。著者はその意味で「奔放な読書」を勧めるのだ。
 本は、図書館に頼るのでなく、まず買えという。「とにかくまず買うということを前提としないと少なくとも読書というタームズにおいては実り多いものは得 られない。ということは、まあ、お金はかかるんです。けれどもね、世の中でね、金をかけないで何か実りを得ようという考えは間違っていると、私は思うんで す(p.139)」。しかり。無駄買い、のない読書はありえないのだ。わたしなんぞも、無駄買いの繰り返しである。

「遊び」の項では、遊びは創造であり、オンとオフが渾然一体となり「忙即閑」境地とも言うべき、どこまでか仕事でどこからか遊びかわけ ることができないとこへまで到達した、「遊び」を勧めている。

 この本には、知性を身につけ、磨くための、著者の経験談が随所に折り込まれていて、わたしも、自分の生き方と符合するところが大いに あるので、我が意を得たりと相槌を打ちながら、最後まで楽しく読めた。こういう楽しい読書が本当の読書と言えるのだろう。


 
 
 
 
1999/2/12
夢枕獏「神々の山嶺」集英社1997.8.10第1刷1997.12.13第8刷
この小説の主人公、羽生丈二の名前のモデルは、将棋の四冠王羽生善治という。作者が本書を書き出す おりに羽生さんの追っかけをしており、その縁でこの名を使わせていただくことになったというのである。自らも、10歳の時から山登りを始め、エベレスト登 山隊にも参加した経験を持つ著者が、20年来暖めていた、神々の山嶺、エベレストを目指す男たちを巡る物語を、1700枚の原稿用紙に「書き残したことは ない」と言い切れるほどにストレートに書き込んだ、力作。
読者は、まるで登山する人の息づかい、あるいは酸素の少ない高地での回りの悪い思考力そのものを暗示するよ うな、短い改行の多いぶっきらぼうな文体から、8000メートルを超える、常に死と向かい合っている世界を、山頂に向かって、一歩一歩、前進する羽生や深 町の体験を共有することができる。
作者は、なぜ、こうした困難の待ち受ける山に登るのか、という問いに対する答えを書こうとしている。それ は、なぜ生きるのか、という問いに通ずる問いであるというのだ。巻末に引かれたオデル(エベレストで遭難したマロリーとアーヴィンの最後の姿を見たといわ れる人)の言葉が印象的だ。
<そして、いつも、死は、その途上で訪れるのです。軽々しく、人の人生に価値などつけられるものではありま せんが、その人が死んだ時、いったい、何の途上であったのか、たぶんそのことこそが重要なのだと思います。私にとっても、あなたにとっても。何かの途上で あることー>
1999/2/12
丸山真男/加藤周一「翻 訳と日本の近代」岩波書店98.10.20第1刷
丸山真男に、加藤周一が質問する形で、日本の近代における、西欧文化の翻訳輸入という偉業につい て、その背景から、実態までを、極めて分かりやすくとりまとめた書である。まるで、爆発的といってよいほど、近代日本は、西欧の書物を幅広く、手際よく、 精力的に、翻訳して導入し、日本の文化・制度そのものを、大胆に変えていく。自分に都合のよい側面を、導入するのみならず、必ずしも、都合は良くなくて も、導入する懐の広さも併せ持つ。そういう信じられないエネルギーがあった初めて、難しい国際社会の中で、列強にごして、近代化を成し遂げることができた のだ。明治人の偉大さが、伝わってくる。もちろん、翻訳につきものの限界もあり、手放しで肯首出来る側面ばかりではなく、これまでの和魂洋才的文化の導入 が、現在その欠陥を露呈し、真価を問われているのでもあるが。

 
1999/2/10
ポール・オースター「偶然 の音楽」柴田元幸訳新潮社1998.12.5第1刷

 

偶然転がり込んだ遺産で、赤い車を買い、まる一年、全米を走り回ったナッシュは、偶然、ジャック・ ポッツィという若者と出会う。この賭ポーカーのギャンブラーを、車に乗せたところから、この物語は始まるのだ。
大金持ちの二人組にポッツィは勝負を挑むが、敗北し、この勝負に、残った有り金のすべてと赤い車までも賭け たナッシュは、すべてを失ったうえ、借金まで背負い込み、その返済のため、一日10ドルという労賃で古いお城を取り壊した一万個の石を積んで石の壁を作り 上げるという作業を、ポッツィともども強いられるはめに陥る。
物語は、常に思いも掛けない方へと展開していくが、その繋ぎ方が絶妙なので、読者は、目を丸くしながら、付 いて行くよりない。リズミカルな文体(訳もいい)と、ちりばめられた説得力のある思索(警句のような(下の例示参照)で、読者をぐいぐいと引っ張っていく。大変なストーリーテラーだ。読んでいて、実に楽し い。一種荒唐無稽と思われる展開の中に、人生や人間そのものを考えさせる象徴性が込められている。並の作家ではない力量を感じさせられる。ナッシュは自ら もピアノを弾くクラシックファンだが、全編の背後にさわやかな音楽が鳴り響いているように感じた。物語自体は、決して明るくないが。他の著書も読んでみた くなって、今日(2月10日)「ムーン・パレス」(新潮文庫)という本を買ってきた。訳者も同じ柴田元幸。

例示:自分の人生をわが手に引き受けているのだと、感じられるこ とこそ。p.
金の真の強味は、いろんな物を与えてくれることではなく、金のことを考えずに済む余裕をもたらしてくれるこ となのだ。p.24
幸運というものは不運と同じくらい人を迷わせる。p.92 


 
1999/2/10
山根一真「デジタル産業革命」 講談社1998.10.20第1刷
「とてもいい時代が到来している。面白い、わくわくするような時代が始まろうとしている。」と著者 はいう。同感である。インターネットがもたらすデジタル産業革命について、著者は、生き生きとそのもたらす衝撃的なインパクトについて語る。従来の商品経 済から情品経済へ、移行するという。情品経済とは、情報の品の取引であり、その対価がカネではなく感謝や賞賛といった人の心、人の情で支払われることが多 いことから、著者が名付けたものである。
随所に我が意を得たりと思わされる記述がある。自らHPを開設し、このデジタル産業革命ともデジタル生活革 命ともいうべき波の後ろにくっついて行っているものとして、問題意識を、整理してもらえたうえ、大いに勇気づけられた本である。

 
 
1999/2/5
林望「リン ボウ先生ディープイングランドを行く」文芸春秋1998.11.10第1刷
 一気に読めた。読んだ。わたしのイギリスドライブ旅行に欠落した部分のドライブ旅行記なので、書 店で見つけ、早速買い込んだ。長くても見開き2ページ程度の短文で読みやすい。著者が自ら撮った写真もなかな気が利いている。趣味人リンボウらしい洒落た 本だ。この本で紹介されている、イングルビー・マナーハウス、これまで、マナーハウスに二回ほど泊まった経験からしても、いかにも食欲をそそるところのよ うだ。いつかのんびりと滞在したいものである。

 
1999/1/5
椎名誠「活字博物誌」岩波新書1998.10.20第1刷
 椎名誠には岩波新書に「活字のサーカス」という著書もあるが、前書同様、きわめて手軽に読める。 いや、手軽に読めるように作者がじつにうまく書いている。これも読書録の一種であるが、小説をほとんど読まない、いわゆる一般的な普通小説には興味はな い、読むとしたらSFという作者が、読書の楽しみとして手にするのは、圧倒的に自然科学ものが多いという。すこし科学めいた話であれば、かなり怪しいもの でも好きなのである。面白い本への嗅覚が発達していて、古本から、新刊まで、ここでも、いろいろと面白い本を取り上げている。

 冒頭に出てくるのは『透明人間の告白』だ。わたしもこの本を1994年に大変面白く読んだ経験があ るが、作者が指摘するように、透明人間も、透明であるが故に日常生活を送るとなると何かと不便なものである。そのあたりを、ディテールまで書き込んで、納 得させてしまう。SFの古典的名作であるH・G・ウエルズの『透明人間』の二番煎じにならない目の付け所を椎名誠は感心し、自分もそういう目の付け所か ら、他の作品を書いてみようとしたことがあると告白する。

 食欲をそそられる本が次々に出てくるが、決してそこらに転がっているような本ばかりではない。面白 い本に出くわすにはそれなりの努力と蓄積が大切なのだ。ところで、滅多に手に入らないということでだろうか。この本には本の索引もついていないのである。 読書録としては不親切だ。

 ところで、今日MRIの検査を受けた妻から、造影剤を呑まされてあんな狭いところに二度も入れられ て怖かったという話を聞いたばかりなのだが、この本の163ページを偶然今開いたら、MRIの中で発狂状態になったある男の話を紹介し、作者は極度の閉所 恐怖症で、その症状は進行しており、MRIに入れられたら、2分と持たず発狂死するに違いないと書いている。そのくせ、土牢のなかに生まれてから17年も 入れられた男の実話『カスパー・ハウザー』を怖がりながら、一気に読んだと紹介するのである。その当たりの呼吸が絶妙でついつい先を読まされてしまうの だ。


 

1998/12/10



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出典名 号・日付等 本文
福田俊司「シベリア動物誌」岩波書店 1998.10.20第1刷  シベリアの自然と人間に魅了され、1990年以来43回、751日間にのぼる取材にでかけた写真家福田俊司さんが、シベリアを身近 に感じてもらいたくて、ペンを執り、得意の写真もたっぷりと添えてくれた、実に楽しい本である。
 シベリアといっても広うござんす。そこを五つの地区に分け、それぞれの地区を代表する生き物を取り上げている。タイガのシベリアトラ、千島列島・サハリ ンのトドやオットセイ、ラッコ、カムチャッカのヒグマ、ヤクートのシギやキョクアジサシなどの野鳥、ヴランゲリのホッキョクグマ。実物への密着取材なの で、文章にも写真にも迫力がある。
 もちろん、これら代表的な生き物に限らず、およそ目に付いたものは、魚、蝶、カミキリ、樹木、草花はじめ、ありとあらゆるものを取り上げているし、独特 の地勢気候風土の紹介も忘れない。それに、シベリアの大地のなかでたくましく人間らしく生きている人々の姿や、彼らとの心温まる交流が、読む人の心も暖め てくれる。生き物や風景にかぎらず、自然の中で素朴に生きるシベリアの人々の写真が美しい。

 母トラを鉄砲をぶっ放して追っ払い、子トラをY字棒で押さえ込んで生け捕りにするやり方など、興味津々の話が随所に出てくる。ホッ キョクグマの研究者コチネフは、安全のために、ライフルを携帯しない理由を問われて、
「ライフルは持ち主を傲慢にさせたり、威力を過信させたりするので、危険を招くことさえある。・・・私は、長年にわたる研究の結果、ホッキョクグマは争い を好まない生き物だと知っている。私たちは、人間を、ホッキョクグマの上位に位置する生き物として振る舞い、それを認識させれば、ホッキョクグマとの無用 な争いは起きない」(p.165)
 かつて、オオカミに関する本を3冊ほど読んだことがあったが、オオカミも争いを好まず、人間を上位に位置する生き物と思いこませれば、一緒に生活するこ とさえできる平和的な生き物なのだ。人間の一方的な思いこみから、危険な生き物と見なされて多くの動物が虐殺され、絶滅させられている。
 シベリア多くのの生き物も、密漁や大規模な森林伐採で生息環境を狭められているという。
 美しい写真を見ながら、人間はもっと賢くなれないものかと思ったことだ。

出久根達郎「いつのまにやら本の虫」講談社 1998.10.15第1刷  1996年から1998年にかけて、新聞雑誌などに、連載あるいは単載した小文を集めたもの。短いのは、ページの半分ほどしかな い。長くても7ページほど。歯切れのいい文章だから、ちょっとした暇に取り上げ、どこからでも、さっと読める。プリンターで喪中のはがきの印刷をしながら も、ずいぶん読んだ。
 作者の、独特の歯切れのいいリズムは、独特の句読点に依存する。たとえば、「見合い」(p.255)の冒頭。
「自慢にもならないが、見合いを、十回ほど、した。(中略)うまく行きそうなのに、結果は、しからず。」
よく、注意して見ると、句読点がこんなにも注意深く、細かに打たれているのだ。隠し味のようなものだ。
 茨城で、中学まで過ごし、集団就職で東京に出、無類の本好きであることから佃にある古本屋へ就職する。そこでの小僧修行から始めて自ら古本屋の主人も長 くやったということで、本の中身や本にまつわる話、作家、出版に関する知識が並ではない。さらに、古本を買い入れに行った先の人や、同じ古本屋仲間、古本 屋へ来る客、古本の通信販売で知り合った人など、話しの種は、つきず、きわめて多彩であり、飽きさせない。古本を巡る世界は狭いようでなかなか広いのだ。 さすがに話題には重複もあるが、もちろん、同じ材料を扱っても切り口が違うから、どちらも面白く読まされる。
 この本を読めば、作者の生い立ちから人となり、両親、奥さんのことなどにも詳しくなってしまう。作家は因果なもので、家族や親戚や知人を語らずに成り立 たない商売のようである。
 ほろりとさせられる人情話しもある。たとえば、「残りのひと口」(p.249)
 新潮文庫の「騙す人ダマされる人」の解説文「騙す魅力」(p.232)の末尾に、「小説を読む醍醐味は、ダマされる快感に尽きる。私は本書を読み終え て、まさにそれに等しい余韻にひたっている。読者も、おそらくそうだろう。だが心の奥底の方に、何やらうごめきだしたものがありはしないだろうか。
人を騙したい、という衝動である。騙す魅力を知ってしまった。私も、そうだった。
それで、私は小説家になってしまった。人に害を与えない詐欺師である。」
わたしも、推理小説を書いたりして小説家のまねごとをしているが、うまく騙りたいという気持ちがどこかにあることを否定できない。
 あとがきに、本の虫と本のぬしとどう違うかの講釈がある。本のぬしは、おそろしいほど本を買い込み、それを眺めて悦に入っている。本は大好きだが、読む 数量は、高が知れている人に古本屋が奉る敬称とある。
「かつて、私は、この両方に、あこがれた。本の虫となり、ついに本のぬしとなる。」
「しかし、本のぬしも、なろうとしてなれるものではない。どちらも「いつのまにか」なってしまうものなのだ。最近になって、ようやく、そのことに気がつい た。どうやら私は「いつのまにか」本の虫になれたようだが、本のぬしには程遠い。この二つを兼ね備えるのは、至難のようである。」
 わたしは、どちらも中途半端のようだが、とにかく本の虫には堪えられない一冊。

 

1998/10/19

轡田隆史『「考える力」をつける本』 三笠書房 1997/1/27第1刷  1998/8/20第111刷
























本屋で最初に見つけたのは、「考える力をつける本3」であった。面白そうなので、ぺらぺらめくっていたら、近くに第一巻(この本)と第二巻もあっ た。とりあえず、この本を買ってみたのだ。読み終わって、カバーの裏を見たら、111刷となっている。出張で宇部に持って行ってホテルで読み終えたのだ が、たまたまその日の毎日新聞にこのシリーズの広告が出ていて、三巻で85万部、第一管が56万部、第二巻が23万部、第3巻が6万部となっている。大ベ ストセラーなのだ。
 読みやすく、具体例が豊富なところがよく売れる理由だろう。著者は、元新聞記者で、地方支局の体験も、「事件記者」やテレビ局のメインキャスターとして ベトナムへ出掛けたの経験もある。最後は、朝日新聞の夕刊に8年間にわたり「素粒子」というコラムの担当を務め(1996年まで)、現在は同社顧問。こう した広範にわたる経験と、あらゆることを対象とするコラム欄の執筆が、著者に、世の中の森羅万象に対する興味を植え付けたのだ。

 話題や引用が豊富で、実体験に基づいて、議論が展開されるので、説得力が有る。自分の恥でも洗いざらい話す率直さも、親近感を覚えさせる。
 Jリーグの川淵三郎チェアマンと大学でいっしょのチームだった、サッカーマンで、生き方、考え方に独自のスタイルを持ち、それを貫き通したことが、よく わかる。

 「読書とは本を買うことである」「自分の時間を持て」「遊び上手は仕事上手」「書くことは考えること」などなど、日頃私が考えていることを裏付け るような話が多く、そうそうとあいづちを打ながら楽しく読み終えた。
 いろんなことに興味を持って人生を楽しく生きたい人にはお勧めの1冊。
 
 

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98.10.13

パトリック・モディアノ『1941、パリの尋ね人』白井茂男訳 作品社  1998.7.30第1刷

ゴングール賞受賞作家パトリック・モディアノのノン・フィクション作品である。作者は、8年前、1941年12月31日付けの昔の新聞『パリソワー ル』をめくっていて、尋ね人の小さな記事をみつける。
「尋ね人。ドラ・ブリューデル。15歳、1メートル55、うりざね顔、目の色マロングレー。・・・パリ、オルナノ大通り41番地、ブリューデル夫妻宛に情 報提供されたし」

オルナノ大通り界隈は、作者が昔から良く知っている地域だった。この少女に興味を覚えてからしばらくして、この少女が、作家と同じユダヤ人でアウ シュビッツの犠牲者だったことを知り、作者のドラさがしの旅が始まるのだ。貧乏な移民の子であったドラの足跡は作者の懸命な努力にもかかわらず、ほんのわ ずかしか確かめられなかった。

 そうはいうものの、われわれにとってみれば、それは驚くほどの事実を発掘しているのだ。まったく無名のわずか15歳かそこらで、ユダヤ人であった というただそれだけの理由で、この世から抹殺された少女の、50年も昔の足跡を辿るという想像を絶する難問に作者は挑み、断片とはいえかなりのものを明か にしたのだ。その探究の道筋をこれ以上ありえないほど淡々とした筆致で描いたのが本書である。

 収容所の記録簿に残された、数々の名前、中には身元不明児童146号として名前さえ記入されていないものもいる。その多くがアウシュビッツに移送 され、殺されたのである。「もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しにいくこと、文学とはこれにつきるかもしれない」と作者は、この本に寄せ られた批評を引用して述べる。

この本は次ぎの文で締めくくられている。
「彼女がどんなふうに(逃亡したあとの(筆者注))日々を過ごしたか、どこに隠れていたのか、そして、最初に逃亡した冬の数ヶ月、逃げ出した春の数週間、 彼女は誰と一緒だったのか、私には永久にわからないだろう。それは彼女の秘密なのだ。哀れな、しかし貴重な秘密であり、死刑執行人も、布告も、いわゆる占 領軍当局も、警視庁留置所も、獄舎も、収容所も、歴史も、時間も(私たちを汚し、打ち砕くもろもろすべてのものも)、彼女から奪い去ることのできなかった 秘密であろう。」

 訳者によれば、フランスでは、「人道に背いた罪」という法律が1964年に制定され、1994年にはフランス人にもこの法律が適用され、ドイツ軍 による占領下ドイツに協力して、ユダヤ人を強制収容所へ送り込んだヴィンシー政府の高官が裁かれている。フランスは、こうして第二次世界大戦下において自 国の犯した犯罪についてもきちんと裁こうという姿勢をしめしている。この裁判を伝えた『ル・モンド』紙は、日本に触れ、「連合軍による東京裁判以外、戦争 犯罪を問う裁判は一切なかった。”パンドラの箱”は閉じたままにしておきたいようだ。」

 この本は、フランスの戦時下における自己責任を、静かに問いただすものであるが、昨春出版以来たちまちベストセラーになり、世界13国で翻訳され ることになったという。
 
 

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(1998/8/15)

矢部辰男『ネズミに襲われる都市』 中央公論社1998/6/25第1刷






































 日本の主な都市は、ほとんど例外なくクマネズミに占拠されているのだそうだ。すばらしい造りの駅ビルも、デパー トも、有名なホテルも、クマネズミでいっぱいで、都心のレストランや、居酒屋では、厨房の棚上はネズミの糞だらけだそうだ。知らないうちに、ネズミの糞尿 で味付けされた料理を食べさせられているかもしれないのだそうだ。

 クマネズミは、本来田舎のネズミだったのが、いまや都市のネズミ化しており、その用心深く、粗食に甘んずる習性 で、それまで都心を占拠していたドブネズミに取って代わったらしい。著者の見るところ、その無血革命が起きたのは1970年代半ばのことらしい。

 日本の都市が、クマネズミで占拠されたのは、次のような理由による。
 まず、クマネズミには、優れた登攀力と綱渡りの能力があり、建物内に巣を作る習性、強い警戒心、殺鼠剤に対する抵抗性 があること。一方都市のほうでは、建物が大型化し、それにともなって飲食施設が必然的に併設され、ネズミの通行や営巣を許す構造を持ち、冬でも暖かく保た れること。道路は、電線や電話線などが交錯し、地下街が、クマネズミの遺伝的生態的交流を助けること。防除技術は、お粗末で、住民のネズミ駆除に対する意 欲も関心も低いこと。

 わたしも、本当のところ、この本を読むまで、東京がクマネズミに占拠されたという意味で、世界でも最先進国であ ることなど、まったく知らなかった。この本を読むきっかけになったのは、つい一月ほど前、我が家にネズミの姿を見つけ、これはなんとかしなければと思い、 本屋の書棚をあらためていて見つけだしたからである。発売が今年の6月25日、クマネズミ問題が、今や、我が家だけの問題ではないことがよみとれる。

 この本を読んで、我が家のネズミが、クマネズミであることも初めてわかった。終戦後の田舎では、夜ともなると、 天井裏をネズミが、駆け回っていたものだったが、あれはドブネズミだったらしい。このクマネズミは、ドブネズミに比べ、小型で、肉食よりは穀物や種子など 粗食に甘んじ、はるかに用心深く、殺鼠剤にかかったり、ネズミ取りにかかることが少ないようなのだ。

 区役所に連絡したら、最近、近くで家の取り壊しは有りませんでしたか、という。あったどころの話ではない。近く も近くで、しかも、米屋さんが改築のため家を取り壊したのである。そこからクマネズミが我が家に引っ越してきたのだ。区役所から、殺鼠剤から、本書で、子 ネズミにしか効果がないと非難されている粘着罠まで、いろいろ貰ってきたが、まったく利き目がない。日本は悲しいながら防除技術の面ではまだ途上国なのだ そうだ。

 さて、どうしたものか。中東へ行く飛行機のなかで、滅茶苦茶に頭のいいネズミとの智恵比べを描いたコメディ映画 を見たのだったが 、我が家でも、クマネズミとの智恵比べが始まったのである。これはコメディではないのだ。

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マーガレット・アトウッド『ダンシング・ ガールズ』岸本佐和子訳 白水社 1989/11/25
 1939年生まれのカナダの女流作家アトウッドの短編小説集。収録されて6つの短編のどれもが、冒頭から読者をたちま ち、物語の世界に引きずりこまずにおかない。それだけ、語り口が巧みなのだ。

 ごくありふれた日常を目配りの利いた正確な描写力で、ディテールまで淡々と語る魅力に付いていくと、いつしか、 主人公たちの、繊細で感受性豊かな独特の感じ方や考え方の世界、それゆえにありふれた日常ではあり得ない世界、に誘い込まれている。冒頭の、カナダの女性 とベトナムからの留学生との奇妙な交流を描く「火星から来た男」と、表題作で末尾に置かれた、アラブからの留学生を同宿の女性の目を通して描く「ダンシン グ・ガールズ」は、カナダ社会におけるアジアやアラブという遠い異国から来た小数者の置かれた、一種惨めな境涯を淡々と描く点で共通している。事実を淡々 と物語るだけで、いいとも悪いとも言うわけでもない。しかし、そくそくとして迫って来るものがあるのだ。

 このように、この短編集に描かれているのは、言わば社会的弱者だ。エリートコースを脂ぎって邁進する人物より、 ある意味ではそこらにいるような人物、悩みや劣等感を人一倍抱え込んだ人物である。そうした人たちの感情の起伏が手に取るように描かれているので、すんな りと感情移入ができる。なによりも、登場人物一人一人が、的確に捉えられており、しかもひとつひとつの物語の世界について作者の用意周到の知識量が感じら れるだけに、小説世界に安心して没頭できる。全くの破綻を見せず、6つの異なった世界を描き、魅力的な主人公を造型した作者の力量には感心した。人生や人 間を実によく知っているなと思わされた。

緑陰で、ゆっくりと静かに読むにふさわしい一編。

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(1998/7/29)
 テリー伊藤『大蔵官僚の復讐  お笑い大 蔵省極秘情報2』飛鳥新社1998/7/8第1刷

 第1巻の方は読んでいないが、この2巻目、なかなかよく出来ていて、面白く、一気に読み終えた。

 大蔵省の現役のキャリア、ノンキャリ、それぞれ二人ずつのインタビューを取りまとめたものであるが、匿名で ニュース源を絶対に公表しないという条件で、彼等の本音を余すところなく引き出すのに成功している。次官、財務官、局長はじめ、話題にのぼる官僚も、すべ て実名で登場する。

 キャリア組、ノンキャリア組、それぞれの生態・体質が、言葉の端々ににじみ出ていて、笑わされる。今回のよう な、大不祥事があっても、なお権力の美酒に酔いしれ、驕り昂り反省もせず、自らに都合のいい論理で、まくしたて、自己弁護をし、一方で国民を愚弄し、自ら の論理的矛盾や、限界に気付かず、気付こうともしないいい加減さが、透けて見える。

 もちろん、ここに登場する4人が、大蔵「官僚」のすべてを代表するものではないし、もっと立派な人がいるのだろ うが(いてもらわないと困るが)、ここに語られた限りにおいては、大蔵省・大蔵官僚についての一応整合性のある世界が描き出されているように思われ、その あまりにもお粗末な実態に、暗然たる思いにさせられる。日本という国の政治・行政の、張り子の虎的底の浅さが、あからさまに暴露されており、この難局を招 いたのも、いままた手を拱ねいているよりないのも、これじゃ仕方がないということがよくわかる。

 4人の語る世界が、日常からあまりに遊離した世界なので、思わず笑わされるのだが、笑ってばかりいられない。本 当に国の前途が思いやられてくる。
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島村洋子『ポルノ』中央公論社 1995/8/7 第1刷
 ポルノというのは、男性のものであろうか。いや、女性も読まないはずはない。しかし、こんな本を女性は読むのだろう か。わからない。これは、女性が書き、女性の一人称で書かれているにもかかわらず、男性の視点から書かれたような気がしてならない。男性が喜ぶように書か れているのではないかと思うのだ。こんな内容を女性も喜ぶのだろうか。女性に聞いてみたい点だ。

 こんな女性がいるだろうか。10年ひたすらに、待つ女。アルベローニの『エ ロティズム』を読んでも、男女のエロスは大いに異なっており、女性は、きわめて現実的だという。一度跡絶えた恋愛感情を10年も維持でき るようには、とうてい思えない。
 相手の男は、妻がありながら、10年前の約束を守って航空券を送り付け、10年振りのバリ島での再会を誘う。こんな男 性もあまりいそうにない。この二人の一週間のバリ島での滞在が描かれる。

 この小説から、どことなく、うそっぽく、しらじらしい印象を受けるのは、この二人の人間像にリアリティがないか らだろう。一応、簡潔で踊ることのない文体で書かれているけれど、あまり買えない。

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 (1998/7/24)
アンナ・マグダレーナ・バッハバッハの思い出』山下肇訳 講談社  1997/9/10第1刷 

 この本を本屋で見つけたとき、まったくためらいもなく、すぐ購入した。というのも、バッハ自身に関心があったこ ともさることながら、この本の訳者が畏敬する山下肇先生だったからだ。先生は、大学時代の担任で、卒業後も、おつきあいいただいているが、性は温厚ながら 情熱的な行動家で、現在もお元気で活躍しておられる。また、ドイツ文学者、文筆家としても著名であるが、書かれる文章には品があり、けれん味がなく、情が こもっており、何を読んでも、当たり外れがない。

 この本を読んでみて、さすが期待を裏切らない訳であった。いや、この本は先生が30歳のときの訳で、「毎日出版 文化賞」の音楽部門で、第一位に推挙され、いわば先生の出世作(訳)となり、その後のドイツ語訳者としての地保を築く機縁となったもので、以来ロングセ ラーを続けるとともに、NHKや民放で朗読紹介され、音楽関係の必読の教養書として取り上げられるなど、名訳の誉高いものであったことを知るにつけ、不明 を恥じるばかりだ。一読、心が洗われるような気がしたのも無理はない。もともとはダビッド社から1950年に出版されたものを、今回講談社の学術文庫に収 められることになり、この種の本にしては珍しく版を重ねているという。これは、先生から直接伺ったことである。 嬉しそうな先生の口振りをいまでも覚えている。
 

 著者となっているアンナ・マグダレーナ・バッハは、バッハの後妻である。訳者もあとがきで著者について「当初か ら一抹の疑念を拭いさりきれないでいた」が「この疑念の追及詮索は専門研究者の手に委ねる」として、真実の著者については言及せず、「戦後のバッハ研究が 進むにつれて、この疑念の真偽の問題もしだいに明らかにされて、本書がマグダレーナの真筆ではないという見解が有力視されるようになっているが、だからと いって、本書の声価はすこしも失われていない」としている。

 1988年にフランスで出版されたベルナーレ・ピヴォー他編『理 想の図書館』(世界の名著を49のジャンル毎に、49冊ずつあつめたもの)(パピルス 1990/7/6第1刷)では、音楽のジャンルの 名著として、エステル・メイネルという真実の著者名で取り上げている。その中で20世紀に書かれた小説であると紹介されているが、真実味あふれる上質な品 格高い本書は、著者がバッハの後妻であろうとなかろうと、その価値がいささかたりとも減ずるものではないことは、訳者の言う通りである。

 これは、夫婦愛、家族愛の物語であり、信仰篤い、創造的人間の姿を、日常生活のレベルで見事にとらえた読みごた えるのある小説でもある。作曲家として、オルガニストとして、また、音楽の理論家、教育者として、溢れるような才能の持主ながら、必ずしもそれに相応しい 職を得ることが出来ず、また、常に良き上司にめぐまれるわけにもいかず、そうした人間関係の葛藤や軋轢に悩まされる一方で、少年合唱隊の指導などの煩瑣な 日常的な仕事に貴重な時間を奪われながらも、倦まず弛まず、盲しいて死の床にあってさえ、創作の意欲を失わなかった、バッハの姿を、夫を愛し、敬い、13 人もの子を成し、献身的に尽くす、妻の鏡とも言うべきマグダレーナの視点から鮮やかに描き切っている。

 生涯を通じて、自分の家族と彼を知り彼の音楽を理解してくれる小数の友人をしか必要とせず、名声とか賞賛を求め ず、まったく時間を無駄にすることなく、65才の生涯のうちに、信じられないほど多くの優れた作品群を残した「音楽の父」バッハが、この本を読むことに よって、その厳格そうな容貌にもかかわらず、きわめて身近な親しみやすい人と感じられるようになった。

 同年の同郷の生まれである作曲家ヘンデルとの対比が面白い。ヘンデルを、敬っていたバッハは、ヘンデルに会おう と努めるが、必ずしもヘンデルの側からの好意が得られず、ついにその願いは叶わなかった。「けれどヘンデルは世間を求める人でした。自分の身のまわりに限 りない大浪を打たせて、たくさんたくさんお金をこしらえる人でした。それに対してゼバスティアンの方は、大げさなことはいっさい嫌いで、世俗を逃れ、自分 の家庭で、家族の者たちの懐の中で、静かに黙々と仕事に打ち込んだ生活でした。」(p.77)

 バッハの死後、めったに聴かれることもなくなった「彼の音楽は、(いまもてはやされている)息子たちのものとは ぜんぜん違います。わたくしの感じますところでは、それは人をまったく別の世界に連れて行ってくれるのです。明るく朗らかに澄んで、この世のものとも思わ れない高い世界、そこではもはやこの地上の煩らいはすべて力を失ってしまうのです。彼の心の中には、平和と美の核心がひそんでいました。」(p.134)

 いま、キース・ジャレットの演奏するバッハの『ゴルドベルク変奏曲』を聞きながらこの読書録を認めているが、ま さしくその通りと思う。バッハが音楽に占める大きさは、戦後益々認識されるようになってきたが、今後とも増大することはあっても、減ることはないだろう。 近年に至っても、ギドン・クレメールやキース・ジャレット、ペーター・シュライヤーをはじめ、多くの世界の名手が、精力的にバッハに挑んでおり、わたしの ようなファンには嬉しいことである。
 
 

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(1998/7/21)

 半藤一利『ノモンハンの夏』文芸春秋 1998/4/20第1刷1998/5/25第5刷 
 

論文の部屋」に集録している拙論『強硬論と日本の自己主張』を、書いたきっかけは、この本に も登場する辻政信や服部卓四郎を頂点とする陸軍内部での、いわゆるエリート参謀の、己も敵も知らぬ、強気一辺倒の強硬路線が、国をいかに誤った方向へ引っ ぱっていったかを、太平洋戦争に関する様々な戦史を読み、考えさせられたからであった。
 この本も、わたしのそういう方面の関心に応えてくれる戦史として興味を持ち、読んでみたのだが、その期待を裏切らな い、出来映えになっていると思う。

 ノモンハン事件と称される戦闘における先の両名の、傍若無人ぶりが、能う限りの文献に照らし合わされて、事細か に検証されており、これらのエリート参謀の引き起こした無謀、独善、泥縄的な戦いの陰で、いかに多くの将兵が、過酷無残な戦いを強いられ、戦場の露と消え て行かなければならなかったかを、怒りのこもった筆致で、著者はみごとに描き切っている。戦後国家の選良となった辻政信に議員会館の一室で対面したとき、 この世に存在することはないとずっと考えていた「絶対悪」を眼前に見るの思いをしたという筆者が、その日以来、「ノモンハン事件」をいつの日にかまとめて みようと思いたったという。

 統帥権を無視して戦端を開いた上、敵をあなどり、自らを過信して、さして意味の無い国境線の維持にこだわり、泥 縄的で逐次投入の弊に陥っている関東軍の作戦参謀に対し、スターリンとジューコフ将軍のコンビは、この戦闘の重要性を認識し、万難を排して、砂漠の涯のノ モンハンに、近代戦を戦い得る兵力と装備を結集し、日本軍に襲いかかるのだ。結果は、ひとたまりもない。

 事件後、責任を明らかにする人事異動が迅速に行われるが、幕僚に対する処断はきわめて甘く、「積極的な軍人が過 失を犯した場合には、人事当局は大目にみるのを常とする。処罰してもその多くは申訳程度ですませた。いっぽう、自重論者は卑怯者扱いされることが多く、そ の人が過失を犯せばきびしく責任を追及される場合が少なくなかった。」(p.340)
「こうした信賞必罰ならざる悪しき慣例が、最前線で勇敢に戦った指揮官たちに適用され」「かれらは戦死または自決し、あ るいは自決を強いられてほとんどが逝った。」(p.341)「そのために、この戦争における統帥の非合理さと拙劣さ、作戦計画の粗雑や誤断、指揮の独断な ど現場からの批判は、すべて曖昧なものとなった。」(同)「のみならず戦い終わったのちの、誤解や上長の悪感情が、悪戦苦闘した部隊長を殺した。」(同) 損耗率76パーセントという「ノモンハン事件」から、こうして、日本陸軍は、ほとんど何も学ばないまま終結し、太平洋戦争で同じあやまちを繰り返すことに なるのである。

 この本の末尾は次ぎの言葉でしめくくられる。
「ノモンハン敗戦の責任者である服部・辻のコンビが、(いったんは責任を問われて左遷されたが、いくばくもなく三宅坂上 (陸軍参謀本部作戦課)に華々しく復帰し、)対米開戦を推進し、戦争を指導した全過程をみるとき、個人はつまるところ歴史の流れに浮き沈みする無力な存在 にすぎない、という説が、なぜか疑わしく思えてならない。そして人は何も歴史から学ばないことを思い知らされる。」と。

『三本の矢』とこの本を合わせて読むと、「昔陸軍、今大蔵」といわれるほどの絶対的な権力を握った組織内の、いわ ゆるエリート幹部の思い上がりと独善と不勉強が、国の行くべき方向を誤らせ、国民に故なき苦しみを強いるという構図が、今も昔とかわらず厳然と存在し、日 本が何も歴史から学ばないことを思い知らされ、慄然たる思いがするのである。
 
 

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(1998/7/13)
宮部みゆき理由』 朝日新聞社  1998/6/1 第1刷 1998/7/30 第8刷 
 
 

 宮部みゆきのデビュー作『魔法のささやき』を読んだときから、彼女の並々ならぬ才能を感じていた。少年の心理描 写一つにしても、みずみずしく、その息遣いが分るように書き込まれていて、妻にも一読を勧めたのだが、すぐ、テレビ劇化され、それだけを見た家内はこれは 何だという感想を持ったようだ。テレビ劇のほうは明らかな失敗作で、彼女には気の毒な出来だった。

 とは言いながら、その後の活躍振りは目を見張るものがあって、現代ものだけでなく、時代物まで手を延ばし、こと ごとく成功している。そのうちに読もうとと思い、これも現代の問題であるクレジットカード業界を題材にした『火車』も買ってあるが、そのままになってい る。
 
 最近、この小説が評判になっており、ある書評を読んで食欲をそそられたので、『火車』 より先に、読んでみた。期待を裏切らない出来と言えるだろう。570頁を超える長篇をかなり短時日で読み終えた。

 事件は、激しい雨の夜、「ヴァンダ−ル千住北ニューシティ」という豪華なマンションの一室で起こる。「一家」四 人が皆殺しになるのである。著者は、伸びやかで気配りの行き届いた文章力と、例によって巧みなストリーテラーぶりを発揮して、読者を一気に物語の中に誘い 込む。地の文と、この事件の関係者から事情を聴取するインタビュー形式とを巧みに混ぜ合わせた語り口で、地の文だけで通すやり方に比べ、人物の心理の襞に より深く入り込んでいくことに成功している。

 作者は、この物語を通して、日本の現代の家庭といううものの虚構性に肉迫する。家庭らしい家庭の構築に、日本と いう社会は必ずしも成功しているとは言えないのではないか。重たい問いであるが、滞ることのない語り口に乗せられて、スピーディに読み進めるうちに、次第 次第に、作者の問いかけに気付かされる。登場人物の一人一人について十分に書き込んであるので、事件の展開に説得力があり、安心して付いていける。
 
 ただ、惜しむらくは、真犯人を、物語展開の必要性から殺してしまううので、真犯人にインタビューできないことだ。その ため、犯罪の真の意図や、犯人像が、どうみてもぼやけてしまい、関係者のインタビューで外堀を埋めてみても、説得力が薄いのだ。それにベランダから転落死 するシーンが、今一つ説得力に欠ける。若い女性と争ったぐらいで、大の男が、そんなに簡単に、豪華なマンションのベランダから転落するものだろうか。

 先日も新聞で、女流の力量の有る作家が特集されていたが、その四人、篠田節子、桐野夏生、高村薫、宮部みゆきは 一通り読んだことになる。いずれ劣らぬ筆力の持ち主である。一層の充実を期待したい。

今週の日経(1998/7/12)のベストセラー欄の6、7位に、宮部みゆきの歴史体験エッセイ『平成お徒歩日 記』とこの『理由』が並んでいる。ますます多方面にわたる才女振りを発揮しているようだ。

 ところで、第8刷の日付が1998/7/30になっているのは間違いではない。新しく刷ったと思わせたい出版社 の都合で日付は勝手に決められるものらしい。

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(1998/7/7)
フランチェスコ・アルベローニ他人をほめる人、けなす人』大久保昭男訳 草 思社1997/10/6第1刷 1997/11/18 第10刷 
 この本には、59人もの人が登場する。「楽観的な人、悲観的な人」「他人を認めない人」「他人を指導する人」「他人を ひきたてない人」「高貴な魂をもつ人」「何が善かを知る人」などなど。しかし、「他人をほめる人、けなす人」は、登場しない。ところが、このネーミング が、この本がヒットした理由だという。
 このネーミングから、軽いハウツー物を期待しがちだが、決して中身は軽くない。作者のアルベローニは社会学者で、哲 学、宗教、文学にも造詣が深く、文章のなかに、以下に掲げるような、人々を縦横に引き出し、説得力に富む論理を展開する。アリストテレス、シェークスピ ア、ゲーテ、フロイト、アドラー、ユング、ベートーヴェン、ベルディ、モーツアルト、カント、ホメーロス、ウェルギリウス、ダンテ、ニーチェ、ハイデッ カー、マックス・シェラー、ルター、ヘーゲル、カルヴァン、ミルトン、エンリーコ・フェルミ、マーシャル・マクルーハン、ドストフェスキー、ロナルド・ フィッシャー・・・
 イタリアを代表する新聞に連載したエッセイをまとめたもので、ひとつひとつの文章は短く、読みやすい。人生の機微に通 じ、博識で洞察力に富む作者の言葉にしばしば、なるほどとうなずきながら、読み終えた。自分自身の性向を知る上でも、周りの人々の言動の真の意味を解し、 理解しがたい人々のことを理解する上でも、役に立つ。この本が、ベストセラーになるのなら、読者も捨てたものではない。味読するに値する本だ。
 
 

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